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お悩みNO.536
ぽんゆずさん
中3の息子。施設に入るしかないのでしょうか。削除
はじめまして。
中3になった息子のことでご意見をお聞かせください。

子ども家庭センターの一時保護施設に、いま2度目のお世話になっています。
今後、施設に移り、中学卒業まで見てもらうことにしました。本人には近日面会して話す予定です。
理由は、3度も刃物を持って自分の意思を通そうとしたこと、帰宅しても同じことの繰り返しになる可能性が高いこと、中3だから途中での施設受け入れが厳しく次ダメだったらその時にとはいかないこと、などです。いまがラストチャンスだろうと言われました。
私は、長い期間離れて暮らすのは寂しいし、精神的に良くないのではないか、親の考えが変われば良い方に進むかもしれない、ダメだったら今度は施設、…などと甘く考えていましたが、上記の事情などを考えた末、彼の未来のためにも今、しっかり生活や考え方を改めてもらおうと決意しました。

そんなとき、伊藤先生のDVD広告ページを拝見したのですが、先生のお考えでは、家庭内暴力で刃物を持ち出す子供にも、家庭での解決は可能ということでしょうか。
息子は施設に入らずに、家庭に戻るほうがいいのでしょうか。

もう迷っている時間はないのですが、参考までに教えてください。
よろしくお願いいたします。
投稿日:2016-04-16
返信 1
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
中3の息子さんに関するお悩みですね。

「家庭内暴力で刃物を持ち出す子供にも、家庭での解決は可能ということでしょうか」とのご質問ですが、これはケースにもよります。

家庭で解決できた事例もありますし、できなかった事例もあるのです。
できな場合にはやはり、専門の施設等に依頼することは選択肢として間違っていないと思います。

むしろ、今回は親の感情を二の次にして、子どもの将来のためにご決意されたとのことですので、そのご決意を支持します。
投稿日:2016-04-17
返信 2
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
気になる点を一点。

子育てに「ラストチャンス」という言葉はないと我々は思います。
チャンスは何度でもあるのです。

まずは親がそのような言葉を使って自分たちを追い込まないことです。
投稿日:2016-04-17
返信 3
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
以下、家庭内暴力に関してまとめましたので参考にしてください。

投稿日:2016-04-17
返信 4
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
家庭内暴力は放置すると殺傷事件にまで発展しかねない危険な側面を持っています。
しかし、適切に対応すれば、そのほとんどは解決することが可能です。
家庭内暴力そのものは診断名ではありません。不登校などと同様、ひとつの状態をあらわす言葉です。
それが常に病的なものとは言えませんが、もちろん中には病理性の高いものも含まれています。
ここで述べる家庭内暴力は精神病、すなわち幻覚や妄想などをともなわないもので、治療的対応によって解決が可能なものを指しています。

些細なこと、時には理由もなしに突発する暴力は、家庭の雰囲気を荒涼とさせずにはおきません。
家じゅうを不自然でこわばった沈黙が支配し、家族は本人のちょっとした表情、しぐさにもおびえながら生活する日々を強いられます。
とりわけ母親が暴力を受けやすく、まるで奴隷同然の扱いを何年も受け続けていることがしばしばあります。
誇張ではなく二十四時間、べったりと密着した生活が続き、ゆっくり眠る時間すら奪われてしまいます。
真夜中に叩き起こされ、本人が唐突に思い出した昔の恨みつらみを何時間でも延々と聞かされます。
それでも「母親の相槌が気に入らない」といったことから、理不尽な暴力がはじまります。

家庭内暴力の底にある感情は「悲しみ」です。単純な攻撃性なら、たしかに「気が済む」こともあるでしょう。しかし家庭内暴力は、そのような爽快感とは一切無縁です。暴力を振るうことでみずからも傷つき、暴力を振るう自分が許しがたく、しかしそのような「許せない自分」を育てたのはやはり両親なのだ、という自責と他責の悪循環があるだけです。

