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お悩みNO.8902
伊藤幸弘教育研究所さん
ひーみさんへ
「過保護・過干渉・しつけ」 よく、「過保護は子どもの教育上、良くない」ということを耳にします。 過保護が子育てをしていく上での悪い代名詞にもなっているのです。 「あの子は過保護で甘やかされたので、自分勝手で協調性がない」とはよく聞かれる言葉です。 しかし過保護はほんとうにわがままな子どもにしてしまうのでしょうか。 子どもは親(主として母親)をとおして、心の発達でもっとも大切な自分が生まれてきた世界への基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。 そのためには自分の欲求がいつもしっかり受けとめられ、十二分に愛され保護される必要があります。 要するに、子どもは本能的に親の愛情を欲しているのです。そして親の愛情により子どもは健やかに育つのです。 大きくなってもわがままや甘ったれの原因というのは、過保護ではなく、親の無関心が原因です。 子どもに対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、逆に何でも与えてその場をしのごうとする「過保護的な行動」になるか、のどちらかではないでしょうか。 つまり同じ「過保護的な行動」であったとしても、親の愛情があるか、または親の無関心かにより、子どもに対する影響は正反対になるということです。 一般的に「過保護は子供をダメにする!」というのは、実は後者(親の無関心)のことであると思います。 では、親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と思います。 むしろ小さいうちに子供の欲求を満たしてあげれば、子どもは満足して過度に欲求をすることはなくなってくるということです。 いつまで経っても、大人になっても欲求が収まらないというのは、先に書いた「親の無関心」が原因のひとつにあるのです。 いくらモノを与えても子どもは満たされないということです。 子どもが本当に欲しいものはモノではなく、そのモノを通して親の愛情を感じることではないでしょうか。 子どもがオッパイを欲しがれば与えればいいし、子どもが抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいし、何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。 ただし、親の思いは率直に子どもに伝えることも大切です。 例えば経済的に無理のあるものを欲しがっている場合は「買えない」ことをきちんと伝え、代わりに手作りにチャレンジするとか、抱っこしてあげたいけど大きな荷物を持って無理な時や体が弱くて難しいときは、家で座ってなら出来ることを伝えたりすればいいのです。 無理のない出来る範囲での「過保護」は大いにやってあげるべき、そしてそれらは「子どもの自律」の妨げにはならないというのが我々考えです。 ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、これらは「しつけ・教育」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、それらと混同しないで欲しいと思います。 過保護と過干渉はつい混同されがちですが、その性質はまったく異なるものです。 多くのご相談を受ける中で、昨今は親による子どもへの過干渉がとても多いと感じています。 過干渉とはその名のとおり「過度に人に干渉すること」です。 この過干渉は大いに子どもの「自律」の妨げになります。 一般的な子供への過干渉の例を言うと ・子供が欲求していないことに良かれと思い口を出す ・必要以上に子供の言動に口を出す ・先回りして良し悪しを植えつける 幼児期になると子どもはのびのびと自発的に行動するようになります。 あらゆることに興味を示し、何度失敗しても叱られても、またすぐ忘れて果敢に挑戦していきます。 親は心配で見ていられませんから、つい手を出します。 しかし、この規制や干渉が強すぎると子どもは親の愛情を失うことを恐れて、“偽りの前進”や退行現象に陥ったりすることになります。 ですから「過干渉には注意」が必要です。 「過干渉」の何がいけないかと言うと、まずは子どもの考えや思い、意見を無視して干渉するということです。 ここで難しいのは先ほど挙げました「しつけ」と「過干渉」の境です。 「しつけ」はもちろん大事なことです。 子どもに口を出したくなくても、しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然あります。 子どもの意見だけを尊重するわけにはいかない場面はあります。 それはもちろん大事なことであり、子育ての過程では、親としてやっていかなければならないことです。 しかしここで言う「過干渉には注意」が必要というのは、親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることを意味します。 人は誰だって性格や考え方、価値観は異なりますし、それは親子だって同じことなのです。 過干渉の危険な要素はその親の価値観を子どもに植えつけようとし、親の価値観に反すれば注意して正そうとすることです。 更に過干渉を例えると、ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいのですが、早く食べるように手伝ったり、食べる順番をいちいち指摘したりすることは「過干渉」と言えます。 