親の責任
親の責任ってなんでしょう。
どんな人生本をみても、
「親がしっかりした生きる姿勢をもつこと。人生観を確立すること。
そこから、子どもに対しての十分な説得力も生まれてくる・・・」などと書かれています。
その通りです。
「親になるのは優しいが、親であることは難しい」という言葉を聞いたことがあります。
確かにその通りの一面があると思います。
そして、その親として難しいことの最たるものが、子どもへの躾(しつけ)、教育というものではないでしょうか。
昔から「三つ子の魂百まで」と、「鉄は熱いうちに打て」などと言われますが、人間が一人前の立派な人間として成長していくためには、生まれてから大人になるまでに、人間として大切なことを、しっかりしつけられ、教えられるということが、どうしても必要です。
人間としての生き方というものは、誰からも導かれずして自然に養われるというものではありません。
かつて、インドのジャングルで赤子の時からオオカミに育てられた少女が発見され話題になったことがありましたが、少女はオオカミのように吠えるだけで、もはや人間の生活には戻れなかったと言います。
どのような偉人であろうと、やはり子どものうちに、人間としての正しい方向付けがなされる必要があるわけです。
そうした子どもたちに対する方向付けというものは、広くは、その時々に生きる大人全体が果たすべき役割であり、責任であると言えます。
直接的に、日々子どもに接している親が、一番大きな責任を担っているのです。
したがって、親である限りは、この責任を子どもに対するしつけ、教育という形で、どうしても果たしていかなければなりませんが、これがなかなか難しいのです。
そのために、昔の商家などでは、自分の子を他のしかるべき店に預けて教育してもらうといったことがよく行われていたわけです。
言えることは、親自身が一つの人生観なり社会観というものを、しっかり持つことです。
親が直接的に子どもに「こうしなさい、こうしたらいけない」といったように教えたり、しつけたりすることも、極めて大切だと思いますが、それと共に、あるいは、それ以上に必要なのが、親なりの人生観や社会観を持っていることだと思います。
親にそういうものがあれば、それが信念となって、知らず知らずのうちに言動に現れ、それが子どもに対する無言の教育となっていくでしょう。