家庭内暴力への基本方針は、「暴力の拒否」です。専門家の中には、子供からの暴力は甘んじて受けなさい、といったアドヴァイスをする人もいます。
気が済めばおさまるし、親は暴力を振るわれるだけのことを子どもにしてきたんだから、というのが、その理由のようです。
しかし臨床の現場にたちかえるなら、こうした対応は単純に間違いです。間違っているだけではなく、時には暴力を助長してしまいます。
「進んで暴力に身をさらす」などという行為は、危険な挑発にほかならないからです。

「拒否」といっても、もちろんそれは暴力との「対決」を意味していません。
「対決」もまた、暴力を助長するだけだからです。暴力の拒否とは「暴力を押さえ込むための暴力」をも拒否するということです。
力で家庭内暴力を制圧する試みは、ほとんど確実に失敗します。
暴力は暴力の連鎖しか生み出すことはありません。

また、すぐに入院治療をと焦るのも禁物です。
家庭内暴力の入院治療は、本人が納得した場合にのみ有効ですが、強制的な入院(とくに安易になされる医療保護入院)はほとんどすべての場合失敗します。
家庭内暴力のケースは、強制的に入院させてしまうと、病院内ではまったく「良い子」として振る舞います。
診断のしようもなく、なんの問題行動を起こさない患者さんの行動制限は法的に不可能で、せいぜい長くて一ヶ月程度で退院になるでしょう。
こうして家族への恨みをつのらせながら帰宅した本人が、以前にも増して激しい暴力を振るいはじめるのは時間の問題です。

家庭内暴力について、その重症度、あるいは難しさを決めるのは、暴力の内容ではありません。
むしろ問題となるのは「暴力の続いている期間」ということになります。
かなり激しい暴力であっても、まだはじまって数週間なら、対処は比較的容易です。
しかしそれほど激しさはなくても、何年も続いている慢性的な暴力では、かなり対応が難しくなります。
ここでは大きく分けて、比較的対応しやすい「初期の暴力」と、長期化し、こじれた「慢性的暴力」の二つについて、その対応方法を具体的に述べてみましょう。

どのような対応をするにせよ、まず暴力の背景を十分に理解しておくことはどうしても必要です。
客観的な事実はどうあれ、本人の中では、これまでの人生が惨憺たるものだったとの思いが強くあります。
受験に失敗したこと、自分の容貌のこと、恋人や友人が出来なかったこと、望んだ会社に入れなかったことなど、本人はみずからのこれまでの歴史を、あたかも失敗の連続のように捉えているはずです。
彼らが辛うじて自殺の誘惑に陥らずに済んでいるのは、まさに「失敗」を他人のせいにすることによってです。

しかし本人は必ずしも「自分がこうなったのは親のせい」であると確信しきっているわけではない。
家庭内暴力のケースを治療してゆくなかで、ほとんどすべてのひとが「自分は親に迷惑をかけ続けてきた、ダメな人間である」と告白します。
これもまた、彼らの本心なのです。
このように彼らは自責と他責の間で引き裂かれ、心やすらぐことのない日々を過ごしています。
精神分析家の神田橋條治氏が指摘するように、家庭内暴力の背後にある感情は、「憎しみ」ではなく「悲しみ」なのです。

初期の家庭内暴力を沈静化するためには、まず「刺激しないこと」です。
簡単なようで、これは意外に難しい。
これを確実に成功させるには、本人にとってどんなことが刺激になりうるかを正確に知っておく必要があります。
皮肉や嫌み、あるいは本人を傷つけるような冗談を口にしていませんか?
ついつい決めつけるような、断定的な話し方をしていませんか?
こうしたことも悪い刺激になり得ます。

暴力をふるわずにはいられないほどの「悲しみ」が、どのように起こってきたか。
本人の劣等感を刺激せず、「恥をかかせない」ためには、何に気をつけるべきか。
それを知るためには、ひきこもりとも共通する彼らの葛藤のありようを共感的に理解するところからはじめなければなりません。
そして、ごく初期の家庭内暴力であれば、このような理解とコミュニケーションが十分になされるだけで、きれいに解消することもあるのです。

