不登校や引きこもりの子供・成年たちの為にフリースクールを全国に展開しております。
Navigation

お悩みNO.688
みさん
父親の考えていることとは削除
高校の話をしていて専門学校に入りたいのですが、それについて話したところ、努力もしないやつに金なんか出せるかとの事です。
生活態度も悪いし、何を目標にして生きてきたのか理解できないそうです。(私が)
そう言われたので早く起きてやる事をやって勉強していたら
「勉強より先にやるべき事があるって言ったよね?話なんかひとつも聞いてないんだな。」と言われて、私はそれがなんなのか何をすべきなのかが分かりません。
試しにひとつ言ったら
「もういい。論外だろ。」だそうです。
何をしてもダメなので生きていること自体がダメなのかもしれません。
勉強より先にやるべき事とはなんでしょうか?
父親の思うさらに上とは一体どこまであるんでしょうか。

長文すみませんでした。
投稿日:2019-07-13
返信 1
にーあさん
回答です。削除
父親の想像の子供の未来。
父親が思うさらに上。
先にやるべき事。

父親は何を望んでいるのか。。
というと、多分ですが、子供も立派な未来。ですかね?

父親の子供への対応が酷いけども、それは親だからなのでは?
酷い家庭ならば、子供の世話もしない、子供のことなんてほったらかし、子供の趣味、夢、なんて考えず何も言わない。

最初の2つはちょっとした虐待に繋がりますね。。
3つめの事はまぁなんと酷い親。
でもあなたの父親は一つ一つ口出ししている。
まだましな方ですよ…?
殴られたり、蹴られたり。されてませんか?
大丈夫ですか?

そこら辺はしてなきゃ大丈夫です。

見返してあげましょう?
自分で駄目な所を見つけ、努力を積み上げる。
完璧な所はさらに良く。
何か足りなければ自分で増やしていけばいいのです。
きっと、努力していたら父親はいつか誉めるでしょう。

さらに上。。。
その父親は厳しい人なんでしょうか。。。
ならばその人が思う事は完璧であること。
だと思います。
才能、勉強、努力、生活、態度(礼儀)。
全てが完璧であること。
でもそんな人間いますかね?

いないですよ。
逆に居たら怖いです。
なので完璧に近い人間でいいのです。
でも無理はしないで下さい。
たまには自分を甘やかす時間も必要ですよ。

先にやるべき事。
……わかりませんね。。
これは父親に聞かなきゃわかりません。。
だって急に何も言われないで「勉強より先にやるべき事をやれ」と言われても困りますもの。
……あ。それかやるべき事って専門学校の勉強のことですかね?
…でもやってますよね。。?


やっぱり、聞かなきゃわかりませんね。。;;


父親の言葉を聞くたびに辛くなって何をすればいいのか全くわからなくなって、自分が嫌になって死にたいと思うけど、そんな言葉ばっか引きずってちゃ駄目です。
自分が弱くなるだけで何一つ進みません。
弱音は禁止です。

でも、辛くなったら泣いていいんだよ。
誰一人泣くなとは言ってません。
親に【うるせぇ、泣くな】と言われても、世界にはそんなルールないんですから泣いていいんです。
殴られても、蹴られても。
ね。
そして、父親より強く生きてほしい。
自分の夢があるから専門学校に入ろうと心に決意したのでしょう?
ならば、そのために頑張って努力して入らなきゃね。
でも、さっきもいった通り無理はしないで下さいね。
応援してますよ!
投稿日:2019-07-13
返信 2
【公式】若者教育支援センターさん
みさんへ削除
拝読しました。
あなたは父親の期待に応えるために生まれたわけでも、生きているわけでもありません。
あなたはあなたの人生を謳歌するために生きているのです。
以下を参考にしてください。
投稿日:2019-07-15
返信 3
【公式】若者教育支援センターさん
みさんへ削除
「ゲシュタルトの祈り」

ゲシュタルトの祈りはよく親子関係のセミナーや人間関係のセミナーで紹介されるもので、ドイツの精神医学者にしてゲシュタルト療法の創始者フレデリック・S・パールズ(1893~1970)が書いたものです。

【ゲシュタルトの祈り】
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


いかがでしょうか?
親子関係でも夫婦関係でも職場の人間関係でもすべての人間関係に共通するお話です。

ゲシュタルトの考えで一番大切にすることは「私は私」
これは利己主義とは全く違って自主性の確率・人間の成熟です。

本当の意味で成熟した人の「私は私」は他者が自分の思い通りに動かなくても自分の能力の限界と関与していいラインを引けているので潔く気持ちを切り替えることができます。
もし他人に対して「行動期待⇒期待通りにならない⇒怒り・悲しみ」というようなことがあればそれはあなたの自主性が確立されていない…というふうに捉えられるでしょう。

逆に言えば、人として未成熟(伸びしろがあるってことですよね)。
残された可能性がいっぱいということなので早速、自分の自主性の確率に取り組めばいいだけなのです。

私は何がしたいの?
どうなりたいの?
何ができるようになりたいの?

これらを明確にして、取り組んでいくだけでいいのです。
とてもシンプルですよね。

またパールズは、「より良い人間関係を作ろうとすること自体、“自虐”である」と言っています。
特に人と人はうまくやろうなどと意識しなくてもいいと…。

ただ、我々は、成熟した人間同士だったら 特に意識しなくてもお互い自然なかたちでうまくいくような気がします。
…ということで パールズの言葉を言い換えると、
「成熟していない人とは付き合わなくてよろしい」ということになるかもしれませんね。

人と人のお付き合いは自分自身の鏡です。
今、あなたの周りにいる人は、あなたの立っている位置を映し出してくれる鏡です。
近寄ってこようとする人も、あなたの立っている位置を映し出してくれる鏡です。
あなたが成熟すれば あなたの周りも成熟した人たちに変わります。

だから心配しないで結構です。
今のお付き合いに執着しないで大丈夫。
人は自然に似た段階の人が集まるようにできていますから。

そして一番意味が深いのが、「ゲシュタルトの祈り」の最後の一文だと言われています。
「たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」

私たちは出会うことに意味を感じ出会わないことには意味を感じないでいませんか?
出会って知り合いになった方には不思議なご縁だね…と喜び合うことはあります。

出会わない人もこれまた 出会わないという不思議なご縁。
どちらにも価値を置かないで、ありのままを受け入れるというパールズらしい最後の一文です。
投稿日:2019-07-15
返信・コメントはこちら
削除用パスワード(同じものを2回入力してください)

掲示板トップに戻る