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お悩みNO.276
tomさん
小学校 不登校削除
初めての相談です。
小4男児
6月頃より不登校です。
学級委員をしたり、率先して友達を引っ張っていく、明るく元気な子どもで、いつも周りには友達があふれていましたので、信じられないというのが、最初の正直な気持ちでした。
世間でよく言われる、《感受性が強い 正義感の塊 真面目 プライドが高い》そのままの子どもです。
一学期終わりは生きていく気力を失い、自己否定の日々で夏休みを迎えましたが、家族で共に過ごし、友達と遊ぶ中で、少しづつ自信と元気を取り戻しました。毎朝励まし、毎晩話をし、二学期は保健室や他教室等を利用しながら、休まず学校へは行けています。
こんな形の登校で三週間に入ったため、時々帰る教室で劣等感や不安感を感じてしまい、家ではイライラや不安・焦燥感が膨れ上がってきています。
母親の私が仕事を長期休業し、息子に寄り添って励ましていますが、この時期に、どんな言葉がけをしてやればよいか悩んでいます。
息子曰く、友達は大好きだけど、教室のあの雰囲気がたまらなく嫌いで、逃げ出したい気持ちになるんだ。特に朝のあのどんよりとした雰囲気がイヤだ…と。
親として、息子にしてやれる事でまだ足りない事は何だろう…と必死に考えていますが、分かりません。
よいアドバイスがあれば教えていただきたいと思います。
投稿日:2014-09-19
返信 1
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
はじめまして。
書き込みありがとうございます。

小4の男の子の不登校に関するお悩みですね。

これからこの場を通じていい方向に進むように一緒に考えていきましょう。

さて、その前に「不登校」について正確な知識を親も得てもらえればと思います。

以下、不登校に関してまとめてみましたので参考にしてください。

そもそも、不登校とは、次の定義があります。
「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」。
なお、不登校については従来、学校基本調査において30日以上欠席した児童生徒について、その理由別区分として「病気」、「経済的理由」、「学校ぎらい」、「その他」として調査していたところ近年「不登校」という名称が一般的に使用されるようになったことに鑑み平成10年度の調査から上記区分のうち「学校ぎらい」を「不登校」に名称変更した経緯があります。
親として不登校を正確にご理解いただくために、以下の内容をまとめましたので参考にしてください。
・現在では不登校児は約13万人といわれている。
・不登校を生み出す原因のひとつに親の過干渉(先回り)があげられる。
・このように育てられた子供は自立心が育たない、人をすぐに頼る、人のせいにする、幼い、わがまま、神経質なくらいきれい好きかその逆、人の顔色ばかり見て自分を出せない…etc。
・小学校の頃は友人とよく遊ぶ。(友人が多いのではなく誘いを断れない)
・中学生くらいになるとわがままで融通性がない性格が表れて友人が離れていく。
・昼食はひとりで過ごすことが多くなり校内を徘徊して時間をつぶす。そのために周囲からは気持ち悪がられて精神状態は悪化して次第に不登校へとなる。
・また不登校へのきっかけとしては大人にとっては取るに足らないことも多く、はっきりした原因や理由が不明なケースが多い。
・不登校の症状としては、37度くらいの微熱、頭痛、腹痛、吐き気が4大症状。その他には冷たいものを良く飲む、不眠、うるさいと口走る、昼夜逆転、部屋にこもる、ゲーム・ネットにはまる、家族と顔を合わせない、部屋に誰も入れない、自分より弱い妹・弟に強く出る、親と一緒に寝たりお風呂に入る(退行)。
・不登校を生み出しやすい家族としては、夫婦関係が悪い、家族の誰かが亡くなる、過干渉、放任、父性・母性の欠如、母子関係が強すぎる、兄・姉の非行・不登校・引きこもり、親が異常に学歴や世間体を気にする、親が宗教熱心な信者、親が定職に就かない、親の失業、転勤、厳格、威圧的、神経質。
・不登校の子どもを無理に学校へ行かせることはインフルエンザで高熱が出ているのに解熱剤で強引に熱を下げるのと同じで余計に悪化してしまう。
・不登校の子どもは弱者ではなくむしろメンタル面は強い。思い込みが激しくこだわりが強いために周囲に溶け込めない。
・子どもには文句を言わせることが大切。「あの時はこうだった」「あの時、ああ言われた」…。親は黙って横に座り目を見て聴いてあげることが大切。
・不登校児の3割が引きこもりになる。

