「死んだって楽にならない」
お釈迦様の教えにこんな説話があります。
あるところに毎日、毎日重荷を満載した荷車を朝から晩まで引かねばならない牛がいました。
その牛はつくづく思った。
「なぜこの俺は毎日、毎日こんなに苦しまなければならないのか!
いったいこの俺を苦しめているものは何なのか!
そうだ!
俺を苦しめているのは間違いなくこの荷車だ!
この荷車さえなければ俺はこんなに苦しまなくてもよいのだ!」…と。
そしてその牛は荷車を壊そうと猛然と道端にある岩に突進して木っ端微塵に荷車を壊してしまった。
今まで牛を苦しめていた荷車はなくなり快適な気分もつかの間…。
それを知った飼い主は…
「こんな乱暴な牛にはよほど頑丈な荷車でなければまた壊されてしまう」
…そう思い今までの何十倍も重い鋼鉄製の荷車を造ってきた。
そしてその鋼鉄製の荷車に荷物を満載して今までのように毎日、毎日その牛に荷車を引かせた。
以前の何十倍もの苦しみを課せられた牛は再び荷車を壊すことも出来ず深く深く後悔した。
これはある本で紹介されていた釈迦の説話です。
「生きることに疲れた。早く死んで楽になりたい。」
確かにそう言うからには本当に人生疲れてしまっているのだと思います。
疲れたことは決して否定しません。
だからひとまずいろんなことは棚に上げてしっかり休んでもらうことは提案します。
でも!
そのために「死」を選択することは賛成できません。
「死んで楽になりたい」と言うが本当に死んだら楽になれるのか?
牛は自分を苦しめているものは荷車だと考えて
「この荷車さえ壊せば苦しまなくてよいのだ」…と思った。
でも結局、更に苦しい思いを強いられることになります。
「死んで楽になりたい」と言う人も
「この肉体さえ壊せば苦しみから解放され楽になれる」…と思っているのでしょう。
釈迦は言います。
「自らの命を絶てばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかなければならない。
この世で苦しんだまま死ねば必ず死んだ後の世界も苦しみは待っている。
あの世で幸せになりたければこの世から幸せの身にならなければならない」…と。
死んだら楽になれる!
…そういう人がいるが、もしもそうなら
自殺した人はみんな幸せになる…ということになってしまう。
だがそれは間違っています。
どんなに死にたいと思っても構いません。
でも決して実行に移してはいけません。
死ななくても楽になる方法は人それぞれ必ずあります。
だから僕らは自ら死を選ぶことは決してしてはいけない。
君が、「死んでしまいたい」と思って無駄に過ごした今日は、昨日、残念ながら亡くなった方がどうしても生きたかった明日…なんだから!