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お悩みNO.627
ルンタさん
許した過去削除
過去に虐待を受けたことがあります。
りゆうは、学校に行けなくなったから。それは、小学校の時のいじめで人間不信になって中学生のはじめで担任の先生が怖くて行くことができなくなって休んだ次の日に学校に行くと小声で「仮病」と言われていたことに気づいていたから。
そんなとき、母親にもおじさんにも「学校に行け」「迷惑かけるな」と言われながらも不登校を続けていたから、とうとう暴力を振られました。
そんなことがあってからは、ご飯を作らない母親の態度や、言動を先生や、保健所の人に伝えてなんとか生きていました。
高校生になって、中退して新しい高校に行ったときから、許してみよう。もう、これは終ったことだ。許そう。とおもって、違うものに目を向けて忘れようとしていました。

忘れていたのに、最近、母親に「お前が嘘をついたせいで私は、虐待をした親っていうレッテルを貼られて仕事をしているんだ!」「お前がみんなにウソをついたから、言いふらしたから」と言われてしまいました。
それから、一気に許そうとしていたのに、とか、ほんとに、嘘だったのかもしれないとかあんなに辛い思いしたのに結局は母親が正しいのかもしれないと諦めています。
確かに首を締められた記憶、殴られた記憶、お腹すいてんのにご飯がなかったこと全部覚えてますし言われた言葉も覚えてます。
それでも、自分は嘘をついたと母親に謝らなければいけませんか。
こんど、嘘をついたら家族の縁を切ると言われたので学校の先生には絶対に言えません。
投稿日:2016-11-20
返信 1
ルンタさん
後悔削除
今じゃ、関係が良くなった親子関係。
なのに、こういうことを考えていた、思っていたって聞いたらやっぱり、あの時「お母さんがご飯作ってくれない。」なんて外に助けを求めたりしなければこうして自分に返ってくることなんてなかったのにって後悔します。
あのひ、あんなに死にたくて死にたくて散々怒鳴って誰かに助けて欲しくてネットとか駆使して保健所に電話してもらったりとかしてもらって学校の先生にも相談したりしたのにそれすらも、しなかったら、こんなに母親は怒らなかったのかもしれない。
死にたくてでも死なずに相談しないまま時間が経って自分を傷つけてでも何してでも助けを呼ばずにただ必死に耐えてれば今になってこんなに後悔することもなかったのに。

全部、自分がわるいんですよね。
母親じゃなくて、自分が外に助けを求めたからこうなったんですよね。
暴力振るわれたりご飯作ってくれなかったりそんなこと、母親やおじさんがしてないっていったらしてないことになっちゃうんですよ。
謝れって言われたんです。
謝りたくないんです。自分は間違ってないって思いたいんです。助けを求めたこと後悔してるけどそれは正しかったかもしれないって思いたいんです。でも、母親もおじさんも自分を許してくれないんです。
嘘をついたから。虐待なんてなかった。そう思ってるんです。母親もおじさんも。

いつまでこんなに怖がったりしないといけないんですか。

ほんとに、自分が悪者なんですか。
投稿日:2016-11-21
返信 2
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
母親との関係でお悩みですね。
どうかご自身を責めないでください。
だって悪いことしていないのですから。

いま、思っていることを冷静に伝えてみたらどうでしょう。
そして、お母さんの言い分も聴いてあげてみる。

人は誰かに「聴いてもらえている」と思えると心を許すものです。

そこにはちょっとしたコミュニケーションテクニックが必要です。
以下、カウンセラーも実践しているコミュニケーション方法をお伝えします。
参考にしてください。
投稿日:2016-11-21
返信 3
伊藤さん
ルンタさんへ削除
コミュニケーション(「聴き方」「伝え方」)

■信頼関係の構築
相手との信頼関係の構築を図るためには円滑なコミュニケーションが大切です。
カウンセリングの領域では、カウンセラーとクライアントの信頼関係(専門的には“ラポール関係”といいます)が絶対条件といわれます。ではその円滑なコミュニケーションを図るにはどうすればいいのでしょう。
コミュニケーションの2つの柱ともいえる「聴き方」と「伝え方」に関して紹介します。


■「聴き方」
「聴き方」を意識しながら相手からの話を聴いたことがありますか。
「話し方教室」とか「話し方の本」というのはありますが「聴き方」に関する本は意外と少ないのです。
しかし、円滑なコミュニケーションを図る上ではこの「聴き方」が特に重要です。

ここではあえて「聴く」という文字を使います。物理的に音が耳に届く「聞く」でもなく、言葉であれこれと尋問する「訊く」でもなく、「心」の文字が入っている「聴く」です。これは、相手を受け入れて相手の話しに耳と心を傾けることを意味します。専門用語では「傾聴」と言います。

相手の話を上手に「聴く」ためには以下の2つの聴き方に分かれます。
その2つとは、「受動的聴き方(パッシブリスニング)」と「能動的聴き方(アクティブリスニング)」です。
それぞれポイントは3つあります。


■「受動的聴き方(パッシブリスニング)」の3つのポイント
1.黙って聴く
これは簡単なようで意外と難しいです。
しかし、すべての「聴き方」のベースとなる姿勢です。
相手の話しに意見を割り込まずまずは黙って聴いてあげる聴き方です。
黙って相手を聴き、受容してあげることで信頼関係は更に強いものになるでしょう。

2.うなずく
「メラビアンの法則」をご存知でしょうか。
1対1で話したときに、どのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの「言語情報が7%」、口調や話の早さなどの「聴覚情報が38%」、あいづちやうなずき等、見た目などの「視覚情報が55%」の割合であったという実験結果があります。
この割合から「7-38-55のルール」とも言われ、「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれています。

話しの内容により大きくうなずいたり小刻みにうなずいたりする聴き方です。
大きくうなずくときは「なるほどねぇ〜」と言う意味があり、小刻みなうなずきは「もっと話して」という意味を持ちます。それにより相手は「聴いてもらえている」という満足感が得られます。


3.思いを引き出す
「それ、面白そうだからもっと聴かせてよ」「それ大変だったね。もう少し詳しく話して」「それについて、あなたのほうでも何か言いたいことがありそうだね」、「あなたにとって大事なことのようだね。詳しく聴かせて」等のようにひと言、付け加えることで相手を気持ちよく話させてあげることが大切です。
(※注意:実際の会話は「あなた」ではなく、必ず相手の名前を呼んであげてください。特に相手がお子さんの場合は名前を呼ぶことが効果的です)


■「能動的聴き方(アクティブリスニング)」の3つのポイントは…
1.話しを繰り返す
相手の発した言葉の語尾をこちらが繰り返して発しながら聴く方法です。
会話にいいリズムがうまれて話しやすくなります。
そして、相手は「自分の話を聴いてもらえている。理解してもらえている」となります。

