早速の温かなアドバイス、ありがとうございました。
仲の良い安心出来る友達は何人かいます。
よく遊びに来たり、行ったりもしています。
”半分もウザクない人がいるなんて上々じゃない!安心できる友達も居るんだし(席も近くに担任が配慮してくださった)大丈夫”ももちろん言いまして、常に息子が発する否定的な言葉は、肯定的に、思い込みは別の視点から、見るように言葉を投げかけるようにしています。
息子自身も頭ではわかっていると思うのですが、それよりも不安の方が大きいのだと思います。また真の意味で自分で納得できないのでしょう。
息子自身、友達と遊ぶことによって、元気になることも知っていますし、付き合いたくない友達からのストレスもあり、人によって傷つき、人によって癒されることもわかっています。穏やかな時に私からそういう話もして来ました。
仲のよい友達は、息子が学校へ来ないことには何もふれず、普通に接してくれますし、敢えて踏み込んでこない優しさがあります。息子自身は不登校の理由(明確には自分でさえ言語化できないでしょう)を友達に話したところで、わかってもらえるとは思えないので、詳しくは語りません。なので、この歳で
悩みをうちあけ、共感してもらうような意味での”親友”はもちにくいかと思います。
ほとんどの子どもは、不登校になる子の気持ちは理解できないと思うのですね。(不登校の子は、学校に2、3人しかいないようなののびした環境の学校)そこが難しいところです。
学校へ行けば、多くの友達に遊びに誘われるようなタイプですが、本人は人の何倍も気を
遣って過ごし、疲れてしまう。感じやすく繊細、しかし、思い込みも強い、ということです。
自分に自身を持ち、自己肯定感が高ければ、人は人 と思えるし、
人に頼る、信じることができるのはずですよね。
同世代の友達は、一番予期せぬ反応や、言葉が返って来るだけに辛いのだと思います。
”KYで、人の話を聞かず、自己中な奴らばかり・・・”と言います。
しかし、この世代、皆友達も自己を確立していくことで精一杯である年齢であること、それぞれが、自分は正義であると思っていること、そこでぶつかりあう、それで皆も成長して変化していること、きみも家にいても成長している、だから状況は変化しているのだとも伝えています。
いろいろ楽しいことをやって気分転換をしても嫌だったことの記憶が大きく、鮮明に思い出され、なかなか抜け出せないようです。
たぶん何かおせっかいなことを言って来るような子は、言ったことすら覚えていなし、
そんなにきみのことを気にしているわけでも
ないと思うんだけどな? と言っても、やは
拡大鏡のように想い起こされるのですね。
他者を許す、認める と言うことは、どうしたら出来るようになるでしょう?
集団の中で自分の弱さも認められた時に出来るのではないかと考えていますが、プライドが邪魔をしているようです。
自分が学校へ行こうとしても、行けない自分に葛藤し、自己肯定感が下がってしまいます。(特に一度復帰できたのに、また夏休み明けに怖くなったので余計に)
”嫌な奴がいても、関係ないって思えるように成る時が来るよ、そうすればまた行けるようになるよ、行かなくちゃいけない、と思わなくていいんだよ、きみのよく気がつくところは、今はキツいかもしれないけど、裏をかえせば、人の気持ちがわかってあげられる、
ってことで、それがきみの武器になる時が
くるよ、とも話しています。
思い込みが強いことも、見方を変えれば、簡単には妥協しない,と言う点が、将来仕事の面で、美点となることもあるよ、とも言っています。
しかし学校へ行きたくない、といいながら,本人が、学校に縛られているのを感じます。
もがく中で、やはり自分にとって学校は必要(友達も勉強も)、と思い、再び動き出すのを待っていますが、時間がどんどん過ぎることへの勿体なさも正直なところ、感じています。
時には気の進まない友達が遊びに関わってくることもありますので、そこで、自分を出したり、適当に流すことを経験することで
大丈夫、と思えることが増えるといいのですが。
少しずつ揉まれて、経験しなければ、自己解決能力もつかないと思うので、その辺りは
3歩進んで2歩下がる、でも1歩前進、くらいの気持ちでこのまま続けていけば、いいでしょうか?
ハロウィンパーティを友達を呼んでやりたいと言っていますので、アドバイスにあった、たくさんの友達を味方にする、ということも
考えて、よいきっかけになるようにやってみます。