【不登校の子供の親の不安】(一般例)
?学力の遅れで進学が出来ないのでは?
大切なのは生きる力、知恵、人との関わりであり学校以外でも充分に養える。
?社会性や適応力がみにつかない?
学校以外で自分らしさを発揮できる子がいても良い。現在の学校システムに合わない子がいても不思議ではない。
?学校くらい我慢できないで社会で通用するのか?
必要な我慢もあれば有害な我慢もある。身を削って学校に通うことがマイナスになる。学校は命まで削って通う場ではない。
?無気力人間になるのでは?
無気力で学校に行かないのではない。体調の不調は身体防御反応。
?学校に行かないのならせめて○○してほしい。
学校に行かない代わりに何かをするというのは無理な要求。じっくりと子どもの成長をみる心のゆとりが必要。

【不登校の子どもを持つ親に向けて】(我々からのアドバイス)
? 不登校の状態を責めたり、刺激したりしない。
? 子どもの良い面を見つけ、認めて、誉めて、信頼する、
? 一番悩んでいるのは本人であることを理解する。
? 子どもの言葉や言動から心の中にあるものを理解する。
? 一人の人間として子どもを認める。
? 絶対に焦らず、長い人生のうちの休憩だと思うこと。
? 親に勉強する機会をくれた子どもに心から感謝する。
? 親の焦りは子どもに伝わってしまう。大きな心で子どもに接する。
投稿日:2014-09-19
返信 2
tomさん
引き続き削除
早々の返信をありがとうございます。
私たちなりに色々読み、たくさんの方に相談し、とにかく家族だけで抱え込まないようにしています。
でも、根本原因と言われると、前回の書き込みのように子どもの性格?と、疑問に感じてしまいます。
ただ、子どもという対象で見ると、他の子と比べて特別偏った感じもしない気がします。
あえて言えば、人に喜ばれる事や、人を助ける事が大好きで、困った人を見ると、老若男女問わず助けに走るおせっかいな部分は強いです。
家庭的にも大きな問題はないと思っていますが、自分たち家族同士では、見えてない部分もあるのかもしれません。
息子とは、登校時に毎日歩いて一緒に学校まで行っています。足取りに、息子の葛藤がみてとれます。
私の考えで伝えている内容ですが、「学校はあくまで通過点で、ゴールじゃないんだよ。あなたは9歳の社会人として、沢山の経験をすることができる便利な施設が《学校》っていう社会なんだよ。沢山の人が集まって、いろんなものが揃っていて、あなたの可能性を伸ばすには、母さんと二人で過ごすよりもずっといいかもね」と、繰り返し話しています。
一学期の頃、息子は自分の状態を「越えられない高い厚い壁があるんだ。出口が見えなくて苦しい」と表現していました。
二学期に入って「その壁って、一学期と同じように見える?」と聞くと、「同じ壁なんだけど、少し違ってみえる。厚いコンクリートみたいなのが、木の板みたいになった。僕は、壁に体当たりしては跳ね返されるのを繰り返しているからダメなんじゃないか…と思うんだ。手を使わずに、気合で破らなきゃいけないと考えたんだ」と、つい先日言っていました。
子どもなのに、とても客観的に自分を見つめていると感心させられます。

昨日は、皆に遅れた分の活動を取り返したいと、自分から先生に申し出て補習してもらうんだと言っていました。
こんな風に悩み、努力している息子を見ると、一日も早く皆のところへ参加させてやりたいと考えていますが、保健室登校からがなかなか進まず、私も脳ミソをフル活動させている次第です…。

投稿日:2014-09-20
返信 3
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
色々な情報を収集し、たくさんの方に相談し、家族だけで抱え込まない・・・これは大賛成です。
そして、、「学校はあくまで通過点で、ゴールじゃないんだよ。あなたは9歳の社会人として、沢山の経験をすることができる便利な施設が《学校》っていう社会なんだよ。沢山の人が集まって、いろんなものが揃っていて、あなたの可能性を伸ばすには、母さんと二人で過ごすよりもずっといいかもね」・・・この言葉もとても共感できます。

