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お悩みNO.399
ふうさん
お久しぶりです。削除
職場いじめに悩まされていた者です。しばらく新しい職場先に就いていたのですが、嫌がらせを受け、我慢出来ずにまた辞めてしまいました。ごめんなさい…悔しいです。

投稿日:2018-07-31
返信 1
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
お久しぶりです。
ご投稿ありがとうございます。
ここを覚えていただけたことを嬉しく思います。

新しい職場でも嫌がらせやいじめにより我慢できずに辞められたとのこと。

そのような職場はこちらから願い下げ…と思うくらいで良いですよ。
本当に悔しいですよね。
ですから、ごめんなさい…なんて謝らなくても良いのです。

会社というのは自己成長を実現する場だと思います。
嫌がらせやいじめがあるような職場では自己成長は実現できません。

会社は従業員を面接等で選び採用しますが、採用される側も職場を選択する自由があるのです。
投稿日:2018-08-01
返信 2
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
ですから、ごめんなさい…なんて謝らなくても良いのです。

会社というのは自己成長を実現する場だと思います。
嫌がらせやいじめがあるような職場では自己成長は実現できません。

会社は従業員を面接等で選び採用しますが、採用される側も職場を選択する自由があるのです。
投稿日:2018-08-01
返信 3
ふうさん
無題削除
母が早く次の仕事を探せとしつこく言ってくるので、私はこれからもずっと同じ繰り返しで働く事は無理だと思う。
もうしばらく仕事したくない。と話したら、あんたはそんなに弱い人間なのか!情けない!
と散々怒鳴られました。
もう母とは口を聞きたくありません。
投稿日:2018-08-01
返信 4
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
お母さんも怒鳴ることはないのに・・・と思ってしまいます。
怒鳴っても解決しないのに。

いじめの経験からエネルギーが枯渇して充電するために休む。
これは決して「弱い人間」ではありません。

むしろ、強いのです。
強いから今まで我慢できてしまったのです。

だらか休む期間が必要なのです。
投稿日:2018-08-02
返信 5
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
このことを理解してもらうためにお母さんにも伝えてください。
投稿日:2018-08-02
返信 6
ふうさん
無題削除
母とは口を聞きたくありません。何を言っても返ってくるだけなので…。

投稿日:2018-08-03
返信 7
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
お母さんに対する嫌悪感が深いのですね。
では、一定期間、距離を置くと良いかもしれません。
これは無関心になる・・・のではなく、将来的に自分を理解してもらうための冷却期間と捉えましょう。
投稿日:2018-08-03
返信 8
ふうさん
無題削除
自分が嫌になります。
消えたいです。
投稿日:2018-08-07
返信 9
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
そう思ってしまうくらい自分が嫌なのですね。
でも、生まれてから死ぬまで、一番長い付き合いになるのが「自分」です。
そんな自分を好きになるために自分を変えることをしてみませんか。
投稿日:2018-08-07
返信 10
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「自分を変える」

自分を変えたいけど変え方がわからない。
自分を変えるためにはどうすればいいのでしょう。

まず、自分の中にも
“「変えられるもの」と「変えられないもの」がある”。
そのことを認識することが優先されます。

この2つを分類してみると、
自分の中の変えられるもの →「思考」「行動」
自分の中の変えられないもの →「感情」「生理的反応」
に区別できます。

例えば、今、この文章をを読んでいるあなたに対して
「1+1は?」と聞いたら、「2」と答えるでしょうし(思考)、
「パソコン(またはスマホ等)に向かいながら首を回して」と言ったら、
そのようにできるはずです(行動)。

このように「思考」や「行動」は、
インストラクション(指示)があればすぐに変えられます。

ところが!
「電車に乗り合わせた見知らぬ人を好きになってください」
と言ってもいきなり好きにはなれませんし(感情)、
「胃液を通常の5倍出してみてください」
と言っても自分ではコントロールできません(生理的反応)。

「感情」や「生理的反応」は、ダイレクトには変えられないものです。

それを踏まえると、
「自分を変える」ということは、「思考」と「行動」を変えるしかないのです。

「思考」を変えるためには、受け止め方を「プラス」にするといいです。

例えば、思わぬミスをしてしまったとします。
よい結果が得られなかったという事実に対して、これを糧として努力を続け、
次によい結果が出れば、最初の失敗はさらに学ぶための刺激、あるいはよい教
材になったと言えます。

成功を目指す過程において、
良くないと思われる結果は、「失敗」ではないのです。
むしろ「学ぶチャンス」、「成功へのプロセス」です。

言うなれば、
この世の中に「失敗」はないと言えるのではないでしょうか。
このように考えられる人が「メンタル的にタフ」という人です。

発明王と言われたエジソンは電球を発明するまでに1万回失敗したと言います。
しかし、「失敗だ」とは言わず、こう言いました。
「うまくいかない方法を1万通り発見した」と。
まさに、この思考こそがプラス思考というべきではないでしょうか。

