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お悩みNO.339
まぁいさん
母子登校削除
はじめまして。こんにちは。
長男(8才) 長女(6才) 次女(2才)の3児の母親です。
小学2年生の長男について、相談です。

長男は入学当初から行き渋りがあったのですが、私以外の父親、同居の祖母が登校班の集合場所まで付き添うと登校班で登校出来るようになり、1年生の三学期からは一人で家を出て登校出来るようになっていました。

2年生になってからも、元気に通っていたのですが、11月の音楽会前日に急に行き渋りをしだし、1日おきに送る日、登校班で登校する日となりましたが、12月からは完全に登校班で行けなくなり、母子登校になりました。

登校班の集合場所が一緒の高学年の子が嫌な事をしてくると話してくれました。
具体的には話してくれませんでしたが、その子は学校でも悪で通っているような子で、特に低学年にちょっかいを出しているようです。

登校班が行った後に行きたいと言うので、登校班が出発した10分くらい後に家を出て、学校の真ん前の歩道橋で担任の先生と待ち合わせをする形で引き渡し、帰るといった事を毎朝しています。

担任の先生がいないと一人では歩道橋を上がっていきません。

冬休み明けは、私と離れるのを渋っていましたが、今はスムーズに離れています。

もうすぐ、3年生なので、担任の先生もこのままの状況(母子登校が当たり前になっている事)を心配されています。

お母さんに甘えたいのではないか?とも言われました。

学校ではすごく頑張っているようです。

学校から帰ってくると、友達と遊ぶ約束をして出掛けて行きます。

長男は少し完璧主義な所があり、ワガママで自己中心的です。
親の私達が先回りして、手出し口出ししていたのが悪かったのだと思います。

どのようにして徐々に母子登校をやめていけるのでしょうか?

私達、親が変わりたいと思っています。
どうぞ、アドバイスよろしくお願いします。
投稿日:2015-02-02
返信 1
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
小学校2年生の息子さんに関するお悩みですね。

まず、母子登校の件。
学校の先生は母子登校が当たり前になっている原因を「甘え」とご心配されているようですが、「高学年の子が嫌なことをしてくるから」というれっきとした理由をご存じないのでしょうか。

我々はここに問題点を感じます。
子どもからしてみると、具体的ではないにしろ、「高学年の子が嫌なことをしてくる」という、しっかりとした理由を伝えているわけです。
(具体的なことだって大人(親や先生)の聴き方ひとつで聴き出せるはずですが・・・)

このSOSを発信したのにその対処がなされなければ大人に対する不信感とあわせて、母子登校は解決されません。

当校班で登校させるには「安心」がなければいつまでも母子登校のままです。

親が変わりたいとお思いでしたらまずはその解決に向けて学校側と対策を話し合うべきではないでしょうか。
投稿日:2015-02-02
返信 2
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
ご長男は少し完璧主義な所があり、ワガママで自己中心的とのこと。
その原因は親が先回りして、手出し口出ししていたのが悪かったのだと思われているのですね。

いわゆる「過干渉」だったということでしょう。

以下に、「過保護、過干渉、しつけ」に関することをまとめましたので参考にしてください。

よく、「過保護は子どもの教育上、良くない」ということを耳にします。
過保護が子育てをしていく上での悪い代名詞にもなっているのです。

「あの子は過保護で甘やかされたので、自分勝手で協調性がない」とはよく聞かれる言葉です。
しかし過保護はほんとうにわがままな子どもにしてしまうのでしょうか。
子どもは親(主として母親)をとおして、心の発達でもっとも大切な自分が生まれてきた世界への基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。
そのためには自分の欲求がいつもしっかり受けとめられ、十二分に愛され保護される必要があります。
要するに、子どもは本能的に親の愛情を欲しているのです。そして親の愛情により子どもは健やかに育つのです。

大きくなってもわがままや甘ったれの原因というのは、過保護ではなく、親の無関心が原因です。
子どもに対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、逆に何でも与えてその場をしのごうとする「過保護的な行動」になるか、のどちらかではないでしょうか。
つまり同じ「過保護的な行動」であったとしても、親の愛情があるか、または親の無関心かにより、子どもに対する影響は正反対になるということです。