大体の基本的なスタンスは我々が常にお伝えしている内容かと受け止めました。
要するにベースは出来ている。

またお子さんもとても優しい子だと感じます。
「人に喜ばれる事や、人を助ける事が大好きで、困った人を見ると、老若男女問わず助けに走る」・・・我々は子どもたちをそんな子どもに育てたいと思っているのですよ。

壁に関する表現もとても小4とは思えない文学的・哲学的な表現をしますね。いいと思います。

厚いコンクリートから木の板になったということは直面している課題が少し解決に近づいているか、なんとかなりそうだと感じているのかもしれませんね。
あるいはもう慣れてしまってそんなに大変なことでもないのかもしれないと感じているか。

どちらにしても本人が「手を使わずに、気合で破らなきゃいけない」と考えているのであれば、その方法を一緒に考えていくことに注力しましょう。

どうしても大人って「いやいやそうはいっても破るよりも乗り越えた方がいい」とか「それよりも横をすり抜けていく方法もあると」と言いがちですがそれは今は止めておきましょう。

1日でも早くと思って焦ってしまうこともあるかもしれませんが、焦らずゆっくりと取り組んでいきましょう。
我々も応援します。
投稿日:2014-09-20
返信 4
tomさん
運動会削除
お世話になります。
昨日は運動会でした。
息子はフルで参加していました。
前日の準備日は、高学年が準備をしてくれている間は、息子たちは勉強。
これもフルで出席。
初めて終わりの会まで参加することができました。
集団登校の時刻になると、ギリギリまで葛藤した後、皆が待ってくれているのにどうしようもないという感情が涙になって溢れ出します。
この一歩のところに、息子の不登校の根本原因が隠れているのだと思います。
何だろう???

深層心理を考えてみるために、色々なカウンセリングとか受けてみたいとも思いましたが、今回の問題に直面し、経済的に一馬力となった我が家では、出費にも限界があります。

息子は学校内では過ごしているものの、保健室等で過ごす間に不安や葛藤と戦い、現在も「お母さんに電話してください」と先生に伝えています。
私は、甘いかな…と思いつつ、息子が先生に勇気を出して自分の感情を伝えた事を評価し、その都度駆けつけることにしています。
顔を見ると安心し、「帰らないで」と言いますが、「母さんは小学校卒業しちゃったからね?」と言い、残りの時間割を一緒に考え、できる活動を決めた後で、私は退室することを繰り返しています。
無理だって時には、周りに伝えていいんだということや、私がいつも味方をしているという安心感を与えながら、学校での活動時間も、少しずつ長くなってきています。

一学期は、「しんどい」とか「できない」と先生や友達に言うことすらダメな事だと思い込んで、自分を追いつめて頑張っていた部分がありました。
逆に、学校でのストレスも感じやすく、身体症状を訴えることも多かったと思います。

先日、ある友達から「そんなに元気だったら、好きな授業だけじゃなくて全部出れるでしょ?」と言われたと、息子が言いました。
私:「何て答えたの?」
息子:「『それが難しいところなんよ』って答えた」
以前の私なら、この友達のように息子に問うていたと思いますが、今回は
「そうなんよ。難しいところなんよ…」と共感できただけ、親として少し進歩したかな?
投稿日:2014-09-22
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
少しの進歩どころか大きな進歩ではないでしょうか。
不登校の子どもに対する接し方に限らず、子どもへの接し方での大前提は「受容と共感」です。
まずはそこからのスタートなのです。

そしてできないことに焦点を当てず、出来たことに対して焦点を当てて一緒に喜ぶ姿勢。
それを突き詰めていくと「存在そのものを認めてあげる」ことになります。

以下は日本・アメリカ・中国の中学生に対して行ったアンケートです。
tomさんのお子さんはまだ小学生ですが参考にしてみてください。

1.「私は他の人々に劣らず価値のある人間だ」
YESの回答…日本(31.5%)、アメリカ(81.5%)、中国(86.6%)

2.「時には私は役に立たない人間だと思うことがある」
YESの回答…日本(56.4%)、アメリカ(32.0%)、中国(25.4%)

国民性の違いがあるし、このアンケートだけでその国の子育ての良し悪しは判断出来ません。
しかし、それにしても日本の中学生の自己評価の低さは突出しているのです。
我々は日本の子供がアメリカ、中国に比べて特別に劣っているとは思えません。

では、どうして日本の子どもたちはこんなに自己評価が低いのでしょう?