「思考」が変われば、「行動」も変わってきます。

ホームで電車を待っているとします。
急いでいる時に限って遅れる。
そんな時、だいたいの皆さんは、電車が来るべき方向を覗き込みイライラして
しまうでしょう。

しかし、いくら覗き込んでも電車が来る時間は変えられません。
……にも関わらず私たちは覗き込んでしまいます。
「変えられないもの」とはわかっているものの、一生懸命イライラを募らせて
いるのです。

自らの力で電車が到着する時間を変えることが出来ないのであれば、
「待っている時間に新聞や本を読む」、「調べものをする」、
という行動を起こせば時間を有効に使えますし、
自分にとってもプラスなはずですよね。

カウンセリングの領域では「行動療法」と言います。
その人の「行動」にアプローチして、心(内面)を変えていく療法です。
この手法により、より早く効果が出ると言われています。

「楽しいから笑う」ではなく、
「笑っているから楽しくなる」という考え方です。

このように日常のよくあるケースから、少しずつ「思考」や「行動」を変えて
いく習慣をつける。
これが自分を変える近道であり、
その先の未来を変えていけるヒントがあるのだと思います。

また時々、
「性格は生まれつきのものだから絶対に変えられない」というご相談を受けます。
しかし、この考えは正しくありません。
心理学では人間の行動の9割以上が習慣によるものだと言われています。
つまり習慣を変えることで性格 (=習慣的性格)を変えることができるのです。

「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」

これは、1957年に交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱したカナダ出身の精神科医、エリック・バーンの言葉です。

自分を変えることで物事に対する受けとめ方や捉え方が変わり、
もしかしたら……
「過去の事実」は変えられないにしても、
「過去の形」くらいは変えられるかも知れませんね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

江副浩正(リクルート創業者)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
投稿日:2018-08-07
返信 11
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
そして、自分を変えるためには「受け止め方を変える」ことです。
投稿日:2018-08-07
返信 12
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「事実は1つ、受け止め方は2つ」

ある調査によると、日本の若者はアメリカ・中国・韓国の若者と比較して 自分自身を肯定的にとらえていない傾向にあるという調査結果が出ています。
しかし、自分自身を肯定的にとらえられない原因は、実は思い込みや勘違いの部分が大きいのです。
人間の習慣として、無意識のうちに脳へ条件づけされた習慣通りの行動を行ってしまうという傾向にあります。
専門用語では、物事をどのように受け止めるかという習慣を「思考習慣」と呼びます。
この思考習慣は以下の2つです。
「マイナス思考」→いつも不満やグチ、無理、できないという弱気なことばかり言っている消極的な人
「プラス思考」→いつも明るく、できることばかり考え、強気で自信にあふれた発言をしている積極的な人
このマイナス思考とプラス思考の差はどこから生まれてくるのでしょうか?
それは、フッと思い浮かべる「かも?」から生まれるのです。
たとえば、否定的なことを思い浮かべた人は、
「できないかも?」
   ↓
「できない姿・状況をイメージ」
   ↓
「あきらめる」
   ↓
「間違いないという否定的確信」

反対に肯定的なことを思い浮かべた人は、
「できるかも!」
   ↓
「できる姿・状況をイメージ」
   ↓
「その為に行動する」
   ↓
「間違いないという肯定的確信」

このように、世の中には 「プラスのかも」と 「マイナスのかも」の 2つがあります。

脳に浮かぶプラスの「かも?」は神様がくれた成功へのプレゼントであり、マイナスの「かも?」は あなたの人生を台無しにする悪魔のささやきでもあるのです。

たとえば、テストで思わぬミスをしてしまった。 よい結果が得られなかったという事実に対して、これを糧として努力を続け、次のテストでよい結果が出れば、最初の失敗はさらに学ぶための刺激、あるいはよい教材になったと言えます。
言うなれば、「失敗」ではなく「将来の教訓」なのです。

発明王と言われたエジソンは電球を発明するまでに1万回失敗しました。
しかし、「失敗だ」とは言わず、こう言いました。
「うまくいかない方法を1万通り発見した」 ・・・と。
まさに、この思考こそがプラス思考というべきではないでしょうか。

成功をめざす過程において良くないと思われる結果は「失敗」ではないのです。
むしろ「学ぶチャンス」、「成功へのプロセス」です。
言うなれば、この世の中に「失敗」はないと言えるのではないでしょうか。
このように考えられる人が「メンタル的にタフ」という人です。

ものごとには「出来事」があって「結果」がありますが、この「出来事」と「結果」の間には必ず「受け止め方」が存在します。
たとえば・・・
【否定的受け止め方】
(A)旅先で雨が降った
 ↓
(B)せっかくの旅行が台無し
 ↓
(C)憂鬱な気分で楽しくない旅行だ