一般的に「過保護は子供をダメにする!」というのは、実は後者(親の無関心)のことであると思います。
では、親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と思います。
むしろ小さいうちに子供の欲求を満たしてあげれば、子どもは満足して過度に欲求をすることはなくなってくるということです。

いつまで経っても、大人になっても欲求が収まらないというのは、先に書いた「親の無関心」が原因のひとつにあるのです。
いくらモノを与えても子どもは満たされないということです。
子どもが本当に欲しいものはモノではなく、そのモノを通して親の愛情を感じることではないでしょうか。

子どもがオッパイを欲しがれば与えればいいし、子どもが抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいし、何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。

ただし、親の思いは率直に子どもに伝えることも大切です。
例えば経済的に無理のあるものを欲しがっている場合は「買えない」ことをきちんと伝え、代わりに手作りにチャレンジするとか、抱っこしてあげたいけど大きな荷物を持って無理な時や体が弱くて難しいときは、家で座ってなら出来ることを伝えたりすればいいのです。
無理のない出来る範囲での「過保護」は大いにやってあげるべき、そしてそれらは「子どもの自律」の妨げにはならないというのが我々考えです。

ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、これらは「しつけ・教育」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、それらと混同しないで欲しいと思います。

過保護と過干渉はつい混同されがちですが、その性質はまったく異なるものです。
多くのご相談を受ける中で、昨今は親による子どもへの過干渉がとても多いと感じています。

過干渉とはその名のとおり「過度に人に干渉すること」です。
この過干渉は大いに子どもの「自律」の妨げになります。

一般的な子供への過干渉の例を言うと
・子供が欲求していないことに良かれと思い口を出す
・必要以上に子供の言動に口を出す
・先回りして良し悪しを植えつける

幼児期になると子どもはのびのびと自発的に行動するようになります。
あらゆることに興味を示し、何度失敗しても叱られても、またすぐ忘れて果敢に挑戦していきます。
親は心配で見ていられませんから、つい手を出します。
しかし、この規制や干渉が強すぎると子どもは親の愛情を失うことを恐れて、“偽りの前進”や退行現象に陥ったりすることになります。
ですから「過干渉には注意」が必要です。

「過干渉」の何がいけないかと言うと、まずは子どもの考えや思い、意見を無視して干渉するということです。
ここで難しいのは先ほど挙げました「しつけ」と「過干渉」の境です。

「しつけ」はもちろん大事なことです。
子どもに口を出したくなくても、しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然あります。
子どもの意見だけを尊重するわけにはいかない場面はあります。

それはもちろん大事なことであり、子育ての過程では、親としてやっていかなければならないことです。
しかしここで言う「過干渉には注意」が必要というのは、親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることを意味します。
人は誰だって性格や考え方、価値観は異なりますし、それは親子だって同じことなのです。

過干渉の危険な要素はその親の価値観を子どもに植えつけようとし、親の価値観に反すれば注意して正そうとすることです。
更に過干渉を例えると、ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいのですが、早く食べるように手伝ったり、食べる順番をいちいち指摘したりすることは「過干渉」と言えます。
また、今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいのですが、それを過度に強要したり、子どもがたいして興味がないのに、親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたりすることも「過干渉」と言えるでしょう。
よく耳にするのは、特に害はないけれど、親が不愉快に思うことは止めさせようとしたり、何かにつけ、あーしろこーしろと指示をしたりすることも「過干渉」です。

これらの例で、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくご理解頂けるかと思います。

過干渉でよく言われているのが、「親の子どもに対するマインドコントロール」です。
その結果、子どもは何が良くて、何が悪いかの基準を正しく理解することが出来ずに、親の顔色が基準になってしまうのです。
子どもは自分の考えで行動出来なくなる恐れがあり、自分(子ども)の価値観で良し悪しを判断することを認められず、親の価値観が優先されてしまうのです。
これでは子どもの「自律」が育たないのは当然のことであると言えます。