考えられるひとつの原因として社会の子どもに対する態度が挙げられます。
何かにつけて「わがままだ」「やる気がない」「甘えている」etc
…などの否定的な言葉を繰り返し刷り込んで来た結果かもしれません。

人間が生きていくためには「自分は存在価値がある」「生きていていいんだ」という自己評価は大切な要素です。
これを心理学では「自己肯定感」といいます。

自己肯定感は子ども時代に育まれると言われます。
自己肯定感を育ませるとは、何かをやらせて褒めて育むものではありません。
それだと失敗した時には逆に子どもを否定することになり「自己“肯定”感」ではなく、「自己“否定”感」を育むことになってしまいます。

自己肯定感を育むとは…子どもの今をそのまま認めること。
存在自体を認めて「生まれて来てくれてありがとう」というメッセージを伝えることです。

現代カウンセリングの礎を築いた、アメリカの心理学者、カール・ロジャースはこう言います。
「I love you because you are you」
これはカウンセラーがクライアントに接する際に基本となる姿勢です。
要するに「あなたはあなたのままで良いんですよ」という意味です。?

この自己肯定感という「心の土台」は、年齢でいうと0?3歳くらいに築かれるといいます。
抱っこされたり、よしよしと頭を撫でられたり…などのスキンシップや目と目を合わせて一緒に笑ったり!
そういうことを通して育まれます。

ちなみに一部、育児雑誌で言われている「抱きぐせ」なんてものは迷信です。
きっと、抱っこするのが面倒くさい親が都合よく作った言葉に違いありません。

そしてこの自己肯定感を土台にして、その次に「しつけ」「生活習慣」が身につきます。
年齢でいうと4?6歳くらい。
着替えをする、トイレが出来る、おもちゃの貸し借り、順番を待つ…。
これは、しつけや生活習慣が身についた証拠です。

更にこの「自己肯定感」「しつけ」を土台にしてはじめて可能になるのが「勉強」です。
だいたい7歳くらいから。
自己肯定感を育み、しつけがある程度身につけた子どもは、7歳くらいになると色々なものに対する好奇心が芽生えます。
好奇心を持った子どもは勉強も身につくのです。
子どもが小学校に入学する7歳から「勉強」が始まるのはそのためです。

要するに「しつけ」や「勉強」の土台は「自己肯定感」だということです。
裏を返せば「自己肯定感」さえ出来ていれば「しつけ」も「勉強」もそれなりに身につくのです。

しかし様々な事情で小さい時に「自己肯定感が育まれなくても手遅れではありません。
いつでも気がついた時にやり直せば多少、時間はかかっても必ず取り戻せるのです。

ちなみにカウンセリングに関しては確かにお金がかかることです。
しかし、民間で実施している無料カウンセリングもあります。
また、この場でも参考になることがあるかと存じます。

どうか諦めずに今からはじめませんか。
我々も一緒に考えていきますから。
投稿日:2014-09-22
返信 6
tomさん
安心感削除
ありがとうございます。
色々な知識を持った方から、自分の気持ちや意見を受け入れていただき、アドバイスいただけることの安心感。
涙が出てきます。

自分たち家族なりに考え、行動し、今日まで頑張って来ました。
話を聞いてくれる方は沢山いました。色々なアドバイスもいただきました。
「ここの時期までにはケリをつけたいね」
「急がず焦らず待ちましょう」
「そんなに色々調べなくても、学校の中にも相談室があるでしょ」
その方々の立場で色々言ってくださるのですが、やっぱり、不登校の専門家ではないため、悩みが増すばかりでした。

正直、7月上旬の不安定な時期は、息子の自己否定感が強く、学校へ行けない自分に苦しみ、休んだら休んだで皆と同じことができない自分を責め、親も一緒になって煮詰まっていました。
「こんな苦しい思いをするんだったら、死んだほうがマシって考えていたんだ」と口にする息子を励まし、抱きしめ、一緒に涙を流しました。
「あなたが死んだら、お父さんお母さんは悲しくて生きていけないよ」と伝えることで、子どもは生きることを選びました。
でも、どんなに教育相談を受けても、病院へ行っても、支援センターの方へ出向いても、出口が見つからない7月の後半は、息子の言葉も変わっていきました。
息子:「タイムスリップしたい」
私:「どこまで?」
息子:「僕の葬式してるところまで」
……言葉を失いました。
自分で命を絶つことはダメだと理解したけれど、息子は生きようとしていませんでした。自分が死ぬ日を待っていたのでした。
この辺りでは、私自身、一瞬だけ子どもを連れて命を絶つ親の気持ちが理解できるようになっていました。