逆に・・・
【肯定的受け止め方】
(A)旅先で雨が降った
 ↓
(B)観光客が少ないかもしれない
 ↓
(C)静かに景色を楽しめるな

自分に自信のない人は、どうしても、自分の「欠けている部分」に焦点が当ててしまいます。

「足(た)らで事たる身こそ安けれ 」
これは禅の言葉です。
「足らん、足らん」言い出したらきりがありません。
足らんけど、足りるところで楽しめる人が素晴らしいのです。
なにげない日常、ちょっとした出来事の中に幸せを見つけられる人、今ある環境を楽しめることは素晴らしいと思います。

思うようにいかないことなど山ほどあるでしょう。
それはそれで受け止めて、そこから学べることを探して次の事へ向かえるような、そんな受け止め方をしてみませんか。

経営の神様、松下幸之助はこう言います。
「運の悪い人とは “自分は運が悪い”と思う人。
運のよい人とは “自分は運がよい”と思う人。」・・・と。

出来事は常に白紙であり、その段階では、「プラス」も「マイナス」もありません。
要は今出来ていなくても、「やればできる」というプラス思考と 「やってもムリ」というマイナス思考の差なのです。

したがって、「事実は1つ、受け止め方は2つ」ということになるのです。

この世の中には、「失敗」も「不幸」もない。
それらは「成功」や「幸福」へのプロセスだ、と考えるとけっこう気持ちが軽くなり、「何でもチャレンジしてやろう」 という気持ちにならないでしょうか。

本気でチャレンジし行動すれば不可能だと思われていることも可能になるのです。
「夢は必ず叶います」

そのためには、先ほどからお伝えしている通り、「受け止め方をプラス」にする必要があります。
その「受け止め方」は言葉で表現されます。

私たちは言葉を使って、物事を受け止め、理解し、考え、表現しています。
言葉は脳の働きによって生まれる心(意識)を表現したものなのです。
言葉を変えれば、心が変わります。
心が変われば、脳の回路も変わるのです。

「プラス思考」とは、「プラスの受け止め方+プラスの表現」です。
脳と心は言葉によってつくられる 、言わば、「言葉は意識のコントローラー」なのです。

「できない」→「できる、やれる」
「ムリ」  →「大丈夫」
「イヤだ」 →「いいね」

心から「実現させたい」と思うことがあればプラスの表現を使いましょう。
断定的な言葉を使うことで、ドーパミンが分泌され、細胞がやる気を出してフル稼働するのです。
「できると思えばできる、できないと思えばできない」
苦しいときは 、「やれる」「できる」で乗り切りましょう!

よく、「性格は生まれつきのものだから絶対に変えられない」というご相談を受けます。
しかし、この考えは正しくありません。
心理学では人間の行動の9割以上が習慣によるものだといわれています。
つまり習慣を変えることで性格 (=習慣的性格)を変えることができるのです。

「過去と他人は変えられない
 変えられるのは未来と自分」

これは、カナダ出身の精神科医であり、1957年に交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱した、エリック・バーンの言葉です。

この言葉の通り、人の行為とか考え方とか、諸々は変えることは出来ないし、過ぎ去ったことも変えられません。
しかしながら、自分のこと、そして、これから起こる未来については、影響を与えられます。
だから、「自分自身」と「これから」にフォーカスをしていくことが大切なのです。

あなたの人生は、あなたの受け止め方・意識・言葉によるどのようにも変えることができるのです。
投稿日:2018-08-07
返信 13
ふうさん
無題削除
何度も自分を変えようと試みました。でも対人恐怖症のせいで本当の自分を出す事が出来ないんです。




投稿日:2018-08-08
返信 14
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
対人恐怖症でなかなか自分を変えることができないとのことですね。
対人恐怖症とはいわゆる人間不信から来ているのだと思います。
以下を参考にしてください。
投稿日:2018-08-09
返信 15
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
【人間不信克服方法】

1.できるだけ信じることのできる人と関係を深めていく
人間不信を克服するには、「他人はすべて信用できない」というイメージを覆すことが必要です。そのためには、できるだけ信じることのできる人と関係を深めていくといいでしょう。
トラウマが原因で人間不信の人は、他人と関わるのにはかなり勇気がいることです。しかし、他人と関わらなければ、人間不信は一生克服できません。
学校や職場の人でいいので、一緒にいて楽しいとか、自分に優しいという人と関わるようにしましょう。その関係性を深めていくうちに、「信用できる人もいるんだ」と感じることができ、「他人はすべて信用できない」という考えを変えることができます。