本人の訴えてくる過去のうらみつらみについては、十分に耳を傾けて下さい。
暴力は完全に拒否して良いのですが、言葉による訴えはそのぶん、しっかりと受容する必要があるからです。
ただし、「耳を傾ける」ことと「いいなりになる」こととは違います。
本人の恨みを言葉として十分に聞き取ること、同時にその言葉に振り回されないことが大切です。
場合によっては、こうして話し合う姿勢をみせるだけで、暴力が沈静化することもあります。

それではさらに重症の、長期にわたって続いている暴力についてはどうでしょうか。
こちらはいうまでもなく、対応が格段に難しくなります。
慢性化に至っている場合、小手先の対応を変える程度では、びくともしないことが多いからです。
いや、それ以前に、対応を変えることすら難しくなっている。
親がそれこそ、蛇に見込まれた蛙のようにすくんでしまい、身動きがとれない状況におかれてしまうのです。
これほどこじれたケースに対してどのような解決策がありうるでしょうか。

比較的穏当な方法として考えられるのは、他人を介在させることです。
これはもちろん、誰かに暴力の仲裁役を頼むということではありません。
そうではなくて、ただ家庭の中に他人が入ってくるというだけでよいのです。
母親へ激しい暴力をふるっていた息子が、妹の婚約者が同居するようになってから、ぴったりと暴力をふるわなくなったというケースを経験したことがあります。
もちろん本人は、他人が入り込むことをひどく嫌うのですが、いったん受け入れてしまうと、それが暴力を鎮めるきっかけになりやすいのです。

ここでいう「他人」には、「警察」も含まれます。
暴力の程度によっては、もちろん警察への通報も考えるべきです。
ただしこれは、「警察が何とかしてくれる」からではありません。
家庭内暴力の場合、家族が通報して警察官が駆けつけてみると、暴力はすっかりおさまっていることがほとんどです。

ご存じの通り警察は、現行犯でもない本人に対して、せいぜい説諭するくらいしか出来ません。
しかし、それでいいのです。
要は「家族は場合によっては警察に通報するほどの覚悟が出来ている」ということが理解されればいい。
「そんなことをしたら、後の仕返しがこわい」と考えて踏みきれない家族も多いのですが、これは家族の態度いけないのです。
通報すべき時は断固として通報し、それを繰り返すこと。
このような毅然とした態度があれば、「仕返し」のおそれはほとんどないといえます。

もう一つ、暴力の拒否のための選択肢として「家族の避難」が挙げられます。
暴力と対決せずに、暴力を拒否するためには、暴力の場面から避難すること。
もちろん家族には多大な負担となるでしょうが、適切に行えば、かなり確実な効果が期待出来ます。
その具体的な方法について述べる前に、次のことは確認しておかねばなりません。これらの方法は、効果も大きいぶんだけ、リスクも伴います。
またタイミングを誤れば、失敗する可能性も十分にあります。
したがって、治療としての「避難」を実践する場合には、専門家と連携することが必要となります。

繰り返し強調しておきますが、避難が有効であるのは、あくまでもそれが適切になされた場合のみです。
くれぐれも「ただ逃げればいい」という短絡的な理解はしないでください。