しかしこの手の親は、なぜ子どもが自律できないのかが理解できてない場合が多いのです。
結果的に更に親の干渉が増え、そして子どもの自律は更に遠のくという悪循環が生まれてしまうのです。

注意すべき点は、親が過干渉にしていることを気づかない場合です。
早く気づけばいいのですが、自分で気づくのは、なかなか難しいことです。
親に自分の望むことを十分にしてもらっている子どもは、家庭以外でも先生の手をわずらわせないで仲間と仲良くのびのびと遊べます。
ですから友だちのなかに入っていくのが上手か下手かをみるとよくわかります。
保育園や幼稚園で親から何日も離れられない子、いつも先生の周りにまとわりついていて、友だちのなかに入っていけない子は過干渉の可能性があります。
先生の周りでいい子になってお手伝いしている子はまだいいのですが、先生のいやがることをわざとたくさんして関心をひく子でしたら要注意です。

カウンセリングを進めていく中で感じるのは、過干渉の親というのは、親自身が周りから受けいれられていないケースが多いと感じています。
自分が受けいれられないのに子どもを受けいれることは難しいです。
自分が孤独ですから、子どもが自分のいうことをきかないと許せないのです。
子どもが唯一の話し相手であり、受け入れてもらえる相手であり、コントロール可能な対象なのです。

ですから、過干渉の親にならないために、親自身の人間関係をよくしていくことが大切と言えます。

夫婦関係は元より、地域や親戚、友人関係を良くし、お互いに受けいれられる状態でなければいけません。
そうした親は、子どもの話を聞くだけでなく、子どもの願いもかなえることができます。

孤独になるにしたがって過干渉になり、ゆくゆくは虐待するようになるのです。
しばしば体罰をする親や教師に多いパターンです。親や教師自身が我慢できない。
親同士・先生同士が孤立していては、どんなに優秀な親や教師であっても、いい子育てや教育、指導はできません。
そのためには、コミュニケーションが最も大切なのです。

干渉も、やリ方によっては過干渉になりかねません。
子どもがいやがる塾や習いごとに無理やりに、いつまでもつれていくことがあります。これは過干渉です。
子どもの個性と能力と、いやがる度合を見て、干渉か過干渉かをみきわめればいいのです。

ただし、子どもが望んでいないことをしてはいけない…ということではありません。
ここで申し上げたいのは「過剰にしてはいけない」ということです。
どこまでが過剰で、どこまでが過剰でないか、これはそれぞれの家庭の価値観、環境、文化、親子との関係などで決めればいいことです。

親と子の関係は、普段から、子どもの言うことをたくさん聞いてあげていれば、親の言うことも聞かせやすいということがあります。
いつもたくさん言うことを聞いてもらっていれば、子どもは少しぐらい我慢できるのです。
あまり聞いてあげていない子に我慢しろと言っても我慢できるものではありません。

また普段よく話を聞いて欲求をかなえてもらっていれば信頼感もあります。
信頼している人の言うことはよく聞くけど、信頼していない人のことはちょっとしたことでも聞けないのです。

よく、「怒るはダメで、叱るがいい」と言います。我々も以前はそう伝えていました。
決して間違いではありませんが、大事なことが抜けています。
それは「誰が」と言うことです。

信頼している人から怒られても、それはすべてがいやなわけではありません。
信頼していないとから上手に叱られてもストレスしか感じません。
信頼関係で結ばれている親子であれば、多少感情的になって怒ったとしても「自分(子ども)のために言ってくれているんだ」と思ってもらえるはずなのです。

ですから、普段から子どもの欲求をよく聞いて、良い親子関係を作っておくことが大切です。
子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする…これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。
そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。

重要なのは、「親の欲求不満を満たすための過干渉」は慎んでもらいたいということです。
投稿日:2015-02-02
返信 3
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
長くてすいません。
「変わりたい」というお気持ちに何とかお応えしたくてたくさんのアドバイスになってしまいましたが、今回はこれでラストです。