2.人に対して疑いから入らない
そして、人間不信だと人に対して疑いから入ってしまうことがあるでしょう。普通であれば、「あの人は好印象だな」と思っても、人間不信の状態であれば「あの人は好印象だけど、何かしら裏がありそう」と疑ってしまいます。
しかし、そのような疑いを抱いていれば、他人とは関わることができ、人間不信は改善できません。裏切られたなどのトラウマもわかりますが、他人が全員、自分を裏切るなんてことはありえません。
好印象であれば、本当にその印象通りの人で、自分に優しく親しみを持って接してくれるという人も多いです。そのため、人に対して疑いから入らないようにしましょう。そうすれば、他人と関わりやすくなり、自然と人間不信も改善できます。

3.他人に期待しすぎないようにする
人間不信になってしまったきっかけとしては、相手にも原因がありますが、自分が期待をしすぎてしまったなんてケースもあるものです。
何でも自分のために尽くしてくれると思った人に裏切られて人間不信になった場合には、裏切った相手も悪いですが、相手に期待しすぎた自分にも人間不信になってしまった原因はあります。
相手に期待しすぎなければ、裏切られても少ないショックで済んだことでしょう。そのため、他人には最初から期待しすぎないようにするべきです。
過度な期待を抱いてしまえば、それだけイメージが覆される可能性が高く、ショックが大きくなるだけです。期待しなければ、たとえ裏切られたとしても「そうか。」と気楽に考えて開き直ることができるでしょう。
もちろん、全く信用しないということではありません。それでは人間不信は改善できません。信用しつつも、だからといって大きな期待を抱くということはしないように努めましょう。

4.他人の優しさを実感して感謝する
「他人は悪、信用できない」という考えを覆すためには、他人から何か恩恵を受けるのが一番手っ取り早いです。他人がしてくれたことで自分に何か恩恵があれば、他人を少しは信用できるようになるでしょう。
そこで、他人の自分へのやさしさを実感し、それがたとえ少しだとしても感謝をするようにしてください。感謝ができれば、相手に抱く不信感も払拭することができます。
それを、色んなたくさんの人との関係で積み重ねていくことで、「他人は信用できない」という考えをなくすことができるでしょう。むしろ「他人には優しい人の方が多い」とプラスの考え方をできるようになります。

5.環境を変えてみる
現在の人間関係がきっかけで人間不信に陥っているのであれば、環境を変えてみるといいでしょう。同僚や上司に裏切られたのであれば、転職をしましょう。
もしくは、引越しをして生活そのものを全く別のものに換えてみることもおすすめです。環境が変われば、以前の環境での出来事などどうでもよくなります。
裏切られたということについても悩むことは少なくなるでしょう。また、新しい環境で良い関係を築くことができる人に出会えれば、それで人間不信はしっかりと克服することができます。
時には逃げるということも重要です。意地を張って嫌な場所に居続けても、ストレスが溜まってさらに人間不信になるだけです。自分の周囲の環境を一度リセットし、他人との関わりを見直すようにするといいでしょう。

6.日常生活に支障をきたすようであれば、病院へ行く
この世の中はある程度他人と関わっていかなければ生きていけません。人間不信がひどいと生きづらくなってしまうので、しっかりと改善することが重要です。
しかし、重度の人間不信で、他人と接する時に緊張や吐き気、過呼吸を催す、もしくは怖くて家に引きこもってしまうなんて場合には、単なる悩みではなく治療が必要な心の病です。
日常生活などに支障をきたすものとなっているので、精神科を受診するようにしましょう。なるべく早めの治療が必要となります。

まとめ
以上が人間不信を克服するための方法となります。過去に人間関係やいじめ、恋愛などのトラブルで他人にひどい目にあわされた場合には、それがトラウマとなって人間不信になってしまいます。
しかし、この世の中はある程度他人と関わっていかなければ生きていけないので、人間不信はしっかりと改善して治すべきです。
自分の原因や症状に合わせて、それに合った克服法をしましょう。人間不信が治れば、他人ともしっかり向き合って関わることができ、楽になります。
投稿日:2018-08-09
返信 16
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
また、対人恐怖、人間不信は他者の言動に過剰に反応することも原因です。
「他人は他人!」といい意味で割り切り、開き直ることも大切ですよ。
投稿日:2018-08-09
返信 17
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「ゲシュタルトの祈り」

ゲシュタルトの祈りはよく親子関係のセミナーや人間関係のセミナーで紹介されるもので、ドイツの精神医学者にしてゲシュタルト療法の創始者フレデリック・S・パールズ(1893~1970)が書いたものです。

【ゲシュタルトの祈り】
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


いかがでしょうか?
親子関係でも夫婦関係でも職場の人間関係でもすべての人間関係に共通するお話です。

ゲシュタルトの考えで一番大切にすることは「私は私」
これは利己主義とは全く違って自主性の確率・人間の成熟です。

本当の意味で成熟した人の「私は私」は他者が自分の思い通りに動かなくても自分の能力の限界と関与していいラインを引けているので潔く気持ちを切り替えることができます。
もし他人に対して「行動期待⇒期待通りにならない⇒怒り・悲しみ」というようなことがあればそれはあなたの自主性が確立されていない…というふうに捉えられるでしょう。

逆に言えば、人として未成熟(伸びしろがあるってことですよね)。
残された可能性がいっぱいということなので早速、自分の自主性の確率に取り組めばいいだけなのです。

私は何がしたいの?
どうなりたいの?
何ができるようになりたいの?