でも、私が、私たち親が諦めては何も変わらない!
そう思い直して、今度は息子に生きる希望を与えようと頑張りました。

夏休みには、色々な体験を一緒にしました。
一緒に語り合いました。
今は息子は「死」を口にすることはありません。

不登校を考える時、よく「誰の責任か」と言われますが、私は、私自身と息子との関係を考えた時、「親の責任」だと考えます。
色々な複雑な要因が絡んでくると思いますが…。
「責任」と考えるとマイナスイメージになってしまいますので、親として辛いですが、「子どもを生み育てる責任を負うのは親」という根本の部分に戻ると、子どもを生み育てるのは親の愛だということ。生きていく過程で、不不登校という問題に直面した。それを解決するのも「親の責任であり愛」だということ。それをいつも忘れないように思い出しています。

息子と一緒に問題解決する中で、親が今、教育されているんだなぁ…と実感します。
投稿日:2014-09-22
返信 7
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
長年、不登校の相談を受けていると解決した際に親御さんから言われることがあります。
それは「あの不登校だった時の経験が私たち家族をひとつにし、成長させてくれました」…と。

不登校に対して逃げずに真剣に向き合った結果の心からの言葉だと常に頭の下がる思いになります。

いまtomさんは正面からお子さんの不登校と向き合い、そして「親の責任」「親の愛」という大切なことに気づき取り組んでいらっしゃいますね。

時々「責任問題はナンセンス」と耳にしますが、それは親の責任と向き合えない親の言い訳なんじゃないかと思います。
神さまから子どもを授かった以上は、その子どもを育てる責任が親にはあります。
そう、子どもは皆、神の子なのですから。
我々は決して何かの宗教に傾倒しているわけではありませんが、多くの子どもと関わっていると純粋にそう思います。

仰る通り、親が子どもを成長させるのではなく、親が子どもから成長させてもらっているのですよね。

今が過去になったときに必ず「あの経験は無駄ではなかった」と思うはずです。

ただし、愛する我が子から「死」という言葉を聞いて平気でいられる親はいないですよね。
よく頑張りましたね。
抱きしめて一緒に涙することがどれほど大切か…。

夏休みには、色々な体験を一緒にして、 一緒に語り合ったとのこと。
これも素晴らしい取り組みです。
今後も継続してください。

一時期は「自己否定感」が強かったとのことですが、今はその傾向は収まっているのですか。
自己否定の強い子に対して、「ほめて育てる」ということが効果的という見方をする方がいます。
決して間違いではないのですが、時に逆効果になることもあることを頭の片隅にインプットしておいてください。

以下、その内容をまとめまして。
前回と重複する箇所もごさいますが、参考にしてみてください。

前回も書いた通り、今、子どもたちの中で問題となっていること・・・それは自己評価の極端な低さです!
内閣府の調査によると、「日本の子どもはアメリカや韓国・中国の子どもと比べ自己評価が低い」とのことです。

自己評価は英語では「self-esteem」…自己肯定感とか自尊感情と言われることもあります。これは単なる「自信」とは違います。
自己評価とは自信があるとか、ないとかと言う以前のレベルで、「自分は生きている意味がある」「存在価値がある」「大切な存在だ」「必要とされている」…という感覚のことです。

今の子どもたちは、この「自己評価」が低い傾向にあります。
「どうせ僕なんか?」「どうせ私なんか?」・・・この「どうせ?」という言葉が出たら相当、自己評価が下がっていると見ていいでしょう。そのような場合はしばらく叱ったりするのをやめて徹底的に話しを聴いてあげることが大切なのです。

この「自己評価」は二段階に分かれています。

第一段階は「存在に対する安心」
つまり…「自分はここにいて良いんだ」「ありのままで良いんだ」「存在価値があるんだ」「いらない人間なんかじゃないんだ」…という感覚。
これは親が自分の存在を喜んでくれるということから育まれます。

第二段階は「能力に対する自信」
これは…「勉強が出来る」「スポーツが出来る」「お手伝いが出来る」…という自分の能力に対する自信。
これは周囲の人からほめられることで育まれます。

