ありがとうございます。
色々な知識を持った方から、自分の気持ちや意見を受け入れていただき、アドバイスいただけることの安心感。
涙が出てきます。
自分たち家族なりに考え、行動し、今日まで頑張って来ました。
話を聞いてくれる方は沢山いました。色々なアドバイスもいただきました。
「ここの時期までにはケリをつけたいね」
「急がず焦らず待ちましょう」
「そんなに色々調べなくても、学校の中にも相談室があるでしょ」
その方々の立場で色々言ってくださるのですが、やっぱり、不登校の専門家ではないため、悩みが増すばかりでした。
正直、7月上旬の不安定な時期は、息子の自己否定感が強く、学校へ行けない自分に苦しみ、休んだら休んだで皆と同じことができない自分を責め、親も一緒になって煮詰まっていました。
「こんな苦しい思いをするんだったら、死んだほうがマシって考えていたんだ」と口にする息子を励まし、抱きしめ、一緒に涙を流しました。
「あなたが死んだら、お父さんお母さんは悲しくて生きていけないよ」と伝えることで、子どもは生きることを選びました。
でも、どんなに教育相談を受けても、病院へ行っても、支援センターの方へ出向いても、出口が見つからない7月の後半は、息子の言葉も変わっていきました。
息子:「タイムスリップしたい」
私:「どこまで?」
息子:「僕の葬式してるところまで」
……言葉を失いました。
自分で命を絶つことはダメだと理解したけれど、息子は生きようとしていませんでした。自分が死ぬ日を待っていたのでした。
この辺りでは、私自身、一瞬だけ子どもを連れて命を絶つ親の気持ちが理解できるようになっていました。
でも、私が、私たち親が諦めては何も変わらない!
そう思い直して、今度は息子に生きる希望を与えようと頑張りました。
夏休みには、色々な体験を一緒にしました。
一緒に語り合いました。
今は息子は「死」を口にすることはありません。
不登校を考える時、よく「誰の責任か」と言われますが、私は、私自身と息子との関係を考えた時、「親の責任」だと考えます。
色々な複雑な要因が絡んでくると思いますが…。
「責任」と考えるとマイナスイメージになってしまいますので、親として辛いですが、「子どもを生み育てる責任を負うのは親」という根本の部分に戻ると、子どもを生み育てるのは親の愛だということ。生きていく過程で、不不登校という問題に直面した。それを解決するのも「親の責任であり愛」だということ。それをいつも忘れないように思い出しています。
息子と一緒に問題解決する中で、親が今、教育されているんだなぁ…と実感します。