これらを明確にして、取り組んでいくだけでいいのです。
とてもシンプルですよね。

またパールズは、「より良い人間関係を作ろうとすること自体、“自虐”である」と言っています。
特に人と人はうまくやろうなどと意識しなくてもいいと…。

ただ、我々は、成熟した人間同士だったら 特に意識しなくてもお互い自然なかたちでうまくいくような気がします。
…ということで パールズの言葉を言い換えると、
「成熟していない人とは付き合わなくてよろしい」ということになるかもしれませんね。

人と人のお付き合いは自分自身の鏡です。
今、あなたの周りにいる人は、あなたの立っている位置を映し出してくれる鏡です。
近寄ってこようとする人も、あなたの立っている位置を映し出してくれる鏡です。
あなたが成熟すれば あなたの周りも成熟した人たちに変わります。

だから心配しないで結構です。
今のお付き合いに執着しないで大丈夫。
人は自然に似た段階の人が集まるようにできていますから。

そして一番意味が深いのが、「ゲシュタルトの祈り」の最後の一文だと言われています。
「たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」

私たちは出会うことに意味を感じ出会わないことには意味を感じないでいませんか?
出会って知り合いになった方には不思議なご縁だね…と喜び合うことはあります。

出会わない人もこれまた 出会わないという不思議なご縁。
どちらにも価値を置かないで、ありのままを受け入れるというパールズらしい最後の一文です。
投稿日:2018-08-09
返信 18
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
そもそも、職場でのいじめも原因ですよね。
こちらも、以下に対処法をまとめました。
投稿日:2018-08-09
返信 19
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「職場いじめ・社内いじめを受けている場合の対処法」

① イジメの証拠を記録しておく
職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)に対処する場合は、まずあらかじめイジメに遭っている証拠を確保しておく必要があります。
イジメを受けていることを会社に申告したり、最悪の場合は弁護士を雇って裁判を利用してイジメを止めさせる必要があるかもしれませんが、どのような方法を採るにしろ、イジメがあったことを客観的に証明できなければ、自分がいくら「イジメに遭いました」と主張しても、「いや、それはイジメじゃなくコミュニケーションの一つでしょ?」とか「それはイジメではなく同僚が指導や注意をしているだけじゃないの?」とまともに取り合ってもらえない場合は多いと思います。
そのため、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)に遭っている場合は、その現場をスマホを利用して動画で撮影したり、録音したりして記録を保存しておく必要があります。
また社内メールやEメールを利用して暴言や侮蔑の文章を受け取っている場合には、そのメールなどを保管しておく必要もあるでしょう。
動画や録音ができないような状態であれば、毎日日記をつけてその日記に職場でのいじめの様子を記録しておくなどでも問題ないと思います。

② 上司や会社に「職場いじめ」の事実を申告する
従業員からいじめの被害に遭っている旨の報告を受けた会社(雇い主)は、その職場いじめを放置することは許されず、その加害者にいじめ行為を止めるよう指導したり、社内いじめの再発防止策を構築することが必須となります。
なぜなら、使用者(会社・雇い主)は従業員の生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をしなければならない義務があるからです(労働契約法5条)。

【労働契約法第5条】
「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」

“職場いじめ”は、そのいじめの被害者に精神的又は肉体的苦痛を与えることになりますから、「労働者の生命・身体の安全」を脅かす行為といえますので、会社は従業員が「安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮」をしなければならない義務があるのです。
そのため、労働者(従業員)からいじめを受けているという報告を受けた会社は、そのイジメを放置することは法律的に認められず、適切に対処することが求められます。
もし会社が「職場いじめ」を放置した場合は、使用者は労働者に対する職場環境の保護やこれに配慮する義務および「職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)」が起きた場合の適切な処置と改善を怠ったことによる責任を負うことになりますので、会社に対する損害賠償請求を行うことも可能です。
このような理由から、会社に対してイジメがあったことを申告すると、まともな会社であれば、そのイジメが無くなるようまた今後再発しないよう適切な対応を行ってくれるはずです。
ちなみに、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)の最初の相談先としては、上司や担当部署(社内のお悩み相談室的な部署)が適当でしょう。
なお、上司や会社に対していじめの相談を行って改善しない場合には、社内いじめに適切な対処をとるよう記載した通知書を作成し会社に郵送するようにしてください。
社内いじめを申告しても何ら対処しないような会社の場合には後日裁判に発展する可能性がありますので「会社にいじめの申告を行った」ことを証明するために通知書という文書の形で証拠を残しておく必要があるからです。
なお、会社や相手方に書面を送る際は、通知書を送ったという証拠になるように、普通郵便ではなく内容証明郵便で送付する方が良いでしょう。