変わるためにはどうすればいいと思いますか。

上記でも書きましたが「コミュニケーション」の方法を変えていくことです。
それが親子の信頼関係の構築につながりなんでも話し合える親子になれるスタートとなります。

以下にそのことをまとめましたので参考にしてください。


■信頼関係の構築
お子さんとの信頼関係の構築を図るためには円滑なコミュニケーションが大切です。
カウンセリングの領域では、カウンセラーとクライアントの信頼関係(専門的には“ラポール関係”といいます)が絶対条件といわれます。ではその円滑なコミュニケーションを図るにはどうすればいいのでしょう。
コミュニケーションの2つの柱ともいえる「聴き方」と「伝え方」に関して紹介します。


■「聴き方」
「聴き方」を意識しながらお子さんからの話を聴いたことがありますか。「話し方教室」とか「話し方の本」というのはありますが「聴き方」に関する本は意外と少ないのです。しかし、円滑なコミュニケーションを図る上ではこの「聴き方」が特に重要です。

ここではあえて「聴く」という文字を使います。物理的に音が耳に届く「聞く」でもなく、言葉であれこれと尋問する「訊く」でもなく、「心」の文字が入っている「聴く」です。これは、相手を受け入れて相手の話しに耳と心を傾けることを意味します。専門用語では「傾聴」と言います。

相手の話を上手に「聴く」ためには以下の2つの聴き方に分かれます。
その2つとは、「受動的聴き方(パッシブリスニング)」と「能動的聴き方(アクティブリスニング)」です。
それぞれポイントは3つあります。


■「受動的聴き方(パッシブリスニング)」の3つのポイント
1.黙って聴く
これは簡単なようで意外と難しいです。しかし、すべての「聴き方」のベースとなる姿勢です。相手の話しに意見を割り込まずまずは黙って聴いてあげる聴き方です。黙って相手を聴き、受容してあげることで信頼関係は更に強いものになるでしょう。

2.うなずく
「メラビアンの法則」をご存知でしょうか。1対1で話したときに、どのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの「言語情報が7%」、口調や話の早さなどの「聴覚情報が38%」、あいづちやうなずき等、見た目などの「視覚情報が55%」の割合であったという実験結果があります。この割合から「7-38-55のルール」とも言われ、「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれています。

話しの内容により大きくうなずいたり小刻みにうなずいたりする聴き方です。大きくうなずくときは「なるほどねぇ?」と言う意味があり、小刻みなうなずきは「もっと話して」という意味を持ちます。それにより相手は「聴いてもらえている」という満足感が得られます。


3.思いを引き出す
「それ、面白そうだからもっと聴かせてよ」「それ大変だったね。もう少し詳しく話して」「それについて、あなたのほうでも何か言いたいことがありそうだね」、「あなたにとって大事なことのようだね。詳しく聴かせて」等のようにひと言、付け加えることで相手を気持ちよく話させてあげることが大切です。
(※注意:実際の会話は「あなた」ではなく、必ずお子さんの名前を呼んであげてください)


■「能動的聴き方(アクティブリスニング)」の3つのポイントは…
1.話しを繰り返す
相手の発した言葉の語尾をこちらが繰り返して発しながら聴く方法です。会話にいいリズムがうまれて話しやすくなります。そして、相手は「自分の話を聴いてもらえている。理解してもらえている」となります。

ただし相手が意見を求めている場合は繰り返しによる聴き方はいったん中断してください。相手から何かを質問をされている場合にその質問を繰り返しても堂々巡りになってしまいます。その際は、はっきりと親としての回答をしてあげるといいでしょう。

2.話しをまとめる
相手の話をある程度の段階でまとめてあげると会話のリズムにアクセントがつき、これも効果的です。
例えば、お子さんが悩みを打ち明けたとします。悩みを打ち明け始めると人は一気に捲くし立てるように話し始めます。それこそ途中でさえぎりたくなるくらいに。その際に、最後まで聴いてそれをまた繰り返す方法(話しを繰り返す)をすると時間が掛かる作業ですし余計に混乱を生じます。その際はある程度こちらで話をまとめてあげるのです。