ただし相手が意見を求めている場合は繰り返しによる聴き方はいったん中断してください。
相手から何かを質問をされている場合にその質問を繰り返しても堂々巡りになってしまいます。
その際は、はっきりと自分としての回答をしてあげるといいでしょう。

2.話しをまとめる
相手の話をある程度の段階でまとめてあげると会話のリズムにアクセントがつき、これも効果的です。
例えば、相手が悩みを打ち明けたとします。
悩みを打ち明け始めると人は一気に捲くし立てるように話し始めます。
それこそ途中でさえぎりたくなるくらいに。
その際に、最後まで聴いてそれをまた繰り返す方法(話しを繰り返す)をすると時間が掛かる作業ですし余計に混乱を生じます。
その際はある程度こちらで話をまとめてあげるのです。

3.気持ちを汲む
「それは嬉しかったね」「それは悔しいね」「それは腹が立つよね」。
こんなふうに相手の心の中の気持ちをこちらの言葉として伝えることで相手は安心した気持ちで話しを出来ます。
高級クラブに高いお金を払ってまで、サラリーマンが通うのは、高級クラブのママさんたちはこの「気持ちを汲む」等、聴き方に長けているからなのです。


■伝え方
相手に何かを思いを伝えるときには相手に「何を伝えたか」ではなく「何が伝わったか」が大切です。
それを意識することで、相手に対して自分はどれだけ大切に思われているかを実感させる効果があります。
それを伝えるためには「言葉」が大切です。

「これは言わなくても分かるだろう」、「恥ずかしくてこんなことは言えない」。
まずはそういった考えを排除して時間をたくさん使っていきましょう。

相手に思いを伝えたいときは、「Iメッセージ」が効果的です。
相手の行為や出来事を非難がましくなく、事実を述べる伝え方です。

相手にメッセージを伝えるとき、次の2通りの方法があります。
それは、「YOUメッセージ」と「Iメッセージ」です。
コミュニケーションを外す人は、往々にして主語が「YOU=あなた」の「YOUメッセージ」になってしまっているケースが多いです。

例えば…僕がリビングで本を読んでいたとしましょう。
そこへ子どもが入ってきてテレビを大きな音で見始めた。
僕は感情のままに…「うるさい!」「ボリュームを小さくしろ!」「隣の部屋で見なさい!」…と言ってしまう。
これは主語が「あなた=YOU」ですよね。
「“お前が”うるさい!」「“お前が”ボリュームを小さくしろ!」「“お前が”隣の部屋で見なさい!」

こちらの思いを正確に伝え相手とのコミュニケーションも外さない方法は主語が「私=I」の「Iメッセージ」です。

「お前が大きな音でテレビを観ることでお父さんは集中して本が読めなくて困ってるんだよ」…これが「Iメッセージ」です。

ポイントは「行動」「影響」「感情」です。

行動→お前が大きな音でテレビを観ることで
影響→お父さんは集中して本が読めなくて
感情→困っているんだよ

その後に「だから音を小さくしろ」と言ってしまうとせっかくの「Iメッセージ」がその瞬間に「YOUメッセージ」になります。
「Iメッセージ」で思いを伝えると相手はこちらの思いをちゃんと受け止めてくれるケースが多いと言われています。


■「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替え
自分の意見を伝え、相手の考えを聴くというのはコミュニケーション(会話)の基本です。
しかし、いくらIメッセージを活用して伝えても、「相手を変えてやろう」という想いが心の奥底にあると、しつこく何度も同じメッセージを発することになります。
これは「審判的表現」といい、圧力によるメッセージ(=お前が変われ!)になってしまいます。

その際は、まず相手の立場に立ち切って傾聴することが大切です。
これが「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替えのタイミングです。
相手の話を聴くことにより、相手の「抵抗」がとれて相手は安心して、自ら変わることができるのです。
また、相手の立場を理解することで、こちらの心にも変化が現れることもあり、他者理解と自己成長が同時に促進されます。

「期待と願望」、「推論と思い込みのズレ」が対人関係のトラブルの元になるのです。
大切なことは“相手を変えようとせず、相手を分かろうとせよ”です。


コミュニケーションとはキャッチボールのようなものです。いくら良いことでも一方的な話と言うのは聴いていてしんどいです。だから、コミュニケーションがドッジボールにならないように、「聴き方」や「伝え方」を意識して相手とのコミュニケーションを図り、信頼関係の構築に努めてください。
投稿日:2016-11-21
返信 4
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
そして、以下も参考にして頂きたい内容です。
投稿日:2016-11-21
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
「事実は1つ、受け止め方は2つ」

ある調査によると、日本の若者はアメリカ・中国・韓国の若者と比較して 自分自身を肯定的にとらえていない傾向にあるという調査結果が出ています。
しかし、自分自身を肯定的にとらえられない原因は、実は思い込みや勘違いの部分が大きいのです。
人間の習慣として、無意識のうちに脳へ条件づけされた習慣通りの行動を行ってしまうという傾向にあります。
専門用語では、物事をどのように受け止めるかという習慣を「思考習慣」と呼びます。
この思考習慣は以下の2つです。
「マイナス思考」→いつも不満やグチ、無理、できないという弱気なことばかり言っている消極的な人
「プラス思考」→いつも明るく、できることばかり考え、強気で自信にあふれた発言をしている積極的な人
このマイナス思考とプラス思考の差はどこから生まれてくるのでしょうか?
それは、フッと思い浮かべる「かも?」から生まれるのです。
たとえば、否定的なことを思い浮かべた人は、
「できないかも?」
   ↓
「できない姿・状況をイメージ」
   ↓
「あきらめる」
   ↓
「間違いないという否定的確信」

反対に肯定的なことを思い浮かべた人は、
「できるかも!」
   ↓
「できる姿・状況をイメージ」
   ↓
「その為に行動する」
   ↓
「間違いないという肯定的確信」

このように、世の中には 「プラスのかも」と 「マイナスのかも」の 2つがあります。

脳に浮かぶプラスの「かも?」は神様がくれた成功へのプレゼントであり、マイナスの「かも?」は あなたの人生を台無しにする悪魔のささやきでもあるのです。

たとえば、テストで思わぬミスをしてしまった。 よい結果が得られなかったという事実に対して、これを糧として努力を続け、次のテストでよい結果が出れば、最初の失敗はさらに学ぶための刺激、あるいはよい教材になったと言えます。
言うなれば、「失敗」ではなく「将来の教訓」なのです。

発明王と言われたエジソンは電球を発明するまでに1万回失敗しました。
しかし、「失敗だ」とは言わず、こう言いました。
「うまくいかない方法を1万通り発見した」 ・・・と。
まさに、この思考こそがプラス思考というべきではないでしょうか。