普通、自己評価とか自信とかいうと第二段階の方を問題にする傾向があります。自信のない子に自信をつけさせるために「ほめて育てる」ということをしがちです。でもこの効果があるのは、あくまでも第一段階の自己評価が十分育まれていることが前提です!それが欠けている子どもに対しては「ほめて育てる」ことは逆効果になる可能性もあるのです。

なぜ逆効果なのでしょうか?
存在への安心が極端に欠けている子ども…つまり「自分は存在価値のない人間だ」という子どもは、ほめられることで自分の存在価値を理由づけます。ほめられている間は良いのですが、ほめられなくなると存在価値を失ってしまいます。だからほめられることだけに全精力を注ぐのです!そのために自己主張したり反抗したりすることが出来なくなります。いわゆる「過剰適応」の状態です。

その結果、手の掛からない聞き分けの良い「良い子」になります。
一見、結構なことじゃないかと思いがちですが、でもこれは良い子は良い子でも、大人にとっては「都合が良い子」なだけです。本人にとっては常にほめ続けられなければ不安になり休むことも出来ず常に全力疾走!

当然、そのうちに息切れを起こします。ひたすらにほめられ続けられて、どんどん過大な役割を求められ、ついには頑張れなくなります。
だれにも相談出来ずにやっとの思いで親や教師に相談しても「まぁ?大変だけど頑張れ!」としか言ってもらえず、「これ以上、頑張れないから相談したのに、まだ頑張らなきゃいけないのか」と絶望するのです。そう思ってしまった時は深刻な危機が訪れます。

「これ以上、頑張れない。期待に応えられない自分は存在価値のない人間だ」そんなふうに思いつめて自殺を図ったり苦しさのあまりに周囲に危害を加えるようになってしまう可能性もあります。

大切なのはほめておだてることではありません。子ども自身の存在を認め、喜び、「生まれてくれてありがとう!」と心から思えるかです。
投稿日:2014-09-22
返信 8
tomさん
おっしゃる通りです…削除
たびたびすみません。
他人からの指摘やアドバイスは本当に有難いです。

おっしゃる通り、第二段階の自己評価・自己肯定はとても強い子でしたが、いい子(聞き分けのいい子)で居た感じはあります。
どうすれば場が円満に収まるか、人が喜ぶか、常に考える子どもだったと思い出されます。
そう思うと、親が喜ぶ姿を見て、「いい子で居よう」と頑張っていたのかもしれません。

不登校になってから(それより少し以前から)は、それまでの我儘や甘えを吐き出すような感じでした。
買い物に出ると「不安だから」と手を握って離さなかったり、トイレについて来てとか…諸々の事で「最近、どうしたんだろう???」と疑問に思っていました。
最近は私に対して「うるさいんじゃ」とわざと強がることもあります。イライラを壁や床や、自分にぶつけて叩いてみたりもします。
私は「どうした?」と軽く聞きますが、それ以上は追及しないようにしています。
時々、とにかくイライラするようです。
そっとサッカーボールを差し出したり、サンドバック(おもちゃの)を差し出したりして、「体動かして、発散したら?」と言います。
たいていそんなものでは落ち着きませんが…。
そんな時は、「よしよし。お母さんがおんぶしてあげよう」と、しばらく負ぶってみたり。これで多少落ち着くみたいです。

話は脱線しましたが、
「オレってすごい」
「友達が僕を頼ってくる」
という息子だったので、自己肯定感の強い子どもだと考えていました。
一人っ子の一人孫で、みんなから大切に愛されて育ったので、そんな子になるのも当然だと思っていました。
私たち親も、普段から
「あなたは、お父さんとお母さんの宝物だよ。生まれてきてくれて、元気に育ってくれてありがとう」とよく言葉にしていましたが、どこかで方法が間違っていたのかなぁ…?
周りがみんな大人達だったので、褒められ可愛がられていたけど、一人の自立した人間として認められている感じが必要だったって事でしょうか。

何にしても、上記のアドバイスを受けとめ、意識して言葉で態度で「あなたが必要。あなたが大好き。居てくれてありがとう。」と伝えていきたいと思います。

ありがとうございました。
投稿日:2014-09-22
返信 9
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
他者からのアドバイスを素直に受け入れて自分たちのやり方に取り入れていく。
そんなスタンスがとても共感を持てますし、応援したくなります。