また、今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいのですが、それを過度に強要したり、子どもがたいして興味がないのに、親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたりすることも「過干渉」と言えるでしょう。 よく耳にするのは、特に害はないけれど、親が不愉快に思うことは止めさせようとしたり、何かにつけ、あーしろこーしろと指示をしたりすることも「過干渉」です。 これらの例で、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくご理解頂けるかと思います。 過干渉でよく言われているのが、「親の子どもに対するマインドコントロール」です。 その結果、子どもは何が良くて、何が悪いかの基準を正しく理解することが出来ずに、親の顔色が基準になってしまうのです。 子どもは自分の考えで行動出来なくなる恐れがあり、自分(子ども)の価値観で良し悪しを判断することを認められず、親の価値観が優先されてしまうのです。 これでは子どもの「自律」が育たないのは当然のことであると言えます。 しかしこの手の親は、なぜ子どもが自律できないのかが理解できてない場合が多いのです。 結果的に更に親の干渉が増え、そして子どもの自律は更に遠のくという悪循環が生まれてしまうのです。 注意すべき点は、親が過干渉にしていることを気づかない場合です。 早く気づけばいいのですが、自分で気づくのは、なかなか難しいことです。 親に自分の望むことを十分にしてもらっている子どもは、家庭以外でも先生の手をわずらわせないで仲間と仲良くのびのびと遊べます。 ですから友だちのなかに入っていくのが上手か下手かをみるとよくわかります。 保育園や幼稚園で親から何日も離れられない子、いつも先生の周りにまとわりついていて、友だちのなかに入っていけない子は過干渉の可能性があります。 先生の周りでいい子になってお手伝いしている子はまだいいのですが、先生のいやがることをわざとたくさんして関心をひく子でしたら要注意です。 カウンセリングを進めていく中で感じるのは、過干渉の親というのは、親自身が周りから受けいれられていないケースが多いと感じています。 自分が受けいれられないのに子どもを受けいれることは難しいです。 自分が孤独ですから、子どもが自分のいうことをきかないと許せないのです。 子どもが唯一の話し相手であり、受け入れてもらえる相手であり、コントロール可能な対象なのです。 ですから、過干渉の親にならないために、親自身の人間関係をよくしていくことが大切と言えます。 夫婦関係は元より、地域や親戚、友人関係を良くし、お互いに受けいれられる状態でなければいけません。 そうした親は、子どもの話を聞くだけでなく、子どもの願いもかなえることができます。 孤独になるにしたがって過干渉になり、ゆくゆくは虐待するようになるのです。 しばしば体罰をする親や教師に多いパターンです。親や教師自身が我慢できない。 親同士・先生同士が孤立していては、どんなに優秀な親や教師であっても、いい子育てや教育、指導はできません。 そのためには、コミュニケーションが最も大切なのです。 干渉も、やリ方によっては過干渉になりかねません。 子どもがいやがる塾や習いごとに無理やりに、いつまでもつれていくことがあります。これは過干渉です。 子どもの個性と能力と、いやがる度合を見て、干渉か過干渉かをみきわめればいいのです。 ただし、子どもが望んでいないことをしてはいけない…ということではありません。 ここで申し上げたいのは「過剰にしてはいけない」ということです。 どこまでが過剰で、どこまでが過剰でないか、これはそれぞれの家庭の価値観、環境、文化、親子との関係などで決めればいいことです。 親と子の関係は、普段から、子どもの言うことをたくさん聞いてあげていれば、親の言うことも聞かせやすいということがあります。 いつもたくさん言うことを聞いてもらっていれば、子どもは少しぐらい我慢できるのです。 あまり聞いてあげていない子に我慢しろと言っても我慢できるものではありません。 また普段よく話を聞いて欲求をかなえてもらっていれば信頼感もあります。 信頼している人の言うことはよく聞くけど、信頼していない人のことはちょっとしたことでも聞けないのです。 よく、「怒るはダメで、叱るがいい」と言います。我々も以前はそう伝えていました。 決して間違いではありませんが、大事なことが抜けています。 それは「誰が」と言うことです。 信頼している人から怒られても、それはすべてがいやなわけではありません。 信頼していないとから上手に叱られてもストレスしか感じません。 信頼関係で結ばれている親子であれば、多少感情的になって怒ったとしても「自分(子ども)のために言ってくれているんだ」と思ってもらえるはずなのです。 ですから、普段から子どもの欲求をよく聞いて、良い親子関係を作っておくことが大切です。 子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする…これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。 そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。 重要なのは、「親の欲求不満を満たすための過干渉」は慎んでもらいたいということです。 ※上記で説明しました、「コミュニケーション」に関しましては前回こちらからご紹介した内容を参考にしてください。
投稿日:2016-03-25
以上の内容を削除します。
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