成功をめざす過程において良くないと思われる結果は「失敗」ではないのです。
むしろ「学ぶチャンス」、「成功へのプロセス」です。
言うなれば、この世の中に「失敗」はないと言えるのではないでしょうか。
このように考えられる人が「メンタル的にタフ」という人です。

ものごとには「出来事」があって「結果」がありますが、この「出来事」と「結果」の間には必ず「受け止め方」が存在します。
たとえば・・・
【否定的受け止め方】
(A)旅先で雨が降った
 ↓
(B)せっかくの旅行が台無し
 ↓
(C)憂鬱な気分で楽しくない旅行だ

逆に・・・
【肯定的受け止め方】
(A)旅先で雨が降った
 ↓
(B)観光客が少ないかもしれない
 ↓
(C)静かに景色を楽しめるな

自分に自信のない人は、どうしても、自分の「欠けている部分」に焦点が当ててしまいます。

「足(た)らで事たる身こそ安けれ 」
これは禅の言葉です。
「足らん、足らん」言い出したらきりがありません。
足らんけど、足りるところで楽しめる人が素晴らしいのです。
なにげない日常、ちょっとした出来事の中に幸せを見つけられる人、今ある環境を楽しめることは素晴らしいと思います。

思うようにいかないことなど山ほどあるでしょう。
それはそれで受け止めて、そこから学べることを探して次の事へ向かえるような、そんな受け止め方をしてみませんか。

経営の神様、松下幸之助はこう言います。
「運の悪い人とは “自分は運が悪い”と思う人。
運のよい人とは “自分は運がよい”と思う人。」・・・と。

出来事は常に白紙であり、その段階では、「プラス」も「マイナス」もありません。
要は今出来ていなくても、「やればできる」というプラス思考と 「やってもムリ」というマイナス思考の差なのです。

したがって、「事実は1つ、受け止め方は2つ」ということになるのです。

この世の中には、「失敗」も「不幸」もない。
それらは「成功」や「幸福」へのプロセスだ、と考えるとけっこう気持ちが軽くなり、「何でもチャレンジしてやろう」 という気持ちにならないでしょうか。

本気でチャレンジし行動すれば不可能だと思われていることも可能になるのです。
「夢は必ず叶います」

そのためには、先ほどからお伝えしている通り、「受け止め方をプラス」にする必要があります。
その「受け止め方」は言葉で表現されます。

私たちは言葉を使って、物事を受け止め、理解し、考え、表現しています。
言葉は脳の働きによって生まれる心(意識)を表現したものなのです。
言葉を変えれば、心が変わります。
心が変われば、脳の回路も変わるのです。

「プラス思考」とは、「プラスの受け止め方+プラスの表現」です。
脳と心は言葉によってつくられる 、言わば、「言葉は意識のコントローラー」なのです。

「できない」→「できる、やれる」
「ムリ」  →「大丈夫」
「イヤだ」 →「いいね」

心から「実現させたい」と思うことがあればプラスの表現を使いましょう。
断定的な言葉を使うことで、ドーパミンが分泌され、細胞がやる気を出してフル稼働するのです。
「できると思えばできる、できないと思えばできない」
苦しいときは 、「やれる」「できる」で乗り切りましょう!

よく、「性格は生まれつきのものだから絶対に変えられない」というご相談を受けます。
しかし、この考えは正しくありません。
心理学では人間の行動の9割以上が習慣によるものだといわれています。
つまり習慣を変えることで性格 (=習慣的性格)を変えることができるのです。

「過去と他人は変えられない
 変えられるのは未来と自分」

これは、カナダ出身の精神科医であり、1957年に交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱した、エリック・バーンの言葉です。

この言葉の通り、人の行為とか考え方とか、諸々は変えることは出来ないし、過ぎ去ったことも変えられません。
しかしながら、自分のこと、そして、これから起こる未来については、影響を与えられます。
だから、「自分自身」と「これから」にフォーカスをしていくことが大切なのです。

あなたの人生は、あなたの受け止め方・意識・言葉によるどのようにも変えることができるのです。
投稿日:2016-11-21
返信 6
ルンタさん
話すって削除
それって、じぶんは母親に暴力を振るわれたしご飯作ってくれなかったりしたから虐待だと感じていろんなところに助けを求めたと母親にいうって言うことですか?
真っ向から「私は虐待などしていない」と否定するおじさんと母親に。
じぶんが先生やいろんな人に話したことを全て捏造、嘘だと言って自分の子どもを虐待した親だと言いふらされた可哀想な母親だと思っている母親に自分が思っていることを話せということですか?

自分がもし、こんなことなかったすべて嘘でした。ごめんなさい。と、謝ったとします。
そしたら、母親は許してくれますか?
そんなこと、謝るのなら助けを求めるななんていうに決まってますよ。

母親自身の問題に目を背けてこどもの問題を大きくして「あなたのせいで、私は…」と今でさえ子供を責めるんです。
せっかく、仲良くしよう。親子なんだし。と思って接しても結局は「虐待」というワードに引っかかって喧嘩になるんです。

第三者が、親戚とか以外で…
入ってくれないと話が進まないです。
その第三者すらも味方につけそうな母親だからこそそこも怖いとこなんですけど。
投稿日:2016-11-21
返信 7
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
なるほど。
そのような母親なら話しても無駄かもしれませんね。
本来は上記でご紹介した「Iメッセージ」で自分の思いを伝えることができれば大抵の場合、相手は理解してくれるのですが・・・。
きっとルンタさんのお母様には通用しないでしょうね。

であれば、変化を相手に求めても無駄です。
「過去と他人は変えられない。
 変えられるのは未来と自分」
これは心理学で学ぶ言葉です。

この場合、他人とは自分以外を指しますので、母親であろうが、他人は他人です。

であれば自分を変えることに意識を向けたほうがいいですね。
そのほうがルンタさんの自己成長にもつながります。

残念ですが、母親には「無関心」に徹したほうがいいです。
投稿日:2016-11-23
返信 8
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
「自分を変える」

「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」
これは、カナダ出身の精神科医であり、1957年に交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱した、エリック・バーンの言葉です。

この言葉の通り、人の行為とか考え方とか、諸々は変えることは出来ないし、過ぎ去ったことも変えられません。
しかしながら、自分のこと、そして、これから起こる未来については、影響を与えられます。
だから、「自分自身」と「これから」にフォーカスをしていくことが大切なのです。
そして、変えていくのです。

一方で、自分を変えたいけど変え方が分からない。自分を変える為にはどうするべきなのでしょうか?
まず…自分の中にも「変えられるもの」と「変えられないもの」…があることを認識することが優先されます。