③ 労働局に個別労働紛争解決の援助の申し立てを行う
各都道府県に設置された労働局では、労働者と事業主の間で紛争が生じた場合に、当事者の一方から援助の申立があった場合にはその解決のために助言や指導を行うことができます。
ところで、前述したとおり、労働者が同僚や部下から社内イジメを受けているにもかかわらず、その職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)を止めさせたり再発防止策を講じない事業主は、労働契約法5条に規定された「労働者(従業員)が生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をする義務」を怠っているということになります。
そのため、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)に会社が何らの対応もしない場合には、労働者と会社(事業主)との間に紛争が生じているということになりますから、労働局に社内イジメの解決について援助の申立をすれば、労働局から法的な助言を受けたり、労働局が事業主に対して「ちゃんと社内イジメに対処しなさい」といった指導を行ってもらうことができることになります。
また、この援助申立による助言や指導によっても解決しない場合には、労働局に対して紛争解決の”あっせん(裁判所の調停のようなもの)”を求めることも可能となりますから、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)の解決も十分に期待できると思われます。
何より、この労働局に対する援助の申立や”あっせん”の申立は「無料」で利用できますので、後述する弁護士など法律専門家に相談するのと比べれば、気軽に利用できる解決手段といえるでしょう。
これら労働局における“援助”や“あっせん”の手続は最寄りの労働局に行けば親切に教えてもらえますので、申立書の書き方についても最寄りの労働局に相談に行けば丁寧に教えてもらえると思います。

④ 弁護士会・司法書士会などが主催するADRを利用する
ADRとは「Alternative Dispute Resolution」の略省で、裁判外紛争処理手続のことをいいます。
ADR手続は弁護士など法律の専門家が紛争の当事者の間に立ち、中立的な立場で両者の話し合いを促す調停のような手続きになります。
当事者同士での話し合いで解決しないような問題でも、弁護士などが間に入ることにより問題の解決へ向けた要点が絞られた話し合いができますので解決への近道となりますし、法律専門家が関与することによって違法な解決策が提示されるような問題も発生しなくなり安心な面もあります。
なにより、裁判とは異なるため裁判費用や弁護士に依頼する弁護士報酬なども発生しませんので、費用的に安価な費用で問題解決が図れるのが最大のメリットです。
もちろん、ADRの調停役になる弁護士や司法書士、社会保険労務士などに支払うADR費用が発生しますが、通常は数千円~数万円と裁判を行うより格段に安い費用で収まることが多いので経済的な負担はそれほど感じないでしょう。
また、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)など会社内での労働トラブルは、解決後もその会社で働き続けることが必要なため、会社側と裁判で言い争いをするのは会社との関係性で溝を作ってしまい、その後の勤務にも少なからず影響が出てくる懸念も生じます。
そのため、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)というような、あまり事を荒立てたくない一面を持っている問題については、ADRという裁判外の手続を利用することも考えてみる必要があると思います。

⑤ 裁判を利用する
上司や会社への直接の交渉をしても、ADRを行っても解決しないような場合には、裁判所の訴訟手続きを利用して解決を図ることも考える必要があるでしょう。
職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)を裁判で解決する場合は、イジメを行っている加害者の同僚社員にイジメを止めさせる仮処分申請の裁判が代表的ですが、他に職場いじめの被害者が精神的な苦痛を受けたことによる損害賠償請求、会社がイジメに対応しないことに対する損害賠償請求(※この場合は会社に対して訴えを起こすことになります)、イジメを止めさせると同時に損害賠償を請求し合わせて今後の再発防止策を講じるよう求める労働審判などがあります。
どの手続で裁判を申し立てるかは事案によって異なりますので、依頼する弁護士なり司法書士と話し合いをして決めていく方が良いでしょう。
なお、未払い賃金や残業代請求など、金銭を請求するだけの裁判であれば弁護士などに依頼せず、自分で裁判を行うこともそれほど難しくはありませんが、職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)をやめさせたりイジメに基づく損害賠償請求をするという裁判に関しては、多くの専門的知識が必要となりますので、モラハラなど社内いじめの裁判に関しては弁護士や司法書士などに依頼して訴訟を行う方が良いと思います。

