生きるか死ぬかの二択を迫られたとき、僕は多分問答無用で生きるを選択する。
これまでの人生の半分は、僕は死んでいたし、人を恨んで羨んでいた。
僕は幸せではないのに、なぜあいつらは笑顔で過ごせるのだろうかとか。
なぜ、僕は笑顔を見せると怒られるのに、あいつらは怒られないのかとか。
自分と『あいつら』の間には大きな壁があって、その壁はどうやったってぶち壊せないのを知っていた。
親と向き合うこともできず、大人を信用できずにいた、僕に唯一大人というものは信用できるんだぞと教えてくれた先生。
先生というものは間違いを認めず生徒のせいにして逃げるものだと思ってたのに僕の大切なスマホケースを落として割ったことを心から謝罪をして新しく同じスマホケースを買ってきた先生。
僕がフラッシュバックしてパニックになったときに寮まで生きてるか確認しにきてくれた先生。
僕が輝ける場所を探して進めてくれた人。
活動をして僕の生きる意味を見つけてくれた人。
こうだからダメ、ああだからダメという昔からの選択に縛られ続けてた僕を、お前のやりたいようにやれと背中を押してくれた人。
僕のまわりにはそういう僕を助けてくれた人たちがいて、僕はその人たちに支えられながら息をしている。
例えば、学生の時にもどれるのなら言いたいのはお前が立駐から飛び降りようとお前の周りの人間はなにも変わらない。そうしたいと思うほどに苦しかった心は誰にも理解してもらえない。
だけど、お前が怒られると分かってて切羽詰まってやった行為を、あの人は唯一責めなかったろ?
人間がみんな、自分にとってマイナスではない。
マイナスな人間に囲まれてれば、マイナス思考にもなるし、マイナス思考にしか考えられなくなる。
でも、プラス思考の人間に会った時、めちゃ人生変わる。すっげぇかわる。
僕もプラス思考の人間にであって変わった。マイナス思考がプラス思考になって楽しむことができた。
病気のことは置いといて人生を楽しめるようになった。
病気は確かに進行していくものだし、それに対しての絶望は今はない。
奴らに汚されて壊された心もいつかはまた修復できる。
時間はかかるけどな。
べつに嫌なことを引きづっていく精神ではないし性格でもない。
というか、傷つけたやつのことを気にしてマイナス思考になったら自分の人生壊したやつが喜ぶだけだ。
なら、そんなこと気にしてない素振りしてそいつのことを物理的ではなく自分の生きざまで復習してやればいい。
って言う僕もいまは、持病のおかげですごくネガティブだけど、ここで吐けたら少しはかるくなりそうだ。