以下に避難のポイントを整理しておきますので、参考にしてみて下さい。
*治療者と両親の間で、避難の方針と方法について十分に打ち合わせをする
*大きな暴力をきっかけにして避難する(きっかけなしに避難することはむしろ危険)
*怪我をしたような場合、しょうしょう大げさでも入院した方が良い
*避難は必ず、暴力のあった当日のうちに完了する
*当日中に、必ず親から本人に電話を入れる
*電話では「これから定期的に連絡する、生活の心配はいらない、いずれは帰るがいつになるかは判らない、どこにいるかも教えられない、暴力が完全におさまるまでは帰らない」と伝える
*この方針は本人の治療のために専門家と相談し、家族全員の同意を得て決めたことを伝える
*その後は定期的に電話を入れ、必ず五分間だけ話す。時間が来たら途中でも切る
*本人が落ちついたタイミング見計らって、一時的な帰宅や外泊を繰り返す
*外泊時の様子で、特に暴力もなく、また母親と穏やかに会話できる状態で安定したら、帰宅する
*以上のことを、専門家との密接な連携のもとで行う
*親の側は、暴力や脅しに屈せず、誠実で毅然とした態度でことに当たる
*帰宅までに要する期間はさまざまであるが、軽いものであれば一カ月程度でも十分に有効であり、長くても半年ほどで帰宅できることが多い。

以上、参考にしてください。
投稿日:2016-04-17
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
以上、参考にしてください。

重複していた書き込みは事務局にて削除させていただきましたのでご了承ください。
投稿日:2016-04-17
返信 6
ぽんゆずさん
ありがとうございます。削除
早速のご返答ありがとうございます。
私の選択をご支持いただき、大変勇気づけられました。
このまま前に進んでいきたいと思います。

>子育てに「ラストチャンス」という言葉はないと我々は思います。
>チャンスは何度でもあるのです。
その通りです。私自身、今まで何度もやり直してきました。子供も同じですね。
親が切羽詰まると、子供にも伝わり、悲観したり破れかぶれな行動をさせてしまいかねません。
しっかり前向きな気持ちで向き合おうと思います。

Re.4 の
>些細なこと、時には理由もなしに突発する暴力は、家庭の雰囲気を荒涼とさせずにはおきません。
の段落に書いてあることは、我が家の状態そのものでした。
息子が家を離れて初めて、どれだけ息子の一挙手一投足にビクビクして過ごしてきたかに気づかされました。
再び一緒に暮らすために、私も考え方や態度を改める努力をしたいと思っています。

>家庭内暴力のケースは、強制的に入院させてしまうと、病院内ではまったく「良い子」として振る舞います。
一時保護施設での様子は、トラブルなくまったく「良い子」として振る舞っており、刃物を持つ子とは別人です。
そのため、逆に、そのまま家庭に戻ると、今までと変わらないのではないかと思いました。
施設に移れば、長期的に「良い子」を演じることは難しいでしょうし、大小さまざまなトラブルが起きる中で、暴力以外のさまざまな解決方法を学んでくれることを願っています。

今回、批判せず受け止めて下さったことで、大変気持ちが救われました。
息子にも、こういった態度で接したら良かったと今は理解できます。
本当に、この掲示板に出会えて、すぐにご対応いただけて、ラッキーでした。
ありがとうございました!
投稿日:2016-04-17
返信 7
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
この掲示板に出会えてよかった・・・と仰っていただけることが我々の励みになります。

ここでの気づきを、お子さんに対して実践してください。
子育てにゴールはありません。

またここに来ていただけると嬉しいです。
投稿日:2016-04-17
返信 8
ぽんゆずさん
ご報告です。削除
こんばんは、ぽんゆずです。
先日はどうもありがとうございました。

今日は、あれからどうなったかの中間報告です。(すみません、長文です)

実はあれから、伊藤先生のご著書「子供に悩まされる親 親にダメにされる子供」を読ませていただいたことをきっかけに、施設に入れる前にまだやれることがある!と思い始めました。

施設に、と決めた時点では、自分には息子を受け止める力が足りない、だから専門家に委ねた方がいい、という考えだったと思います。いま帰ってきたら…と考えると気持ちが沈みました。
でも今は、なんとしても親子関係をやり直したい、という強い思いがあります。いま帰ってきたら…と考えたら、できることがいっぱい浮かぶし、笑顔になれます。

