「過保護・過干渉・しつけ」
よく、「過保護は子どもの教育上、良くない」ということを耳にします。
「あの子は過保護で甘やかされたので、自分勝手で協調性がない」とはよく聞かれる言葉です。
過保護が子育てをしていく上での悪い代名詞にもなっているのです。
しかし過保護はほんとうにわがままな子どもにしてしまうのでしょうか。
子どもは親を通して、基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。
そのためには自分の欲求がいつもしっかり受け止められ、十二分に愛される必要があります。
子どもに対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、
逆に何でも与えてその場をしのごうとする行動になるかのどちらかではないでしょうか。
では、親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と思います。
むしろ小さいうちに子どもの欲求を満たしてあげれば、
子どもは満足して過度に欲求をすることはなくなってきます。
大人になっても欲求が収まらないというのは、
過保護ではなく、「親の無関心」が原因のひとつにあるのです。
また、いくら「モノ」を与えても子どもは満たされません。
子どもが本当に欲しいものは「モノ」ではなく、
そのモノを通して「親の愛情」を感じることではないでしょうか。
子どもがオッパイを欲しがれば与えればいいし、
子どもが抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいのです。
何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。
過保護と過干渉はつい混同されがちですが、その性質はまったく異なるものです。
多くのご相談を受ける中で、昨今は親による子どもへの過干渉がとても多いと感じています。
過干渉とはその名のとおり「過度に人に干渉すること」です。
この過干渉は大いに子どもの「自律」の妨げになります。
・子どもが欲求していないことに良かれと思い口を出す
・必要以上に子どもの言動に口を出す
・先回りして良し悪しを植えつける
干渉が強すぎると子どもは親の愛情を失うことを恐れて、
“偽りの前進”や“退行現象”に陥ったりすることになります。
ですから「過干渉には注意が必要」なのです。
ここで言う「過干渉には注意が必要」というのは、
親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることを意味します。
人は誰だって性格や考え方、価値観は異なりますし、それは親子だって同じことなのです。
ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいのですが、
早く食べるように手伝ったり、食べる順番を指摘したりすることは「過干渉」と言えます。
また、今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいのですが、
それを過度に強要したり、子どもがたいして興味がないのに、
親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたりすることも「過干渉」と言えるでしょう。
要するに「過干渉」の何がいけないかと言うと、
まずは子どもの考えや思い、意見を無視して干渉するということです。
ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、
これらは「しつけ」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、
それらと混同しないで欲しいと思います。
ここで難しいのは「しつけ」と「過干渉」の境です。
「しつけ」はもちろん大事なことです。
子どもに口を出したくなくても、
しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然あります。
子どもの意見だけを尊重するわけにはいかない場面はあります。
それはもちろん大事なことであり、子育ての過程では、
親としてやっていかなければならないことです。
これらの例で、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくご理解頂けるかと思います。
普段から子どもの欲求をよく聞いて、良い親子関係を作っておくことは大切です。
子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする。
重要なのは、「親の欲求不満を満たすための過干渉」は慎んでもらいたいということです。
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子育て四訓
1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ、手を離すな
3.少年は手を離せ、目を離すな
4.青年は目を離せ、心を離すな
(山口在住 教育者)
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