⑥悪質なケースの場合は警察に被害届を出すことも考える
職場いじめ(社内いじめ・モラハラ)が殴る蹴るなど暴行を伴うものであったり、名誉棄損的な行為に基づく場合は犯罪行為ということもできます。
そのため職場いじめがそのような悪質性の高い犯罪行為が含まれるものであるような場合には、警察に被害届を出すことも検討しなければならないでしょう。
警察に被害届を出す場合は、ただ「いじめられてます」というだけでは話を聞いてもらえないので、実際に殴られている場面を撮影した動画や音声記録などを証拠として持って行くなどした方が被害届を受理してもらいやすくなると思います。
被害届を提出すれば「逮捕されるんじゃないか」というプレッシャーを加害者の同僚に与えることができますから、職場いじめをしなくなったり、慰謝料請求の和解に応じてもらえやすくなるなどのメリットもあります。

職場いじめが暴行罪や脅迫罪、強要罪などの刑事事件に当てはまるのは極めてまれなケースに限られると思われますが、職場いじめの性質が悪質でその暴行や脅迫等の証拠を確保できるような場合は、このように最寄りの警察署などに被害届の提出を検討してみるのも良いのではないかと思います。
投稿日:2018-08-09
返信 20
ふうさん
無題削除
毎日ヘンな事を考えてしまいます。1番楽にいなくなれる方法。
薬の過剰摂取、あそこから飛び降りたら一瞬かなとか、このタイミングで電車に飛び込んだらとか、首吊る場所を探してしまったり。
情けないです。




投稿日:2018-08-14
返信 21
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
毎日そのようなことを考えてしまうくらい辛く追い詰められているのですね。
でも、その考えは何ひとつ解決しません。
再度、我々のメッセージを読み直していただき、それについての感想も聞かせてください。
投稿日:2018-08-16
返信 22
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
そして、今回は以下の内容も紹介しますのでそのことについても感想を聞かせてください。
投稿日:2018-08-16
返信 23
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「悩みについて」

人には「現実の自分」と「理想の自分」があります。
この2つの間の距離が長ければ長いほど悩みは深いものになるのです。

イメージとしては…
「現実の自分」←――――――――→「理想の自分」
「理想の自分」を基準にしている人は「現実の自分」との差に愕然とし自分には到底無理だ…と決め込んでしまいます。

この間の矢印が半分なら…
「現実の自分」←―――→「理想の自分」…悩みも半分となりますよね。
これは「理想の自分」を「現実の自分」に近づける方法。
「現実の自分」を基準とする人です。

言い換えれば「理想の自分」の位置を低く設定してあげることです。
要は「理想の自分」を目標に例えるなら目標を低く設定すると言うこと。
このような手法はカール・ロジャースの基本的な考えである「自己受容」へと繋がり悩みを解決する有効的な手法と言われています。
大半の悩みはこの考えをベースにカウンセリングを進めることで解消されます。

しかし、カウンセリングをしていると中にはこんなクライアントもいます。
「理想の自分を低くすることには違和感を覚えます。
 目標を低くするってことは自己の成長につながりません。
 むしろそのことの方こそストレスが溜まってしまいます。」

確かにおっしゃる通りかもしれません。
…しかし、このような考え方自体を修正していかないとこれから人生疲れてしまいます。

こんな方には次のような提案をしています。
「じゃ~この2つの間の矢印はこのままの長さにしておきましょうよ。
 その方がストレスも溜まりませんもんね。
 でも“理想の自分”をちょっと言い方を変えてみましょう。
 “理想”ではなく“憧れ”にしてみてはいかがですか?」…と。

最初は「キョトン」としているクライアントも話しを進めていくと納得してもらえて目の輝きが違ってきます。

例えば高校球児が…
「理想はイチロー選手のバッティングです。
 だからバッティングフォームからイチロー選手を真似してみます」…こう言ったとします。

でもなかなか上手くいかない。
もしもバッティングフォームを多少真似出来たとしても打率(結果)が伴わない。
結果が伴わないと今の自分とイチロー選手を比べてレベルの低さに愕然とする。
これは当然!

イチロー選手だってメジャー選手になり世界的な記録を残すのに何年も掛かっているのです。
そもそも高校球児がメジャーリーガーであるイチロー選手と比べること自体がナンセンス。
高校球児とメジャーリーガーで例えると笑ってしまうくらい当たり前のことだし理解できます。

でも心に悩みを持つ人は「現実の自分」と「理想の自分」の距離が分からなくなり、そのくらいの距離が離れていることに気づきもしないのです。
だからカウンセラーは「理想の自分をもう少し低めてあげましょう」と提案をするのです。

でもそれも納得いかない人には
「イチロー選手を“憧れ”という位置づけにしましょう」と提案をする。
 イチロー選手が“憧れ”であればそれは本人の自由。
むしろその距離が長ければ長いほどそれに向かって頑張れるのです。

「僕のバッティングの憧れは隣町のチームの4番バッター、寿司屋のゲンさんです!」
これじゃ~「誰だそれ!」と突っ込まれてしまいますよね。

それよりも…
「僕のバッティングの憧れはメジャーリーガーのイチロー選手です」の方がカッコいいです。
焦点は目標であるイチロー選手ではなくイチロー選手に近づこうとする自分に当たる。
なかなか近づけないで努力する自分に焦点をあてればイチロー選手との距離がどうのこうのとは考えなくなる。