一方で、今までやって来られた自分たちにやり方もすべてを否定しないでくださいね。

書き込みを拝見している限り、お子さんから言われた言葉に対する返答は間違っていないと思います。

不登校の原因は様々です。
その原因が親の子育ての仕方によるものもあれば、学校での友だち関係、先生との相性、勉強や将来に対する不安…etc。

そのどれかひとつかもしれませんし、その全てかもしれない。
または、それにも当てはまらないかも。

お子さんが不登校になると必要以上に自分たちの今までの子育てを否定してしまわれる親御さんがいますがそれは間違っています。

是非、自分たちに自信を持って欲しいものです。

また一人っ子、一人孫であればすべての愛情を独り占め…というのも当然ですし、そこのことで何か弊害が生じるとも思えません。
かわいがるのは当たり前ですよね。
小学生に対して「一人の自立した人間」として扱うのも不自然です。

きっと何かひとつ、ボタンの掛け違いがあったのでしょう。
そのボタンの掛け違いが原因ですが、原因を追究するよりも、今は将来の夢や希望に焦点を当てた方がいいのかもしれませんね。

その過程で原因が見つかるかも。

そう思います。
投稿日:2014-09-23
返信 10
tomさん
原因を探る削除
原因は何でしょう?
いつも私たちに問いかけられ、悩んでしまうのです。息子同様に。
分かっていれば、速攻で解決できているのかもしれません。

そうですね。
そこばかりに囚われていると、自分も息子も苦しい時間が過ぎていきます。

将来の夢や希望…世界を旅するのが息子の小さいころからの夢でした。
その夢も語らなくなった事を、悲しく思っています。

小さな事では、冬に行われる小学校での音楽会に、指揮者に立候補したんだと言っていました。
不思議と息子は、不登校になってからも、人の前に出ることや目立つことを嫌がらず、むしろ以前のように出たがる感じでした。

こんな気持ちを大切にして、これからも色々な事に挑戦する姿勢を応援したいと思います。
投稿日:2014-09-23
返信 11
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
「過去と他人は変えられない。
 変えられるのは未来と自分」

原因は過去にあります。
もちろん、原因がわかるに越したことはありません。
でも、何なのかわからない過去に捉われるよりも、未来思考で今を大切にすることの方が建設的です。

未来を自分の力で切り拓いていく。
未来を切り拓ける自分に変わっていく。
自分を変える。

そのための支援を親が全力でやっていく。

では、親はどうやって支援するか。
子どもにとって親の言葉は重みがあります。
誰でも子ども時代に親から言われたことを何十年経っても覚えているように。

自分を変えられるための親の言葉。
そのヒントをここでご紹介していきたいと思います。

以下、長くなりますが参考にしてください。

自分を変える為にはどうするべきなのでしょうか?
まず…自分の中にも「変えられるもの」と「変えられないもの」…があることを認識することが優先されます。

この二つを分類してみると…
自分の中の変えられるもの→「思考」「行動」
自分の中の変えられないもの→「感情」「生理的反応」
…に区別できます。

例えば…
今、この掲示板を読んでるtomさんに対して
「1+1は?」と聞いたら「2」と答えるでしょうし(思考)
「PC(またはスマホ・携帯)に向かいながら首を回して」と言ったらそのようにできるはずです。(行動)
このように「思考」や「行動」はインストラクション(指示)があればすぐに変えられます。

ところが!
「電車に乗り合わせた見知らぬ人を好きになってください」と言ってもいきなり好きにはなれませんし(感情)
「胃液を通常の5倍出してみてください」と言っても自分ではコントロールできません。(生理的反応)

「感情」や「生理的反応」はダイレクトには変えられないものです。

それを踏まえると…「自分を変える」ということは「思考」と「行動」を変えるしかないのです。

…でもこれが難しい。
ホームで電車を待っているとします。これがまた、ちょっと急いでいる時に限って遅れる。
だいたいの皆さんは電車が来るべき方向を覗き込みイライラしてしまうでしょう。
しかし、いくら覗き込んでも電車が来る時間は変えられません。…にも関わらず僕たちは覗き込んでしまう。
「変えられないもの」とは分かっているものの一生懸命イライラを募らせているのです。

自らの力では電車が到着する時間を変えることが出来ないのであれば待っている時間に新聞や本を読むとか調べものをするとかした方が時間を有効に使えますし自分にとってもプラスなはずですよね。