この二つを分類してみると…
自分の中の変えられるもの→「思考」「行動」
自分の中の変えられないもの→「感情」「生理的反応」
…に区別できます。

例えば…
今、この掲示板を読んでるあなたに対して
「1+1は?」と聞いたら「2」と答えるでしょうし(思考)
「PC(またはスマホ・携帯)に向かいながら首を回して」と言ったらそのようにできるはずです。(行動)
このように「思考」や「行動」はインストラクション(指示)があればすぐに変えられます。

ところが!
「電車に乗り合わせた見知らぬ人を好きになってください」と言ってもいきなり好きにはなれませんし(感情)
「胃液を通常の5倍出してみてください」と言っても自分ではコントロールできません。(生理的反応)

「感情」や「生理的反応」はダイレクトには変えられないものです。

それを踏まえると…「自分を変える」ということは「思考」と「行動」を変えるしかないのです。

…でもこれが難しい。
ホームで電車を待っているとします。これがまた、ちょっと急いでいる時に限って遅れる。
だいたいの皆さんは電車が来るべき方向を覗き込みイライラしてしまうでしょう。
しかし、いくら覗き込んでも電車が来る時間は変えられません。…にも関わらず僕たちは覗き込んでしまう。
「変えられないもの」とは分かっているものの一生懸命イライラを募らせているのです。

自らの力では電車が到着する時間を変えることが出来ないのであれば待っている時間に新聞や本を読むとか調べものをするとかした方が時間を有効に使えますし自分にとってもプラスなはずですよね。

このように日常の良くあるケースから徐々に「思考」や「行動」を変えていくクセをつける。
これが自分を変える近道であり、その先の未来を変えていけるヒントがあるのだと思います。

心理学では「過去は変えられない」といいます。
でも、このように自分を変えることで今現在の物事に対する受けとめ方や、捉え方が変わり、もしかしたら…「過去の事実」は変えられないにしても「過去の形」くらいは変えられるかも知れません。
投稿日:2016-11-23
返信 9
ルンタさん
今までは削除
今までは、こんなこと考えないようにしてたしそれ以上に楽しいこと見つけたしそういう生活続けてたのにいまは、母親の言った言葉がずっとループしててひたすら、自分があの日周りにいうからこうなったんだって自分をひたすら責めてます。
過去なんて変えることができないくらい知ってます。
それくらい…
投稿日:2016-11-24
返信 10
なっちゃんさん
辛いですね削除
横からすみません。

辛かったですね。
私も母から、幼少の折りよりしつけというなの、虐待を受けていました。
虐待って言葉、そのとうじ、知りませんでした。
母が絶対君主のような、また怒るとヒステリックになり、まわりに私の友達がいようが怒鳴り散らし、近所を走らされ、えつという、線香に火がついたのだ手をじゅっとされたり、、髪をひっぱられ、椅子からひきずりおろされ、、宿題も字がきたない!!!と破られ、、。

社宅なので、まわりも気づいてました。でも、誰も何も言いませんでした。母は、まわりにも、育てにくい子で、手がかかるなど言っていました。

大人になり、あの頃のことを話すと、
はっ、今さらそんなこと言ってなんになるね、過去は消さないよ。あんたが悪かったから、躾でしていた。と。
それでも、謝ってというと、、あんたは頭がおかしい。昔のことをガタガタ言うな。あんたも親になったんだから、そんなこと言うな。私が大変だった意味がわかるのよ。といいます。
そして、現在、我が家に干渉しっぱなしです。

母は、、母子家庭で育ちました。祖母は地域でも変人と言われた人で、孫には優しかったですが、、母には毎日電話して、あーだこーだといってました。
祖母のそんな姿に辛い思いをしていた母。はけ口だったのか、今は、同じ道を歩んでます。
今度は、私を苦しめてる。そう思ってしまって憎みました。

先生がいわれるとおり、過去はかえることは、できない。
まして、相手を変えることなんて不可能と感じてます。

ルンタさんの母親、おじさんは決して決して認めないでしょう。自分のしたことなんて。

あのとき保健所に相談したルンタさんは間違いではないです。そのまましていたら、どうなってたか、、。

お母さん方にとって、ご飯とか作らないとか虐待のうちに入らないという考えかもしれません。
本人は、ずっと作ってなかったのに、たまたま作らなかったのを虐待とか言ってさ。許せないと。
事実は、受けたルンタさんしか分からないです。だから、あなたがウソを言ったとか、相談したとか間違いではないです。
身を守るためだったのだから。

今は、親子関係がいいのですか?
謝れって、言われたらはいはーい、ごめーん。くらいに言って、心なくても。
お母さんは、一生気づかないでしょう。
自分がした過ちを。
私の母と同じにしてはいけませんが、、私の母は、70才前になっているのに、いまだ変わりません。謝りません。
本人が気づかなければ、前には進みません。

ルンタさん、あなたは間違ってなかったと思います。
責めをおうのは、あなたではありません。
親子だから、仲良くなりたい。本当にそうおもいます。私も一時期思いましたが、仲良くなるには、相手も自分がしてきたことを向き合い受け入れているかどうか、そこを求めてました。
そんなこと無理だと分かったとき、わざわざ仲良くなろうと思わなくなりました。戦いの日々は、自分がつかれます。

首を絞めたりそういうことをして、お母さんは、どんないいわけで話すのですか。躾でやったといって、殺すのと同じな気がします。

ルンタさんは悪くない、、
心から、謝らなくていいです。
仲良くなりたいのなら、ウソで謝ればいいのでは。
だって、相手は、自分がやって来たこと絶対変わらないし認めない。そんな人にわかれ、といっても無理。
ルンタさん、自分を責めないでくださいね、
私もそうでした。
でも、やはり虐待には、どんないいわけもききません。
だから、ルンタさんは間違ってなかった。
どうか、これからのルンタさんは、自分の未来を見てください。

横からすみません。

私が何十年も母との確執できつくて、、辛くて、、でも近くにいるからイヤでイヤで。
今は、耐えること、今は、楽しいこともあるのはこの世に生まれてこれたから、嫌いだけど母が生んでくれたから、、そう思うように時折ですが、、してます。




