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お悩みNO.629
ナルさん
助けて削除
助けて、、、
死にたくなる気持ちが強すぎる。
苦しい。
べつに死んでから、苦しくなっても、なんでもいい。
とにかく今楽になりたい。
投稿日:2019-05-13
返信 1
ハルさん
自分なりの考え方です。削除
あなたが何故、死にたいのかはわかりませんが、あなたが死んで悲しむ人は必ずいます。それに、この先いろんなことがあると思いますよ。苦しいことがなければ、楽しいこともありません。今の苦しい状況を乗り越えればきっと楽しい、嬉しいことがあります。そのときに生きててよかったと思えるのではないでしょうか。その日のために一生懸命、今を生きることも大切だと思います。
長文失礼いたしました。
投稿日:2019-05-13
返信 2
すいかさん
ナルさんへ削除
わかります。私もそんな気持ちになったことが多々あります。
でも、死んだら…どうなんだろうと考えた時、楽というのを感じることもできない気がします。死んでも、何の得にもなりません。

楽しいという感情があるからこそ、悲しみ、苦しさが生まれる。と私は教わりました。今が頑張り所です。それを乗り越えたらきっと穏やかでいい気持ちになります。

親が悲しむから~以前にまず自分自身を大切に。
今まで生きてきたのは今を生きるためなんじゃないですか?
投稿日:2019-05-14
返信 3
にーあさん
ナルさんへ削除
とてもわかります。その気持ち。でも、死のうとしても、死ねないんですよね。。怖いから。とか。まだ心の何処かで生きていたい。だとか。まだやり残した事がある。だとかそういう気持ちが心の隅にあるからだと思います。今ここで死んだって何にもありません。死んだら天国か地獄、どちらに逝くかもわかりません。死んだら、その先は生まれ変わったり、霊となったり、別世界で生きることになったり。他にもありますけど。もしかしたら、何にもない真っ暗闇の世界で一人になるか。。私自信、死んだら何処に逝くのかわかりません。誰かに聞こうとしても死んでしまった人はこの地球にはいないんです。
そして罪のない人、なにもしてない人。。そんな方々が毎日当たり前のように死んでいく。そんな世界で。
約70億人という中に、いじめられている人。無意味で理由もなしの虐待を受けている人。精神的ダメージを喰らって生きている人。色々な人がいます。あなたも、私もその中の一人の人間として生きてます。
ハルさんと同意で、ナルさんが今死んでしまったら、必ず誰かがその事を知って悲しみます。それが赤の他人でも悲しみます。だって人が消えてしまったんだもの。私は今日、ナルさんの事を一部知りました。それはとてつもなく、苦しくて。辛くて。死にたいこと。もし、死んだら私は悲しみます。。
そして、皆さんに迷惑を掛けてしまうかもしれません。。
今、生きていて誰かに嫌われたって、愛されなくたって、恵まれなくたって。生きてください…!それがナルさんに告げる言葉です!!
辛かったらこの掲示板に相談してみてはいかがでしょう?
色々な人があなたの気持ちを聞いて、少しでも救ってくれますよ!!
投稿日:2019-05-14
返信 4
若者教育支援センターさん
ナルさんへ削除
「死んだって楽にならない」

お釈迦様の教えにこんな説話があります。

あるところに毎日、毎日重荷を満載した荷車を朝から晩まで引かねばならない牛がいました。
その牛はつくづく思った。
「なぜこの俺は毎日、毎日こんなに苦しまなければならないのか!
 いったいこの俺を苦しめているものは何なのか!
 そうだ!
 俺を苦しめているのは間違いなくこの荷車だ!
 この荷車さえなければ俺はこんなに苦しまなくてもよいのだ!」…と。

そしてその牛は荷車を壊そうと猛然と道端にある岩に突進して木っ端微塵に荷車を壊してしまった。

今まで牛を苦しめていた荷車はなくなり快適な気分もつかの間…。

それを知った飼い主は…
「こんな乱暴な牛にはよほど頑丈な荷車でなければまた壊されてしまう」
…そう思い今までの何十倍も重い鋼鉄製の荷車を造ってきた。
そしてその鋼鉄製の荷車に荷物を満載して今までのように毎日、毎日その牛に荷車を引かせた。

以前の何十倍もの苦しみを課せられた牛は再び荷車を壊すことも出来ず深く深く後悔した。

これはある本で紹介されていた釈迦の説話です。
「生きることに疲れた。早く死んで楽になりたい。」

確かにそう言うからには本当に人生疲れてしまっているのだと思います。
疲れたことは決して否定しません。
だからひとまずいろんなことは棚に上げてしっかり休んでもらうことは提案します。

でも!
そのために「死」を選択することは賛成できません。

「死んで楽になりたい」と言うが本当に死んだら楽になれるのか?

牛は自分を苦しめているものは荷車だと考えて
「この荷車さえ壊せば苦しまなくてよいのだ」…と思った。
でも結局、更に苦しい思いを強いられることになります。

「死んで楽になりたい」と言う人も
「この肉体さえ壊せば苦しみから解放され楽になれる」…と思っているのでしょう。

釈迦は言います。
「自らの命を絶てばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかなければならない。
 この世で苦しんだまま死ねば必ず死んだ後の世界も苦しみは待っている。
 あの世で幸せになりたければこの世から幸せの身にならなければならない」…と。

死んだら楽になれる!
…そういう人がいるが、もしもそうなら
自殺した人はみんな幸せになる…ということになってしまう。
だがそれは間違っています。

どんなに死にたいと思っても構いません。
でも決して実行に移してはいけません。

死ななくても楽になる方法は人それぞれ必ずあります。
だから僕らは自ら死を選ぶことは決してしてはいけない。

君が、「死んでしまいたい」と思って無駄に過ごした今日は、昨日、残念ながら亡くなった方がどうしても生きたかった明日…なんだから!
投稿日:2019-05-14
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