初めてこの話を人に話します。
髪を引っ張られたり尻を叩かれたり髪を掴んで引きずりまわされたりしていました。昔のことはうろ覚えだけど、このことはしっかり覚えています。
無かったことにされそうで怖い。
今でも母の怒る顔が怖くて、力が入って無意識に自分を抱きしめていました。
母はいつも「押入れに閉じ込められた」「頰を叩かれた」「笑っても泣いても怒られたって、いつも自慢するように言っています。それは私も母にやられていた事なのに。私を叩いた後はいつも、ごめんね。ごめんね。と謝ってくる。
そんな母を見るのが辛くて許さないわけにはいかなかった。
祖母も祖父も「泣くな。笑っていろ。」「作り笑いでもいいからずっと笑っていなさい。泣くのは恥ずかしいことだよ。」って毎日毎日洗脳されていきました。
思い返せば、母に私を叩くように指示したのは祖母だった。
だんだん不登校になっていきました。
挙げ句の果てには私を病院に連れて行って、
「おかしいのは〇〇です。」とでも言うかのように私を病人扱いしてくる。
病気なんかじゃない。あなたや皆が怖くなった。
何度も病院の先生に言おうしました。でも言えなかった。
言葉が喉に詰まるってこういうことだったんだなって思いました。
言ったら絶対被害妄想で終わらされる。皆んな親の味方でした。私の味方のフリして、皆んな私の敵。学校の先生も病院の先生も皆んな私を病人だと思ってる。
皆んな私を否定する。違う違う。私はそんなんじゃないって何度も言おうとしました。病気病気って催眠術にかけるように皆んな私を責めてくる。
私が泣いても笑い事で済ますから、皆んな私を笑うから。必死に泣いて
私は辛いんだよ。苦しいんだよ。って示してました。
この頃から言葉が言えなくなっていた。
その日も皆んな私を笑う。自殺しようとした。
ここにいても逃げられない。入院させられる。自分ばかりを責めて。
長い時間が経って、私も変わりました。
いつも無表情だったり無口だったり、感情を表さなくなったものの、
今は目標に向かって生活しています。
色んなことがあって性格も歪んでいきましたが頑張って生きてみます。
最後に何でこの事を話したのかと言うと、
無かったことにされたくなかったから。誰かに気持ちをわかってもらいたかったんです。私のような環境の人と会いたかったんです。
最後まで見ていただきありがとうございます。まだまだ書ききれないことが沢山あります。
誤字やおかしなところがあるかと思いますが、どうかご回答う頂けると幸いです
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