3.気持ちを汲む
「それは嬉しかったね」「それは悔しいね」「それは腹が立つよね」。こんなふうに相手の心の中の気持ちをこちらの言葉として伝えることで相手は安心した気持ちで話しを出来ます。高級クラブに高いお金を払ってまで、サラリーマンが通うのは、高級クラブのママさんたちはこの「気持ちを汲む」等、聴き方に長けているからなのです。


■伝え方
相手に何かを思いを伝えるときには相手に「何を伝えたか」ではなく「何が伝わったか」が大切です。それを意識することで、部下に対して自分は上司にどれだけ大切に思われているかを実感させる効果があります。それを伝えるためには「言葉」が大切です。

「これは言わなくても分かるだろう」、「恥ずかしくてこんなことは言えない」。まずはそういった考えを排除して時間をたくさん使っていきましょう。

相手に思いを伝えたいときは、「Iメッセージ」が効果的です。相手の行為や出来事を非難がましくなく、事実を述べる伝え方です。
相手にメッセージを伝えるとき、次の2通りの方法があります。それは、「YOUメッセージ」と「Iメッセージ」です。
コミュニケーションを外す人は、往々にして主語が「YOU=あなた」の「YOUメッセージ」になってしまっているケースが多いです。

例えば…僕がリビングで本を読んでいたとしましょう。
そこへ子どもが入ってきてテレビを大きな音で見始めた。
僕は感情のままに…「うるさい!」「ボリュームを小さくしろ!」「隣の部屋で見なさい!」…と言ってしまう。
これは主語が「あなた=YOU」ですよね。
「“お前が”うるさい!」「“お前が”ボリュームを小さくしろ!」「“お前が”隣の部屋で見なさい!」

こちらの思いを正確に伝え相手とのコミュニケーションも外さない方法は主語が「私=I」の「Iメッセージ」です。

「お前が大きな音でテレビを観ることでお父さんは集中して本が読めなくて困ってるんだよ」…これが「Iメッセージ」です。

ポイントは「行動」「影響」「感情」です。

行動→お前が大きな音でテレビを観ることで
影響→お父さんは集中して本が読めなくて
感情→困っているんだよ

その後に「だから音を小さくしろ」と言ってしまうとせっかくの「Iメッセージ」がその瞬間に「YOUメッセージ」になります。
「Iメッセージ」で思いを伝えると相手はこちらの思いをちゃんと受け止めてくれるケースが多いと言われています。


■「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替え
自分の意見を伝え、相手の考えを聴くというのはコミュニケーション(会話)の基本です。
しかし、いくらIメッセージを活用して伝えても、「相手を変えてやろう」という想いが心の奥底にあると、しつこく何度も同じメッセージを発することになります。これは「審判的表現」といい、圧力によるメッセージ(=お前が変われ!)になってしまいます。

その際は、まず相手の立場に立ち切って傾聴することが大切です。これが「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替えのタイミングです。相手の話を聴くことにより、相手の「抵抗」がとれて相手は安心して、自ら変わることができるのです。また、相手の立場を理解することで、こちらの心にも変化が現れることもあり、他者理解と自己成長が同時に促進されます。

「期待と願望」、「推論と思い込みのズレ」が対人関係のトラブルの元になるのです。
大切なことは“相手を変えようとせず、相手を分かろうとせよ”です。


コミュニケーションとはキャッチボールのようなものです。いくら良いことでも一方的な話と言うのは聴いていてしんどいです。だから、コミュニケーションがドッジボールにならないように、「聴き方」や「伝え方」を意識してお子さんとのコミュニケーションを図り、信頼関係の構築に努めてください。
投稿日:2015-02-02
返信 4
まぁいさん
早々のお返事ありがとうございます。削除
『高学年の子が嫌な事をしてくる』と言った話は担任の先生に話しました。