気持ちが変わったのは、やはり伊藤先生のおかげです。

ご著書をきっかけに、これまでの親子関係を振り返り、彼がどんな気持ちだったか、どうしてほしかったか、どうしたかったか、にようやく気づくことができました。行動と気持ちは一致していないんですよね。中身は幼い頃の彼そのままでした。
また、私自身が、子供より自分を優先して寂しい思いをさせてきた、自分が愛されることを求めてきた、親を恨んできた、そんな諸々のことにも気づき、抱いてきた思いを親にぶつけることもできました。しかも、幸いにもきちんと受け止めてくれました。それから徐々に、私も、上の子も私の親も、変わってきたなぁと感じます。

息子が家に帰ってきたら、どうすればいいか、どんなふうに接したらいいか、以前はわからないから途方に暮れていましたが、今なら、はっきりわかります。もちろん、今の自分たちがすぐに彼に信じてもらえるわけではありませんが、先日、3週間ぶりの面会のとき、心から彼の気持ちに触れたいと願い、聴き方伝え方を工夫したところ、彼が自分の気持ちや家族で一緒にやりたいことを、笑顔と涙を交えながらたくさん話してくれました。そうして楽しく何時間も過ごすうちに、私たちはやり直せる、と確信できました。

ところが、子ども家庭センターの担当者は、やっぱり施設へ、と結論づけようとしてきます。ゲーム・ネットへの未練を見せたことが、ダメ出しの決め手となりました。ゲームを巡ってまた争いや暴力に発展すると決めつけ、施設行きのスケジュールを進めていくのです。

こちらとしては、そうされればされるほど、反発心が高まっていき、逆に、何としても私が守るんだ、施設には行かせない!と決意が固まっていきました。(子供の気持ちがよくわかりました、否定されると意地になってしまいますよね…)
また、ご著書だけでなく、メルマガやYouTubeの子育てラジオを拝見するなかで、その思いは日々強くなっています。

じつは来週、受け入れ予定の児童自立支援施設について具体的な説明を受けることになっています。でも私は、方針を覆して、帰宅に向けて動いてもらえるよう依頼するつもりでいます。

伊藤先生の仰るように、ゲームとか昼夜逆転をどうしたらいいか、なんてことよりも、私を信じてもらえるように、彼の気持ちに寄り添うことが先です。家族みんなにとって家庭がくつろげる場所になること、を第一に、もうよそ見しないで、子供たちを精一杯可愛がって生きようと思っています。そう思うと、温かい気持ちになるから、間違ってないはずです。

すべては、こちらの掲示板で、ふんわり受け止めていただいたことから始まっています。
本当にありがとうございました!

引き続き、温かく見守っていただけると嬉しいです。
投稿日:2016-04-27
返信 9
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
今のお気持ちになれたのは、ぽんゆずさんが真剣に子育てに向き合い、真摯にご自身の今までを振り返り、深い気づきを得られたからだと思いますよ。
我々はそのきっかけを作ったに過ぎません。
主役はぽんゆずさんとお子さんです。

そして、我々はぽんゆずさんの想いを支持します。

何があろうと「子どもの幸せ」が大前提ですよね。
ここさえぶれていなければきっとうまくいきます。
投稿日:2016-04-27
返信 10
伊藤幸弘教育研究所さん
ぽんゆずさんへ削除
■過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分

「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」
これは、カナダ出身の精神科医であり、1957年に交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱した、エリック・バーンの言葉です。

この言葉の通り、人の行為とか考え方とか、諸々は変えることは出来ないし、過ぎ去ったことも変えられません。
しかしながら、自分のこと、そして、これから起こる未来については、影響を与えられます。
だから、「自分自身」と「これから」にフォーカスをしていくことが大切なのです。

しかしながら、人は、人間関係で悩む生き物。
「他人は変えられない」といったって、つい目についてしまう気になる人もいるものです。

例えば、あなたの周りにも…
仕事に全くやる気がない部下とか、
何事も否定的に捉える友人とか、
勉強を全くしようとしないお子さんとか、
というような「いや、変わってよ」と思いたくなる人はいますよね。

