お返事をありがとうございました。
本当は、声のお返事だったらもっと安心できたり、ハートに寄り添ってくれてる感を感じれたりホッとして、ホッとして、ありがとう。ありがとう。って安心できる度合いみたいなものがちがうのかなぁ…!?なんてゆうふうに思いました。
お返事メールを交流会の帰り、ちょっと遅い時間に、仕事帰りや一日お疲れ様でしたの人たちの姿を感じつつ、垣
間見つつ電車にゆられながら読みました。
交流会はちょっと休んでたのもあり、久しぶりに人の場に行くのがダルく思えてしまったり、わたしは参加してもいいんだっけ?とか… 思ってしまったり。 自分をどこかで責めてしまうような癖も抜けなくてしんどい。
交流会には、色々なひとがきてる。
引きこもってたことや、今もまたいつそうなってしまうか… などは、周りにはやはり気になってしまい、そうなかなか言えるものでもないかなと。 少し知っている人もいるけれど、そんなこといったって、二、三日家でゆっくりしてたらまた普通にくらせてるんでしょといったように思われてることが多くて。 だって、それ以上長引いて家から出れない感じになっちゃうなんて病気か何かおかしい状態よねと耳にしたときは、すごくショックだったのを覚えていて。
すると、私はやはり周りの普通の生活ができない人とは違いやっぱりだめなんだ。とか、普通でないとゆうことはこんなにも辛いんだ。とか。
だめなんだとか、わたし居てもいいのかな… とか、どんどん自分の中に閉じこもったり引きこもっていってしまって。
でも、今はわかります。
引きこもりってなぁに?と知らないひとはそうなんですよね。 体験してないひとはそうなんですよね。
いろいろな辛さを抱えながら生きている人がいるけれど、そのどれもが、話せる場、居れる場をみんなで気にし合っていけるようなそんな心がとっても理想です。
子供時代に辛いとか、子供らしくいられないとか、親さんも子供のことがわからないとか、うちの子すきになれないとか、親さんも苦しんでるんですよね…。解らないことだらけなんですよね。
だったら、親さんも、悲鳴をあげられて、相談できる場もひつようですもんね。
今日も、仕事から帰ったらばたっと寝入ってしまって、ここに書く前に伊藤先生の国会での動画を見ました。
嬉かったです。 先生が発言してくれていて。 今も親に遠慮したり、我慢してしまったり、親と向き合う怖さのようなものが やはり、親とのことを書こうとするとちょっと気持ちがなんかわるくなってきちゃう 伊藤先生に会いたいです。