先生は『登校班で母子登校する時に、その高学年の子との関係性を見てみてください。』と言われましたが、その子は登校班で登校するよりも、登校班よりも遅れて登校する事の方が多いらしく、私が登校班に行った時もいませんでした。

登校班で行きたくない理由に、同級生の子が同じ班にいないから、話す相手がいないから楽しくない。とも言ってました。

私からの提案で、登校班を変えてもらう?と聞いても長男の答えはノーでした。

登校班に一緒に来てほしいと言うばかりです。

私が高学年の子の話を聞き、話す前までは担任の先生には登校班の話はした事はなく、寂しい寂しい…と言っていると言われました。

長男とコミュニケーションをとっているつもりでしたが、一方的だったのかもしれません。
先生のアドバイスを心掛けて、意識して実践してみます。
投稿日:2015-02-02
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
高学年の子のことは担任の先生と話をされたのですね。

先生からは『登校班で母子登校する時に、その高学年の子との関係性を見てみてください。』と言われたとのことですが、ちょっとおかしいと思いませんか。

親は担任に問題の解決を求めて話をしに行くわけです。
学校の先生から指示をされた内容は本来、先生がやるべきでは…と思うのは我々だけでしょうか。
学校側からすれば登校時のことは学校の管轄外にしたいのかもしれません。

もしそうだとしたら、我々ならこう言うでしょう。
「では、担任として先生は何をどのように解決に導いてくださるのですか」と。

目的は担任の先生と話し合うことではなく、話し合った後に問題が解決し、お子さんが安心して登校でき、母子登校をせがまなくなることです。
その点でいうと先生はひとつも汗をかいていませんし、そのご提示も頂けていませんね。

残念なことです。

投稿日:2015-02-02
返信 6
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
さて、お子さんはどんな提案をしても母子登校をせがむばかりとのことですね。

子育てにはある一定の離別感が必要です。

例えば、親の付き添いなしでは登校が困難と思われるような体調の悪さの場合(松葉づえ、腕の骨折で荷物が持てない等)は別にして、やはりいつまでも母親が子どもの登校についていくのは不自然であるとお子さんにも認識させるべきではないでしょうか。

子どもがついてきてと言うからついていくではいつまでたってっも子どもの自立心は育ちません。

投稿日:2015-02-02
返信 7
まぁいさん
お返事ありがとうございます。削除
昨日の朝、高学年の子を見掛けると、不機嫌そうな顔をしていたので、帰ってきてから、もう一度話をしました。

『もう絶対に嫌な事をしてこない』と宣言させて、謝ってもらう?と。

長男が『うん』と言ったら、担任の先生と高学年の子の先生を交えて、場を作ってもらおうかと思っていましたが、

長男が『今日の帰りに、高学年の子に嫌な事はもうしないって言われた。』と話してくれました。
謝りはされてないみたいですが、長男は『今日は、良い事があった日やった潤オ』と笑顔でした。

担任の先生が高学年の子と話をしてくれたのか?と思い、今日、確認すると、
『私は何も言っていません。そんなに、見るのも嫌なくらいなんですか?ペア学級の時も特に変わった様子もありませんでしたし…それが原因で登校を渋っているのですか?』と言われました。

色んな子にやりまくっている子だから…と言った感じで、私が伝えた事は、全く伝わっていなかったようです。
その子を見ると、すごい顔で…とも話したのですが…。
今日になって、確認してみます潤オと。

今朝は、主人と登校班に並んで登校しました。
すると、担任の先生が来る前に、友達に行こう!と誘われたら、一緒に行ったそうです。
私が付き添った日は、友達が声をかけても首を横に振るばかりで、担任の先生が来るまで動きませんでした。

今日はたまたま主人でしたが、学校まで付き添って行けるのは、私だけです。

いつまでも…と言う気持ちはとてもありますが、タイミングと行動の仕方が分かりません。

不自然だと、どのようにして分からせれば良いのでしょうか?
投稿日:2015-02-03
返信 8
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
学校の先生の対応には「残念」という気持ちと、「やっぱり」という気持ちがあります。