このように日常の良くあるケースから徐々に「思考」や「行動」を変えていくクセをつける。
これが自分を変える近道であり、その先の未来を変えていけるヒントがあるのだと思います。

冒頭で紹介した「過去は変えられない」と言う言葉。
でも、このように自分を変えることで今現在の物事に対する受けとめ方や、捉え方が変わり、もしかしたら…「過去の事実」は変えられないにしても「過去の形」くらいは変えられるかも知れません。

そんなふうに捉えられる人が「メンタル的にタフ」な人なのでしょう。

小学生の頃から親がそれらを伝えてあげることで子どもの心は大きく成長します。
投稿日:2014-09-23
返信 12
tomさん
難しいけど、よく解ります削除
おはようございます。
運動会準備日、運動会と続いて振替休日が二日。秋分の日も挟み、息子は大型連休の最終日です。
先ほど、サッカーの練習に出発しました。

前回のアドバイス、本当によく解ります。実践するのは、頭で解っていながらもなかなか難しいですが…。

家の場合も、息子が学校へ行けなくなって苦しんでいる時、
「お母さん、僕って常識じゃない?」
「どうして?」
「だって学校へ行ってないから…」
こんなやりとりがありました。

息子は世間一般の考え(常識)が親の考えだと感じ、自分を責め、一人で苦しんでいたのだと思います。

「常識ってなに?お母さんは、ここからここまでだっていう常識の境目がわからないよ。誰がどうやって決めるの?あなたを常識じゃないっていう人が居たら、その人が間違っているよ」
息子は安心したようでした。

私も正直、息子が体調を崩し始めた頃は、「しんどい」という息子を学校へ行かせていました。
病院受診しても特に異常はないとのことで、自分の仕事の忙しさと重なり、「学校へ行かなきゃ。頑張って。」と、登校させていました。
そこでは息子の言う、世間一般の常識みたいなものを守ろうとする自分がいました。職場にも迷惑をかけられないと考えましたし…。

本格的に不登校になり、息子と関わる中で、《息子と私》《子どもと親》という視点で考えると、常識というものなんてとても無力で無意味な気がする…私は、そう考えるようになりました。
息子にとって、社会で生きていく上で必要な事、それは生き抜く力。
親に何かがあっても、生きていく力を
つけてやることが親にしてやれる事だと思いました。

そう考えると、学校はゴールではなく、ひとつの手段であること。
不登校に対して、「世間が」ではなく「私たち親が」どう考えているのか。こんな事を息子にしっかりと伝えるようにしました。

親の思考が変わると、息子も変わりました。発想の転換って、本当に大事だと思います。
不登校の子どもを持つ親として、まだまだ駆け出しですが、沢山の事を共に学びながら、逞しく生きていきたいと思います。

今回も、わかりやすい例を挙げながらのアドバイス、とても参考になりました。ありがとうございました。
投稿日:2014-09-24
返信 13
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
tomさんなら大丈夫!
今回の書き込みを読んでそう確信しました。

そう、親の思考を変えることで子どもも変わります。
そのことをご理解された今、既に解決に向けて大きく前進されました。

もしもまた迷われた時にはいつでもここに来てください。

我々はいつでも応援しています。
投稿日:2014-09-24
返信 14
tomさん
ありがとうございます削除
心強いです。
口では偉そうに言いつつ、いつも迷っています…。
後で読み返して、なんて偉そうなんだと思ってしまいます(^_^;)

でも、自分の理想。
どこかに書き留めておいて、また思いだし、勇気を出して前進あるのみです。

明日から本格的に、担任の先生とのプランを練っていく予定です。
(息子)1 対 (クラスメイト)30
の図式を、息子 対 少人数グループにした活動を積極的に取り入れていただくことにしています。

うまく行かない時、または逆の場合もご報告いたします。

色々ありがとうございます。
投稿日:2014-09-24
返信 15
伊藤幸弘教育研究所さん
tomさんへ削除
tomさんの書き込みを偉そうだなんて思ったことないですよ。
なので安心してください。

人は想いを文字にすることで心が冷静になれます。
そのためのツールとしてこの掲示板をメモ代わりに使ってもらえたら嬉しいです。

そして、書いたことを本気で実現できると思いましょう。
大丈夫!
必ず実現しますから!
投稿日:2014-09-25
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