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お悩みNO.11462
若者教育支援センターさん
匿名(出せないのでこれで…)さんへ
「過度の一般化」(overgeneralization) これは、個々のケースを一般化し、多くのケースに当てはめようとする行為。狭い範囲のことや、ひとつの事例を、全体に通用させようとする。時には、個人的な経験を、みんなもそうなるに決まっていると、一般的なものに拡大してしまうことも。 例えば、あるやり方で成功したとします。すると、このやり方で「何にでも成功する」ものだと信じてしまう。あるいは、「いつも成功する」のだとしてしまう。逆に、一度失敗すると、「必ず失敗する」のだと思ってしまう。いつ、何に適用しても、失敗するのだと信じる。 極論すれば、一度の失敗で、これからもずっと失敗するものだと思ってしまうし、一度の成功で、全部に成功するものだと思ってしまう。そう固く信じ、疑いません。(この場合の「一度」は厳密な回数ではなくて、少ない回数のこと) しかし、これも、場合場合なんですね。「こうやったら成功する」にしても、「こうやったら失敗する」にしても、それは限定された範囲に適用されるもので、それを超えると、うまくいかなくなります。場合によっては、「たまたま」なんてことも、あるでしょう。そんなことは検証してみないと、分かりません。 例えば、薬というのは限定された症状に効果を発揮するのであって、他の症状には(基本的には)効かないし、時には害にさえなります。 ただ、過度の一般化に囚われると、こういうことが分からなくなってしまう。 一度効果を実感してしまうと、いつも効くように思ってしまう。また逆に、一度効果を感じられないと、全部に効果がないものだと思ってしまいます。 基本と例外を考えるなら、例外ばかりに目がいって、基本を蔑ろにしてしまう。 基本というのはだいたいそうなること、だいたいそうであることなのですが、例外ばかりに囚われると、認知しにくくなるようです。「確かに絶対ではない、でも、だいたいそうである」が、なかなか理解できない。 こういったことの背景にも、ひょっとしたら、認知の歪みがあるのかもしれません。 一度成功すると(成功したと聞くと)、いつも成功すると思ってしまう。科学的根拠も統計的な有効性も立証されていないにもかかわらず、それが有効な医療行為だと錯覚してしまう。逆に、だいたい成功するけれど 時には失敗することのある 一般的な医療行為の方を、疑ってしまいます。 一般的な医療行為とて完全ではありませんから、時には効果があまり見られない場合もあるでしょう。そして、この場合、それが拡大され、「何だ効果がないじゃないか」→「何にでも効果がないに違いない」となってしまう。 実際に全体のうち どれくらいの割合で効果があったりなかったりするのか、そういうことが無視されてしまいます。 一方で、わずかな成功例が拡大され、もう一方で、わずかな失敗例が拡大されてしまう事態に。そしてそれを信じたら、とことん邁進してしまう。 また、こういう認知になると、往々にして、悪者が作られてしまいがちです。 悪い部分だけがクローズアップされ、まるで全部が悪いかのような扱いを受けてしまう。また時には、悪い部分が多いものが信奉され、実際よりよいものとされたりもする。 目の前のものが、正しく認知されません。 これも、オール・オア・ナッシングと同様、場合場合や割合が無視されていますよね。一度や数度が拡大され、いつものように扱われてしまう。 なので、もう少し全体を見る習慣が求められるようです。 別に、部分に注目することは悪くはないのですが、それがいつもになったり、何にでもとなったり、全体を無視して使われると、バランスを失ってしまうようです。 なので、全体を見ることも、時には求められます。というか、部分も全体も、両方が大切になる。その一方のみになると、偏りが生じるようです。 たまには他のものに触れたり、視点を変えたり、そういうことが必要になってくる。あるいは、もう少し合理性というものを鍛えることも、必要になるかも。 何より、「本当にそうか?」と、確認することが大事。 部分も大事、でも、全体も大事。どちらも同等に扱うことが、脱出の秘訣です。本当に「必ずそうなる」のか、検証しないと、危ないかも…
投稿日:2019-04-01
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