この話に関連して、先日、こんな相談を受けました。
「子どもが勉強をしないんです。どうしたら”変えられ”ますか?」…と。

このようなご相談は実際に少なくありません。
そのような場合に、我々はこのようにお答えしています。

「子どもが勉強をしない、というのは、“子どもの課題”であって、“親の課題”ではありません。
 子どもが取り組むべき話で、親であっても、どうこう言えないのです」…と。
 
…とはいうものの、それが自分にとっても影響すること、ありますよね。
子どもの問題などは、特に気にそうでしょう。
しかし、それはやっぱり、あくまで子どもの課題なので、本的に親が関与することはできないわけです。

大抵の場合、「(じゃあ、どうすればいいのですか?)」
相談者のこんな心の声が聞こえてきます。

ある、引きこもりの息子を持った親御さんのお話があります。
 
 
引きこもりで学校に行かない、働かない、そんな息子を心配したあるお母さんが、息子を連れてカウンセリングに来たのです。
「息子をどうしたらよいのでしょうか?」
そんなお母さんお父さんの訴えについて、
我々は、今お伝えした「課題の分離(息子さんの課題は息子さんのもの)」 というお話をしました。

いくら親御さんが気にかけて、手取り足取り関与しても、それは息子さん自身のものだから、息子さんがその気になって取り組むまで待つしかない、と。

そして、お母さんお父さんには、こう伝えました。
「息子さんがどうこうではなく、お母さん・お父さんは、今、あなた自身が課題としていることに取り組んでください」…と。

すると、お母さんは前から体が弱かったこともあり、それを改善すべく、取り組んでみたいと思っていた、太極拳を始めることにしました。
そしてどんどんとハマるお母さん。
なんと中国に渡り、本場の太極拳を学びに行く、というレベルにまで到達してしまいました。

お父さんはお父さんで仕事にこれ以上に打ち込みました。
家にはなかなか帰りません。

こうなったとき、息子からすれば、今まで自分にかまってきていた父母が、急に自分の事をし始めて、関与しなくなってきたのです。
加えて、父母共に、イキイキしてきていることを目にします。

そして、しばらくして、その息子さんが、一人でカウンセリングにやってきました。

「どうしてまた、今日は一人で来たの?」と聞くと彼は、こう答えました。
 
「先生、僕はどういう人生歩めばよいのか、不安になりました。今日は、そのことで相談に来たんです」。

この息子さんは、親の関心が向かなくなったことがきっかけで「自分はこのままではまずいのではないか」と、自分自身で思った瞬間に、彼の、彼自身の人生の課題への取り組みが始まりました。

子育てとは子どもがこう思うところまで、待たなければいけないのです。
誰かを無理やり変えることは、できないのです。
子どもに影響を与えるためには、まず、親が変わることです。

要するに…
親が勇気を持って、自分の人生の課題に取り組むこと。
その後ろ姿を見て「あんな風になりたいな」と思い、子どもに伝染して伝わっていくのです。
これは心理学では「モデリング」といいます。

冒頭で…
「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分」という言葉を紹介しました。『
しかし、「もし他人を変えられるとしたら?」
それは、【自分が勇気を持って変わる姿を見せることで、他人の心に「私も変わりたい」という想いの種をまく】ことなのかもしれません。

そうすれば、「変えられない」と言われている「他人」は変わります。
「変えられない」と言われている「過去」だって変えられるかもしれません。
もちろん、「過去の事実」は変えることはできません。
でも、「過去の形(受け止め方)」は変えられることができます。

自分を変えられない人が、他人を変えられるはずもありません。
だからこそ、「自らを変える」という気概を強く持つべきですし、誰よりも勇気を持って、今までにない取り組みをする必要がある…そう思うのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あなたの話は信じてもらえないかもしれない。
でも、あなたの行いは誰もが信じるでしょう。
(ルイス・キャロル)
投稿日:2016-04-27
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