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お悩みNO.1710
ビパールさん
お絵かき教室
いつも丁寧な返信、ありがとうございます。 学校へ行く意味は、将来の夢を叶えるためということになりますよね?やはり夢を持った子は辛いことも頑張れるのでしょうね。それを薄々感じていたにもかかわらず、長男も含め、うまく導いてやれてない気がしています。 実は絵の教室は小1の夏休みから小2の1月まで通っていました。いつもオドオドしている次男に、得意な分野を伸ばし、自信を持たせてあげたかったからです。他にも芸術系の習い事は書道をしていました。不登校となった6月から行っていません。 お絵かき教室は、15時半から18時までの自由な時間に行ける教室で、最初のころは16時ごろに行って2時間くらい教室で描くという感じでした。 ところが、2年の秋くらいから行く時間を遅らせようとするようになり、教室にいる時間が1時間くらいになってきました。そして、冬休みあけ、1月の最初の教室のテーマが「冬休みの思い出」の絵で、息子は何も描かずに2時間を過ごしたのです。 先生は息子が何か描けるように、結構時間をかけて色々聞いてくれたようですが、本人はどこへ行ったとも、何をしたとも全く言わなかったそうです。 本人になんで行った場所さえ言わなかったのか聞きました。そしたら、場所を言えば(スキーに行ったんですが)先生が勝手にイメージして絵の下書きをしてしまうから、それが嫌だった、でも自分の頭の中にある思い出す風景がどうにも描けなかったようで、何もせずに2時間が過ぎたのだそうです。 先生からは次回写真を持ってくるように言われ、写真のコピーを用意したにも関わらず、描きたいのはこの写真の絵ではないと言って、翌週も教室に行きませんでした。 それが2度続き(その絵が描きたくないから)、私は行かないなら費用がもったいないのでやめたらどうかと言いました。今まで教室へ行っても、ただ自分で描いて終わりで、先生に描き方のアドバイスをもらうこともなく、家で描いているのとどう違うのか、その割には結構かかる費用に、私自身が疑問に思ってしまっていたからというのもありました。また、他の習い事もあり、忙しいのが嫌だと言っていたので、やめるならお絵かき教室と思ってしまったのです。やめることに対して息子はどっちでもいいという感じでした。 でも、もしかしたら、それが良くなかったのかなとも思ったりしています。描いている時間はとても集中していました。その集中力、観察力は、教室の先生にも褒められていました。息子は性格上、先生との相性がとても大切になりますが、先生方はとても優しい子供好きのファミリーで、その点ではとてもよかったのです。 2年の夏休みには初めてお絵かき教室の2泊3日のキャンプにも行きました。親がいないところへ、自分の意志で一人で行くというのは初めてでした。多分、とても疲れたことでしょう。帰ってから、来年は行かないとも言っていましたから。でも、私としては行くという決断をした息子の成長がどんなにうれしかったか、あの時の気持ちは今も忘れません。 それを、こんな形でやめさせてしまったのがよくなかったんじゃないかと思ったりもします。思い出の絵が描けないなら、いつものように見たものを見た通りに描く絵にしてもらえば良かっただけかも・・・と。なんでそう先生にお願いしなかったのかと。 最近になって、また行ってみる?と聞きましたが、返事はありませんでした。 私の父は武蔵野美術大学を2年で中退しています。親からの支援が難しくなったことと、本人がちょうど続ける意味を失ったいたことが重なったからと聞きました。父の兄は芸大卒です。兄弟みな、絵も字もうまく、絵は特にこの2人が上手だったと叔母から聞きました。そんなおじいちゃんの遺伝子を次男は色濃く受け継いでいると思っています。 性格も似ていると感じます。 でも、そんな父を私は好きになれずにいました。いつもすべてに批判的で文句ばかり言って、人のせいにばかりし、飲んでは母に愚痴をこぼし、子供の顔を見ればダメだししかしない父だったからです。そして、翌朝本人は何も覚えていず、普段は無口で、何かを聞いても返事もかえってこないようなところがありました。 この点は次男は違いますが、文句ばかり言い、人のせいにするところは同じです。ですから、おじいちゃんにそっくりで「文句マン2号」と言って、直させようと思っていた時期がありました。私の対応で傷つけていたことがあったのかもしれません。父は2年前に亡くなっていますから、次男の記憶の中で、どこまで覚えているかは不明ですが。 少し話が、本題とはずれてしまってすみません。ですが、そんなことがあるので、主人も息子の才能を信じ、「学校へ行かなくても、なんとかなるさ」と思っているのです。そうかもしれません。 でも、毎日することを探し、イライラして当たってくる息子に、私自身も辛く、学校へ行きさえすれば、また元の息子に戻ってくれると考え、行かせたいのかもしれません。何が息子にとっていいのか、私が今はまだわからない状態なんです。 私も小学校のころは友人関係で悩み、学校は行きたくない場所でした。ですから、行きたくないという感情は個人的にはよく理解できているつもりです。でも、私は不登校にはならなかった。辛くて親に行きたくないと訴えていたと思うのですが、林間学校も、就学旅行も行きました。何が私と息子と違うのか。 忍耐力でしょうか。これは母親の力だったんだなと、今はいろいろ勉強する中でわかったことです。そして、苦しかった小学校時代の記憶が私にはあまりありません。中学も部活以外の記憶に残る思い出は少ないです。人は生きるために、嫌なこと、辛いことを忘れようとする機能があるといいますよね。そのせいだと思います。 でも、今振り返って思うことは、sの当時は辛かったけど学校へ行って良かった、不登校にならなくてよかったということです(だからこそ、息子にも学校へ行って欲しいのです)。そして、母の偉大さに気付かされている毎日です。母もすでに他界しています。 母が生きているうちに、このことに気づきたかったなあと思いました。もちろん、生きているときからたくさん感謝していました。でも、自分が子育てで悩み、試行錯誤する中で、母の行動はすごかったなあと改めて思うのです。私も同じようにしてあげればいい。それだけなのに、子供たちに対して、自分が嫌っていた父と同じような対応をしているのではないかと気づきました。 まずは私が変わることから、今はそう思っていますが、急には変われず、自己嫌悪と闘いながら、ここでいろいろな感情を吐露させて頂いています。 いつも長文を読んで頂き、感謝しています。ありがとうございます。未熟な母ですが、あきらめない強い気持ちをもって、息子と向き合っていきたいと思っています。
投稿日:2012-10-22
以上の内容を削除します。
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