投稿日:2016-11-24
返信 11
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
受け止め方を変えることで・・・
「過去の事実」は変えられないにしても
「過去の形」くらいは変えられると思いますよ。
投稿日:2016-11-25
返信 12
伊藤幸弘教育研究所さん
なっちゃんへ削除
心温まるメッセージですね。
ありがとうございます。
投稿日:2016-11-25
返信 13
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
この場ではこのように色んな方の意見やアドバイスを聞くことができますので、どうぞ参考にしてみてくださいね。
投稿日:2016-11-25
返信 14
ルンタさん
違うことで削除
自分は今年で卒業で担任の先生も定年退職になるのでクラスのみんなでドッキリを仕掛けようということになって、今、ドッキリのネタを考えてる人がいるんだけどそのドッキリは、ある人がクラスのみんなを殺していくっていうドッキリでそのある人が殺人を犯す動機を考えている人が「むかし、殺される予定の人たちにいじめられてたってことにしよう」って言ってその周りの人がイジメネタにすることに決めてしまってそれで話が進んでるんです。
自分は、過去にいじめを受けてて復讐をしたいと思ってました。だから、イジメネタを面白おかしく使用って考えてる人が許せなくて、今日、Lineでその考えてる人に「イジメをネタにするのはよく無いと思う」って言ったらわかったっていう返事が返ってきたけど、そのあと教室に行ったらまだイジメネタの話をしててすっごい不謹慎なのに本人たちは担任の先生をおどかすにはってのしか頭に無いみたいで、どうすればいいかわからなくて他の先生に話をしてみたらクラスのみんながイジメネタに賛成したわけではないのだから、誰かは多分反対すると思うから聞いてみなって言われたんで、聞いてみたら「別にイジメネタでもいんじゃない」っていう返事が返ってきて、みんな頭おかしいんじゃないかなって思ってその怒りと悲しみで過去のいじめの記憶が蘇って寝れなくなったり吐き気したり頭痛くなったりしてて、それと、学校が礼拝ってのをやる学校なので、今日、自分は放送局員なので放送礼拝というものでアナウンサーを急遽(アナウンサーの人が休みだった)やることになって、本当は焦ってどうしようどうしようって思う気持ちを押し殺して頑張って礼拝終わったけど、放課後に違う先生に「もうちょいしゃきっとしろ」っていわれて、自分はあれが、この不安定ななかで精一杯だったのに否定されていろんなことが積み重なって誰かに話をしたいけと、自分が信頼してる先生は生徒会の顧問で夜遅くまで会議したりしてて忙しいのはわかるけど、わかってるからこそ話したいってのが大きくなって、最近はずっと情緒不安定で、中途半端に傷つきたくないって考えるようになって死ぬなら死ぬし生きるなら生きたいってどっちか選べって自分で自分を追い詰めて自分は生きたいけど生きたくてもこの状態で生きていくのは本当辛くて、自分でもどうすればいいかわからない。

我慢我慢して、そしたらなにか変わってくれるのかな。
自分にはもうわかりません。
投稿日:2016-12-06
返信 15
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
なんて低俗な案なのでしょう。
それを推進している中心的な子も、それを看過している人も、先生も・・・。

同類にならないことです。
そう言った意味では・・・
「イジメをネタにするのはよく無いと思う」といえたことはとても素敵です。

クラスという狭い世界ではそれが受け入れん\られないにかもしれませんが、大きな社会ではルンタさんの方が正論ですし、なにも間違っていない。

だから自信を持ってください。
投稿日:2016-12-06
返信 16
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
「和して同ぜず」という諺のように、人と親しく協調しながらも、自分の信念(心)を曲げてまで同調する必要はないのです。
皆と必要以上に合わせる事を重視し過ぎると、心にストレスを溜め込む原因となります。

時には「断る勇気」を持つことが大切なのです。
投稿日:2016-12-06
返信 17
ルンタさん
不眠削除
不眠が続いてます。いろんな悩みに押しつぶされて、夜になるとなんでもないことで悩んで傷ついて自分をせめ続けてます。
そんな心の状態でも朝にはもやもやした気持ちを押し殺して学校に行きます。でも、やっぱりなんでもないことで悩んで、授業にも集中できません。ついには死にたいとまで考えて、先生に話を聞いて欲しくて「今日時間ある?」って聞いても明日と明後日でスポーツ大会があり、その準備で忙しいと返事が来てそんなことはわかってて自分でどうにかしなきゃいけないし我慢しなきゃいけないけど、「僕がこんなに悩んでるのは先生にとっては関係の無いことなんだよ」とか「みんな死ねばいいと思ってんだよ」っていう考えで頭がいっぱいになって、それでも、その先生にしか話せないことだしそれ以外の先生だと話しづらいから…。

どうしたら、先生は自分の心の叫びを聞いてくれるんですか。
なにをしたら、「助けなきゃいけない」っておもってくれるんですか。
投稿日:2016-12-07
返信 18
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
先生も聞いてくれればいいのに…と単純に思ってしまいます。
時間がなさそうなら、手紙にして渡してみたらどうでしょう。
文字に残すことは大切ですし、それなら時間の空いているときに読んでくれると思います。
投稿日:2016-12-08
返信 19
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
ただし、その先生は相談するに値する人かどうかの見極めも必要ですよ。
ビジネスの世界では「報・連・相」が大事だといわれます。

これは・・・
「報告・連絡・相談」の意味です。

報告は、指示を受けた人に対して。
連絡は、関係するすべての人に対してて。

そして、相談は、その問題・課題を解決してくれる人に対してです。

その先生が問題・課題を解決してくれる存在であることが相談の大前提でwす。
投稿日:2016-12-08
返信 20
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
今、ルンタさんは自分に自信を無くしてしまっている状態なのだと思います。
自分に自信を持つヒントを以下にまとめましたので参考にしてくださいね。
投稿日:2016-12-08
返信 21
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
「自信を持つ方法」

自信をどうすれば持つことができるかという悩みを持つ人は多いです。
未来を想像して立ち向かう勇気がないとき、恐ろしくて仕方ないときは誰にでもあります。
目の前の不安に立ち向かっていくための力が湧かない時、自分の中に確たるものが欲しくなるものです。
こうしたとき、どうすれば強く揺るぎない自信を持つことができるでしょうか。

以下に「自信を持つ方法」を何点かご紹介します。
参考にしてください。


■自信過剰――自信とは思い込みのこと
まず、自信とは思い込みのことだということを知ることです。
例えばあるバスケ選手がシュートを打つ時、理屈では入る可能性も外れる可能性も両方あります。
しかし、自信家はそこで外れる可能性を無視して「入る」と思い込むことができるのです。
彼には理屈など関係ないのです。
では、どうすればこのような理屈を無視した心境に至ることができるのでしょうか。

実力と自信の関係は単純な相関関係にはありません。
失敗の可能性を知って不安を抱くのは、純粋なイメージの働きです。
優れた体格と技術を持っていても、自信のないスポーツ選手はいるものです。

自信の仕組みを知るには、何が人の思い込みを強化するかについて考えましょう。
階段を昇る時、底が抜けてしまうことを心配する人はいません。
でも、よく考えれば、底が抜ける確率は0ではない。
しかし私たちは過去の「底が抜けなかった」という何万回もの体験を経て、階段の底が抜けるはずがないと思い込むことに成功しているのです。
つまり、自信は「成果」を重ねることで強化されるのです。
【ポイント1】自信は成果の積み重ねによる思い込みのことだと知る