結局、本件に関しては先生は何の役にも立たなかったということですね。
これがわかっただけでも収穫…と言ってしまうと先生に対してあまりにも嫌味なので止めておきます。

タイミング…(どこかの予備校の先生のセリフではありませんが)「今でしょう」

不自然だということを言葉として説明しなくても、「今日からは行かない」で構わないのではないでしょうか。
投稿日:2015-02-03
返信 9
まぁいさん
難しいです。削除
昨日の朝は途中で私が帰らないといけなくなり、帰ると、一人で登校できました。

今朝は私はゴミ捨て、長男は(登校班ではなく)登校へ…と向かっていましたが、長男は家に帰ってきました。

結局、私も付き添い登校したのですが、少し後ろに離れて様子見…様子見…の登校をしました。

それが、不安になったのか、担任の先生が来ても私から離れず、離れても逃げ出して私を追いかけてきました。

私は逃げるように帰ってきたのですが、暴れていたと思います。

また振り出しに戻った感じです。
投稿日:2015-02-05
返信 10
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
「振り出しに戻った」とは我々は思っていませんよ。

だって、まぁいさんの意識が大きく変わっているではありませんか。
結果には結びついていないかもしれませんが、必ず報われます。

小さな一歩かもしれませんが、大きな意味を持つ一歩なのです。

投稿日:2015-02-05
返信 11
まぁいさん
お久しぶりです。削除
長男はあれから、登校班で通えるようになり、安定した様子で一安心していました。

新学年になり、新しいクラスになり、4日ほどは登校班で通いましたが、それからまた母子登校です。

他校から新しく来た担任の先生がものすごく怖いようで、ビクビクしています。

授業中に先生の話をちゃんと聞いていなかったと言う事で『わしの話をちゃんと聞け!!』と怒鳴られ一人だけ黒板とは逆の掃除道具箱の前に机を移動させられ、後ろ向きで授業を受けている子。

授業中に友達とふざけていた子達を廊下に立たす。
など日常茶飯事。

遠足の日に『朝、急に宿題出せって言われたら嫌やから』と、宿題や筆記用具も持って行くと聞かなかったり。

学校が見えたら座り込んで泣いて『帰る!休む!』と言います。引き返した日もありました。
最近では、お腹痛いや気持ち悪い、しんどいとも言うようになり朝食も食べられなくなってきました、先生にそう伝えてあげると言うと、『先生には何も言わないで!!』と泣くばかり。

チックも出ています。

クラスが嫌だ、先生が嫌だ。と言います。

それでも休まず頑張って学校まで歩いてい き、職員室まで連れて行くと、『担任の先生は呼ばないで!』と泣き崩れ、担任の先生が来ると、私を掴んでいた手をパッと離し、泣きながら堪えている様子です。

そして、担任の先生が『約束破るんか?また、ごめんなさいて後で言いに来るんか?』と言っていました。
どうやら、担任の先生が来たら、私とすぐに離れて、諦める事と約束しているようで、出来なかった日は謝罪させられているようです。

すごく、切なくなりました。

担任の先生が怖いのは慣れるしかないのでしょうか?
投稿日:2015-05-04
返信 12
伊藤幸弘教育研究所さん
まぁいさんへ削除
お久しぶりです。
書き込みを読ませていただく限りでは、担任の先生にも大いに問題があると思います。
慣れるのを待つ必要はないでしょう。
それは子どもがあまりにも辛い期間を過ごすことにつながります。

担任の先生には言わないでほしいとは、担任を恐れているからそう言っているのかもしれませんね。
しかし、黒板とは逆に向かせて座らせたり、廊下に立たせたりなどは子どもたちの授業を受ける権利をはく奪していることになるのです。

『わしの話をちゃんと聞け!!』と怒鳴っている時点でダメ先生ではないでしょうか。
『聞け!!』と怒鳴らなくても話が子どもたちに受け入れられていれば子どもは集中して聞きます。
それはその担任の技量の問題です。

お子さんにも理解を得てから担任か校長レベルに伝えてもいいのではないでしょうか。
投稿日:2015-05-05
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