このように焦点づけ(ものの見方)を少し変えてあげると悩みや苦しみはストレスの原因ではなくなり、むしろ日々頑張れる起爆剤へと転化するのです。
このようなカウンセリング手法を「ゲシュタルト療法」と言います。

「理想の自分」から「憧れの自分」へ!
自分自身が憧れの存在なんて…ちょっと素敵ではないでしょうか!
投稿日:2018-08-16
返信 24
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
「死んだって楽にならない」

お釈迦様の教えにこんな説話があります。

あるところに毎日、毎日重荷を満載した荷車を朝から晩まで引かねばならない牛がいました。
その牛はつくづく思った。
「なぜこの俺は毎日、毎日こんなに苦しまなければならないのか!
 いったいこの俺を苦しめているものは何なのか!
 そうだ!
 俺を苦しめているのは間違いなくこの荷車だ!
 この荷車さえなければ俺はこんなに苦しまなくてもよいのだ!」…と。

そしてその牛は荷車を壊そうと猛然と道端にある岩に突進して木っ端微塵に荷車を壊してしまった。

今まで牛を苦しめていた荷車はなくなり快適な気分もつかの間…。

それを知った飼い主は…
「こんな乱暴な牛にはよほど頑丈な荷車でなければまた壊されてしまう」
…そう思い今までの何十倍も重い鋼鉄製の荷車を造ってきた。
そしてその鋼鉄製の荷車に荷物を満載して今までのように毎日、毎日その牛に荷車を引かせた。

以前の何十倍もの苦しみを課せられた牛は再び荷車を壊すことも出来ず深く深く後悔した。

これはある本で紹介されていた釈迦の説話です。
「生きることに疲れた。早く死んで楽になりたい。」

確かにそう言うからには本当に人生疲れてしまっているのだと思います。
疲れたことは決して否定しません。
だからひとまずいろんなことは棚に上げてしっかり休んでもらうことは提案します。

でも!
そのために「死」を選択することは賛成できません。

「死んで楽になりたい」と言うが本当に死んだら楽になれるのか?

牛は自分を苦しめているものは荷車だと考えて
「この荷車さえ壊せば苦しまなくてよいのだ」…と思った。
でも結局、更に苦しい思いを強いられることになります。

「死んで楽になりたい」と言う人も
「この肉体さえ壊せば苦しみから解放され楽になれる」…と思っているのでしょう。

釈迦は言います。
「自らの命を絶てばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかなければならない。
 この世で苦しんだまま死ねば必ず死んだ後の世界も苦しみは待っている。
 あの世で幸せになりたければこの世から幸せの身にならなければならない」…と。

死んだら楽になれる!
…そういう人がいるが、もしもそうなら
自殺した人はみんな幸せになる…ということになってしまう。
だがそれは間違っています。

どんなに死にたいと思っても構いません。
でも決して実行に移してはいけません。

死ななくても楽になる方法は人それぞれ必ずあります。
だから僕らは自ら死を選ぶことは決してしてはいけない。

君が、「死んでしまいたい」と思って無駄に過ごした今日は、昨日、残念ながら亡くなった方がどうしても生きたかった明日…なんだから!
投稿日:2018-08-16
返信 25
ふうさん
無題削除
私は生きている意味があるのでしょうか。
私がいなくても誰も悲しまないし困らない。誰からも愛された事もなくいつも独り。
どうして生まれてきてしまったんだろう。
もっと普通の人生を生きてみたかった。


どんな嫌なことでもいいから私の事、覚えていてほしい。
投稿日:2018-09-08
返信 26
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
生きている意味のない人などいないと我々は思います。
投稿日:2018-09-09
返信 27
ふうさん
無題削除
死ぬことも出来ない。何も出来ない。助けて…
投稿日:2018-09-15
返信 28
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
直接的に助けることはできませんが、「死なないでください」というメッセージだけは送り続けることはできます。
投稿日:2018-09-17
返信 29
ふうさん
無題削除
寂しい。私の存在、ここにいるって事を誰かに分かってほしいと思う時があります。
投稿日:2018-09-20
返信 30
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
こうして書き込みをしていただくことで、ふうさんの存在は誰かにわかってもらえます。
少なくとも我々には届いていますよ。
投稿日:2018-09-25
返信 31
ふうさん
無題削除
そう言ってもらえると少し気持ちが落ち着いてきました。
今は精神的に不安定で毎日辛いです。これからも掲示板に頼らせて下さい。
投稿日:2018-09-26
返信 32
若者教育支援センターさん
ふうさんへ削除
どうぞ頼ってください。
この場で不安な思いや、辛いこと、そして、嬉しかったこともすべて吐き出してくださいね。
投稿日:2018-09-27
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