■自信がない原因――自分の成果は自分で決める
自信は成果を重ねることで強化されます。
しかす、多くの人は、「何を成果とするか」を間違ってしまって自信を育てる機会を逃しているのです。
自信が育まれない最大の原因に挙げられるのは、物事を評価する基準を他人の意見に委ねてしまっていることです。
例えばある選手がシュートを決めた時、誰かが横から「そんなシュートは実戦じゃ通用しない」と言います。
多くの人はここで謙虚に「実戦じゃ通用しないんだ。もっと頑張らなくちゃ」というモノの見方をします。
謙虚であることが上達への秘訣だという風に思うわけです。
しかしこれでは「自分はシュートが入るんだ」と思い込むことはできません。

他人の評価というものは当てにならないのです。
本当に何がどのくらい良い事で、何がどのくらい悪いことか、正確な判定ができるような人はいません。
一つの行動は良い部分と悪い部分の集合体。
それに対して0点とも100点とも70点とも評価することはできないし、決定された点数はほとんど間違っているものです。
そんな他人の評価を真摯に受け止めてはいけないのです。

人の言葉に自分の成果を決めさせてはいけません。
多くの人は謙虚さを求めたり、厳しすぎる評価であなたの自信を砕こうとします。
他人の言うとおりに真面目に努力することは自信に結びつかないのです。
他人の評価など無視していい。しっかり努力を続けられるなら、自信過剰になっていい・・・というわけです。

また、他人と自分を比べてもいけません。
チームメイトがみな20点近くをとった試合で、10点をとったバスケ選手が「今日の自分はたいした成果はない」と判断したのならこれはおかしいのです。
10点を取ったプレイの中には必ず「うまくできた何か」があるはず。
その要素を少しずつ積み重ねることが、自分が「できる」と思い込むために肝心で、それを捨ててしまってはいけないのです。
どんな小さな成果でも見逃さずに拾い集める、それを日々続けることが自信の形成には不可欠です。

上を見ればキリがない。どんな場面でも、自分よりよい成果を出す人は近くにいる。
だから他人との比較で自分の成果を計らず、自分の中に成果を見出しましょう。
完璧な成果などなくていい。ミスや不完全さばかりにとらわれず、他人から見てそれがどんなに小さな成果であろうと、昨日の自分より少し上手くできたこと、新しい発見や挑戦があったこと、確実にできた課題などに、よく目を凝らせることが大切なのです。

つまり、他人がどう評価しようが自分で自分の成果を確認すること。
他人との比較ではなく、自分だけで判断できる基準で成果を積み重ねることが自信をつけるには重要ではないでしょうか。

だから「10点くらい取れて当たり前だ」といって成果を見えなくするような人とも付き合ってはいけません。
どんなに自信がある人でも、周囲から寄ってたかって「お前はダメだ」「大したことない」と言われ続ければ自信は揺らいでくるもの。
人の言葉は潜在意識に刷り込まれるくらい、馬鹿に出来ないものなのです。

あなたが気づかないような成果に気づかせてくれる仲間や、成果をよく褒めてくれて自信を強化してくれるような人の近くにいるのは大切なこと。
人に認められたいという欲求に突き動かされるのではなく、あなたに感謝の意を示してくれたり、あなたを認めてくれている人と付き合うようにしましょう。
周囲にそんな人がいない…という人は、せめて自分自身が自分自身に感謝し、認めてあげましょう。

【ポイント2】他人からの評価や他人との比較ではなく、自分自身で成果を見出す
【ポイント3】否定的な評価に耳を貸さず、肯定的なことを言ってくれる人と付き合う

■小さな成果を見出すために必要なこと
他人からの評価を気にしたり、他人との比較をしたり、あなたに否定的な他人と付き合ったりしなければ、少しずつあなたの自信は育まれ始めます。
ですが、それでも自信を持てないのなら、あなたは「自分で自分の成果を確認する」ことが苦手なのかもしれません。
その時は多くの人がハマりがちな「認知の歪み」を疑ってみましょう。

認知の歪みとは「完全主義」や「過大評価」、「拡大解釈」や「マイナス思考」「べき思考」や「レッテル張り」など、現実を極端な見方で把握してしまう思考のクセのことです。
色々な物事について「いつも」「みんな」「絶対」といったような偏った考え方をしてしまう。

例えばバスケットなら大事な場面でフリースローを打つときに、入る可能性を無視して「きっと入らないだろう」という誤った認知を抱くケースがあります。

認知の歪みによって私たちは「シュートが入ったがたまたまに違いない」「チームが負けたのはすべて私のせいだ」「私は絶対に○○すべきだったのに出来なかった」というような負の認知に引き込まれ、自分の小さな成果に気づくことができなくなるのです。

ですが、「シュートを練習しただけあってよく決められた」「チームが負けたのは私にも少し責任があるが努力はできた」「○○できればいいとわかったのは今後のプラス材料だ」とも考えられます。
実際に一流のアスリートは、認知の歪みに対抗するためにこういったポジティブなセルフトーク(ひとり言)を心理的なスキルとして身につけているのです。

あなたがもし、ここ1週間で自分の中に何の成果も見いだせていないとしたら、おそらくこの認知の歪みにハマっているのでしょう。
失敗は挑戦したとも言えるし、サボりでさえ休息だとか自分を大切にしたと言えるのだから、自分で自分を追い詰めるようなモノの解釈をやめて、自分を励ましてあげましょう。
誰かがフリーでの3Pシュートを決めた時、「まぁフリーなら入るだろう」という現実を採用することも出来るし、「すごい、あんな遠くて高いリングにボールを通すなんて!」という現実を採用することも出来ます。
現実をどのように解釈・認知するかは、まったく個々人の自由だというのはこういうことなのです。
そして私たちはその気になれば、現実をよい方に解釈することが出来るのです

しかし成長を強く望む人の多くは、「まぁフリーなら当たり前だな」というストイックで厳しい現実を採用してしまいます。
自分が跳びたいのはもっと高いハードルなのだから、これしきで満足してはいけないという心理がそうさせるのです。
ですが、これは本当によい態度なのでしょうか?


■成果は日々、確認・記録しよう

あなたは活動し努力していく過程で、認知の歪みに気を付けて自分の成果に着目し、自分を励ましながら自信をつけていくことができます。
ここで気を付けてほしいのは「日々の成果を記録する」プロセスが抜け落ちてしまうと、実力はあっても思い込む力の足りない、自信のない人になってしまうこと。
人の忘却力を侮ってはいけません。人は自分が成し遂げてきたものをすぐに忘れてしまう生き物なのです。

ですから、日々の成果はきちんと記録しましょう。
物事を少し前進させたり、何かを達成したらそれはとても大切な成果なのです。
しかし、人間はそういった細かな成果をすぐに忘れてしまう。だから日記を書くことが自信を持つためには大切なのです。
反省点だけではなく、どんな小さいことでもいいから成し遂げたこと、成果をノートに書きましょう。
それは毎日の「できる」という思いを強化するし、あとから振り返った時に自信に大きく貢献してくれるはずです。

こうして日々をぼんやりと過ごさず、「これができたのは良かった。次はこうしよう」という意識を持って成果を積み重ねていけば、あなたは徐々に「自分が何ができるか」ということを理解し始めます。
正確に言えば、「自分はこんなことができる人間」なんだという自己イメージを高めて、自信=思い込みができるようになるのです。

また、自分が「できないこと」もある程度わかるようになり、完璧をイメージして自分に失望したり、試合前に完璧にできるだろうかと不安になってしまうようなこともなくなります。
【ポイント4】成果はどんなに小さなことでも日々記録し、自分はこれはできるという自己イメージを作る


■自信がない――失望の予見に立ち向かう
地道な成果をいくら積み重ねても、自信という思い込みが解除されてしまう状況が存在します。
塀の上をまっすぐ歩くことは難しくはない。確かに多少は危ないが、何度か練習して自信がつけば、慎重に渡っていくことはできます。
しかしその塀が10メートルの高さにあるものだとしたら、とたんに難しさは増す。失敗した時に失うものの大きさに、足がすくんで一歩も踏み出せなくなる。塀を渡る能力も経験もある人でも、失うものの大きさによって自信を持つことはできなくなるのです。

このように、普段は自信を持って行えている事柄でも、失敗した時に大きなダメージを負ってしまうような状況に出くわすと、人は自分の能力を疑ってしまうものです。
「もしダメだったら」と考えて思い込みが解けてしまうのは、危険を察知し身を守るための人間の本能なので、逃れることは誰にもできません。
大舞台での残り1秒で1点差で負けているときのフリースローでは、コツコツと積み上げてきた自信は大きく揺らいでしまう。

こういった怖く不安な状況に出くわすことができたのなら、運が悪いと思って逃げてはいけません。
むしろ自信が揺らいでしまう状況に陥ったことを幸運に思おう。何故なら、こういった「自信が揺らぐ」ような状況は、真に強い自信を手に入れるために欠かしてはいけないステップだからです。
【ポイント5】不安なことに立ち向かい、克服してそれを成果とする


■自信喪失からの回復が本当の自信を作る
それは「失敗が真の自信を作る」というもの。
「歩いている時に雨に打たれそうだ」という不安を克服するためには、家で閉じこもっているのではなく傘を持って外に出る必要があります。
雨が降りそうなたびに傘を持って外に出れば、確かに「歩いている時に雨に打たれそうだ」という不安を克服することができるようになるでしょう。だがこれは真の自信ではありません。

何故ならこの場合では逆に「傘がなければ外に出ることができない」人になってしまうし「外に出ても傘の柄を常に握りしめていないとすぐに不安が押し寄せてくる」人になってしまうからです。
本当に必要なのは「雨に打たれたことがない」という経験ではなく、駆け足で走ったり屋根のある場所に入ったり、タクシーに乗ったりといった「雨に打たれても何とか回復してしまう」経験です。

失敗した時のことを何も考えないように努力するのは、本当の自信ではありません。
「自分は不安ではない!」とハイになって虚勢を張っているだけに過ぎないのです。
「雨が降っても大丈夫!」だと傘をきつく握りしめている人が、自信に満ち溢れた人に見えるでしょうか。
失敗をしても受身をとってまた立ち上がればいいと知ることこそが、柔らかく芯のある自信を作り上げてくれるのです。

だから一時の挫折は、本当に強い自信を作り上げるために欠かせないプロセスなのです。
挫折に出会うことができるのは、不安でも外に出ることのできる人だけ。
だからこそ、不安な事柄に日常的に挑んでいくことが大切になるのです。
逃げてばかりではいつまでも自信はつかないし、大舞台で活躍することはできない。あなたが上達して結果を残していきたいのなら、尻込みするような大舞台を目の前にしたら、幸運と思ってアクセルを踏む以外に選択肢はないと知りましょう。
そして成長志向に目覚めましょう。
挑戦した結果の失敗は、実は失敗ではない。それは自分自身が成長するプロセスを正しく進んでいることの証であり、よりよい挑戦のための経験を積んだということなのだ。
この解釈を間違わなければ、私たちは失敗を上手く受け入れて、恐怖心を無くすことができるのです。

【ポイント6】不安でも、挫折は真の自信へのプロセスだと知る


■実際に大舞台を越えていくコツ
これまでのポイントに気をつけて日々を過ごせば、あなたは不安に立ち向かいやすくなっているはずです。
たとえば他人基準で成果を計らなければ、失敗して評価を落としたりする恐怖から解放されるのです。
認知の歪みに気を付け、日々成果を確認して自分ができる範囲を理解しておけば、完璧にできなかったらどうしようと案じて不安を増幅させることもありません。
そして、具体的な行動をイメージで、「出来る気がする」という自信をもって「真の自信をつかむために不安に飛び込む」ことで、ワクワクドキドキしながら大事な場面に飛び込んでいきましょう。


■自信を取り戻す方法――失敗を許そう
もしあなたが不安になるような大一番で成果を残せたのなら、それは本当に素晴らしいこと。
忘れずに成果を記録しておきましょう。
これでますますあなたは不安に立ち向かいやすくなり、成果を挙げやすくなります。

望んだような結果が出なかった今までは、残念で打ちひしがれていることでしょう。
しかしこれは真の自信を得るために必要なこと。
どうにかして自分を回復させよう。まずは全てを失敗とみなさず、他人の目や評価を気にせず、わずかでも自分が実現できた成果に注目してみましょう。
それが次回に、「不安の中でもこれだけはできた」という自信になってくれるはずです。

一番やってはいけないことは、それが自分であれ他人であれ悪者を見つける作業。
私たちはときに、「物事が上手くいかないのは自分か誰かがミスをしたり間違いを犯したからだ」という考え方をしてしまいます。
これは間違っています。悪者が成功を妨害する状況より、誰も悪くないのに結果が出ない状況のほうが現実には多いのです。

だから自分を責めることは避けよう。
一度自分を強く責めてしまうとトラウマになって、次はもっと不安に挑むことが難しくなります。
自分を許すことができれば、失敗からより素早く立ち直れます。
そして誰かを責めるのもやめること。
自分は最善を尽くしたのに結果が出なかったとしたら、ついつい誰かを責めたくなります。
ですが、自分だけが悪いわけではないのと同様に、誰かが悪いわけでもないのです。

【ポイント7】失敗は許して責めず、再び不安に立ち向かう


■自分を好きになろう
こうした不安に立ち向かって成功や失敗を繰り返していくと、恐怖や不安は自分の外側からではなく、内側からやってくるということに気づけます。
自信がない人は不安の原因が「大事な試合」や「未知の状況」や「いかにも雨が降りそうな空」にあると思っています。
どうして自分がこんな状況に遭遇しなければならないんだと思うことさえあります。
だが誰かや何かが悪いわけではないのです。すべては自分次第、自己責任なのです。

この自己責任という考え方は重要です。
自分の失敗を許す姿勢の上に、全てのことを自分で引き受けていこうという心持こそが、もっとも深い自信を持つ人の態度だからです。
これまで見てきたように自信とは「自分は何かができる」と確信することではなく、「自分が傷つくような不安に対しても、努力して向かっていける勇気があると感じる」ことなのです。

だから自信を作るとは「他人からの評価を脱して、困難なことにも立ち向かう自分のことを好きになるプロセス」だということができる。「不安に立ち向かっていった自分」という成果を確認していくことで、あなたは臆病だった自分のことを見直す。つまり自分のことを好きになって、「自分ってこんなに勇気がある人間なんだな」と自己イメージを高めることができるのです。

挑戦を繰り返し、自己イメージが高まった状態を長く保ってみよう。
あなたはやがて「自分は勇気がある」と思い込むことができるようになります。
「自分は階段を昇る勇気がある」と確認しながら階段を昇る人はいないように、そのときにはもう大舞台を前にしても「自分に勇気はあるだろうか」という問いかけすらも思い浮かばないほど、自信に溢れた人になっているはず。

【ポイント8】失敗と成功を何度も繰り返して、自分を許し、好きになり、真の自信を手に入れる
【ポイント9】自分は自信に溢れた人間なんだと思い込むことで自信が完成する

不安への挑戦を何度も繰り返そうではありませんか!

最後に【ポイント】をまとめます。
1.自信は成果の積み重ねによる思い込みのことだと知る
2.他人からの評価や他人との比較ではなく、自分自身で成果を見出す
3.否定的な評価に耳を貸さず、肯定的なことを言ってくれる人と付き合う
4.成果はどんなに小さなことでも日々記録し、自分はこれはできるという自己イメージを作る
5.不安なことに立ち向かい、克服してそれを成果とする
6.不安でも、挫折は真の自信へのプロセスだと知る
7.失敗は許して責めず、再び不安に立ち向かう
8.失敗と成功を何度も繰り返して、自分を許し、好きになり、真の自信を手に入れる
9.自分は自信に溢れた人間なんだと思い込むことで自信が完成する


自信をつくるというのは、自分の「できる」という思い込みの範囲を拡張していくこと。
他人基準ではなく自分基準で成果を探し、それを蓄積して不安に立ち向かっていくことで、あなたは必ず強い自信を持つことができるようになるのです。
自信とは性格の問題ではなく、日々の習慣の問題。
心がけ次第であなたは変われます。

このアドバイスでどうか自分を心の底から信じて、素晴らしい体験を勝ち取ることができますように。
投稿日:2016-12-08
返信 22
ルンタさん
深い悲しみ削除
死にたいと思ってた自分に嫌気がさした。
それは、関わりある人が死んだから。

目を閉じるとそいつの顔が浮かんで寝れなくてそいつに恥じない生き方してないから。
死んだやつは生き返らないし、失ったものも返ってこない。
命は大切なものだって知ってる。
ぼくはしねなかったのに一番、愛されてたやつが死んだなんて信じられない。

死んだやつの分まで生きろってドラマとかよく言うけどさ、どうやったらそんなふうに生きれるの?
どうやってみんな立ち直るの?

ぼくにはなにもわかんない。
この悲しみを誰にぶつけるべきか、それとも自分で抱えて考えるべきか。

もう、なにもわかんない。
投稿日:2017-01-27
返信 23
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
関わりのある方がお亡くなりになったとのこと。
それで心を痛めているのですね。
心よりお悔やみ申し上げます。

どうぞその人のことを無理に忘れようとしたりしないでください。
一生その人のことを想っていていいのですよ。
投稿日:2017-01-28
返信 24
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
>死んだやつの分まで生きろってドラマとかよく言うけどさ、どうやったらそんなふうに生きれるの?

亡くなった方の分まで生きる必要はないと考えます。
ではそうすればいいか。

それは「自分のぶんだけ」でいいのです。
もちろん、亡くなった方を「想う」気持ちは大事ですし、失くしてはいけません。
それは自分の人生を精一杯生きながら・・・が大前提です。
投稿日:2017-01-28
返信 25
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
>どうやってみんな立ち直るの?

無理に立ち直る必要はありません。
よく「時間薬」と言われますが、時間が解決するということもあります。

また、誰かが手を差し伸べてくれるのであれば甘えていいのです。
辛い思いを聞いてもらったり、何か助言をもらったり・・・。

ある方は親愛なるお父さまを亡くされて落ち込んでいました。
でもこう思うようにしたそうです。
「肉体は亡くなってしまったけど、“こんなとき父だったらどう思うだろう”“どんな判断をするだろう”こう思う度に、父に会える!」・・・と。
投稿日:2017-01-28
返信 26
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
>この悲しみを誰にぶつけるべきか、それとも自分で抱えて考えるべきか。

誰にもぶつける場がなければこの場を活用してください。
この場で悲しみを吐き出してください。

決してひとりで抱えて考え込まないでください。
投稿日:2017-01-28
返信 27
ルンタさん
こんなとこに書いていいのか…削除
ぼく、廣岡さんに会ってみたい。
テレビとかでよくそういう人見るし動画とかでも見るけどここのひとはなんか、ちゃんと同じ目線で考えてくれる人がいる気がします。
上から目線とか力で抑えこもうとかする大人を見てきたしそういう人たちには僕も好印象持ってなかったけどなにかわかんないけどたまたま伊藤学校の動画見て「へー、このひと違う人だ」って感じをうけました。
けっこう、荒いとこもたまにあるけど優しい(かもしれない)し、すっごくいい人なんだろうなって思いました。
なんでこの掲示板に来たかわかんないけどここに来たことによってぼくは、なにか変わった気がします。
投稿日:2017-01-31
返信 28
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
廣岡の動画を見て共感いただきありがとうございます。
廣岡も多忙を極めているためになかなか個別で会うことは難しいのですが、時々セミナー等を開催しています。
お住まいの地域での開催時には是非ともお申込みください。
このホームページにて告知しております。
投稿日:2017-01-31
返信 29
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
ちなみに・・・
セミナーは現在は予定はありません。
トップページのものは昨年の告知です。
お間違えないように。
投稿日:2017-01-31
返信 30
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
廣岡のオフィシャルサイトは以下となります。

http://masamills.com/
投稿日:2017-01-31
返信 31
伊藤幸弘教育研究所さん
ルンタさんへ削除
>なんでこの掲示板に来たかわかんないけどここに来たことによってぼくは、なにか変わった気がします。

この言葉が一番嬉しいです。
人は本気で変われると思った人だけが変われます!
投稿日:2017-01-31
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