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お悩みNO.329
高2娘の母さん
友達や彼氏の家に外泊削除
高2の娘です。以前ご相談に乗って頂き何とか学校へは行くようになりました。
が、最近彼氏が出来てその彼氏の家に外泊するようになりました。
いつも約束事を決めようと話しかけますが、だまるか、うるさいの一言でこちらからの一方的な発言になってしまいます。
ようやく不登校、頻繁な夜遊びが落ち着き始めて、日常の会話も少しづつ出来る関係づくりが出来てきたので、あまり強く言わないように様子を見ているところです。
まだ冬休みということもありますが、課外の授業は始まっており、昨夜は彼氏の家から1時間ほどしか寝てない状態で学校に行ったようです。今日も彼氏の家にいます。
彼氏は1歳上で高校を中退して現在は働いているようです。母親と2人暮らしで、親は夜の仕事のため不在で、娘も泊まりやすい状況のようです。
家の場所も最近教えてくれたりして、私に心開いてきたのを感じると少し様子を見た方がいいのでしょうか?
避妊については娘と話をして理解はしているようです。
ただ、今も電話を何度もしても繋がらなく、メールをしても返信はありません。
頻繁に接触する私を完全に避けている感じです。
今日は早めに帰るからと自分から言っていたのですが・・・。
娘のワガママだからガツンと叱るべきか、どのように対応すればよいか迷っています。また学校にいかなくなりそうだし、家出しそうで。
以前から見れば表情も柔らかく明るくはなったのですが、まだまだ不満とイライラが出る感じで、年末の三者面談で担任の先生を前にダレた感じでとても態度が悪く、先生に対して申しわけなさと恥ずかしさでいっぱいでした。
勉強も単位が危ない状態で説明会にも参加しているのですが、今いち危機感ない感じで本気で自分の人生を考えようとしていない様子に腹立たしい気持ちになります。
不登校のきっかけは、風紀検査での生徒に対する先生の対応の仕方に不信感を感じてからです。
もし留年が決定したら地元の友達や彼氏から切り離して、環境を変えようかと主人と話しているところです。
何とか卒業まで辿り着きたいのですが、娘のワガママをコントロールできない情けない自分を思うと、この段階で環境を変え、自立訓練をさせる方がよっぽど娘のためになるのではないかとも悩んでいるところです。




投稿日:2015-01-07
返信 1
伊藤幸弘教育研究所さん
高2娘の母さんへ削除
心配ですよね。

ガツンと怒るのは逆効果です。
また、一方的に反対をするとこれもまた気持ちが燃え上がり逆効果です。
これは心理学では「ロミオとジュリエット効果」といいます。

ただし、指をくわえて黙って見ている問題ではありません。
未成年の女の子が、居場所は分かっているとしても彼氏の家に宿泊するのはよくありません。

母親として心配している気持ちを「Iメッセージ」で伝えましょう。

「Iメッセージ」に関しては以下にまとめましたので参考にしてください。

相手に何かを思いを伝えるときには相手に「何を伝えたか」ではなく「何が伝わったか」が大切です。それを意識することで、部下に対して自分は上司にどれだけ大切に思われているかを実感させる効果があります。それを伝えるためには「言葉」が大切です。

「これは言わなくても分かるだろう」、「恥ずかしくてこんなことは言えない」。まずはそういった考えを排除して時間をたくさん使っていきましょう。

相手に思いを伝えたいときは、「Iメッセージ」が効果的です。相手の行為や出来事を非難がましくなく、事実を述べる伝え方です。
相手にメッセージを伝えるとき、次の2通りの方法があります。それは、「YOUメッセージ」と「Iメッセージ」です。
コミュニケーションを外す人は、往々にして主語が「YOU=あなた」の「YOUメッセージ」になってしまっているケースが多いです。

例えば…僕がリビングで本を読んでいたとしましょう。
そこへ子どもが入ってきてテレビを大きな音で見始めた。
僕は感情のままに…「うるさい!」「ボリュームを小さくしろ!」「隣の部屋で見なさい!」…と言ってしまう。
これは主語が「あなた=YOU」ですよね。
「“お前が”うるさい!」「“お前が”ボリュームを小さくしろ!」「“お前が”隣の部屋で見なさい!」

こちらの思いを正確に伝え相手とのコミュニケーションも外さない方法は主語が「私=I」の「Iメッセージ」です。

「お前が大きな音でテレビを観ることでお父さんは集中して本が読めなくて困ってるんだよ」…これが「Iメッセージ」です。

ポイントは「行動」「影響」「感情」です。

行動→お前が大きな音でテレビを観ることで
影響→お父さんは集中して本が読めなくて
感情→困っているんだよ

その後に「だから音を小さくしろ」と言ってしまうとせっかくの「Iメッセージ」がその瞬間に「YOUメッセージ」になります。
「Iメッセージ」で思いを伝えると相手はこちらの思いをちゃんと受け止めてくれるケースが多いと言われています。


■「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替え
自分の意見を伝え、相手の考えを聴くというのはコミュニケーション(会話)の基本です。
しかし、いくらIメッセージを活用して伝えても、「相手を変えてやろう」という想いが心の奥底にあると、しつこく何度も同じメッセージを発することになります。これは「審判的表現」といい、圧力によるメッセージ(=お前が変われ!)になってしまいます。

その際は、まず相手の立場に立ち切って傾聴することが大切です。これが「Iメッセージ」と「聴き方」との切り替えのタイミングです。相手の話を聴くことにより、相手の「抵抗」がとれて相手は安心して、自ら変わることができるのです。また、相手の立場を理解することで、こちらの心にも変化が現れることもあり、他者理解と自己成長が同時に促進されます。

「期待と願望」、「推論と思い込みのズレ」が対人関係のトラブルの元になるのです。
大切なことは“相手を変えようとせず、相手を分かろうとせよ”です。
投稿日:2015-01-07
返信 2
高2娘の母さん
友達や彼氏の家に外泊削除
アドバイスありがとうございます。
以前にもIメッセージを教えて頂きましたが、時間が経つにつれ最近は意識せずに会話をしていたことに気づきました。今一度会話での言葉をよく考えてコミュニケーションを図ろうと思います。
今回Iメッセージで伝えていても最後がYOUメッセージになってしまえば、台無しになるということを知りました。
私は頭に浮かんだことをすぐに口にしてしまう性質なので、考えながら会話をすることが苦手です。ですから最後まで気を抜かず意識しようと思います。
今回のことは怒らずに、思いを伝えてみます。最近主人と相談し合える関係になってきたので、こちらのアドバイスを共有しながら対応していこうと思います。
ありがとうございました。またご報告いたします。
投稿日:2015-01-08
返信 3
伊藤幸弘教育研究所さん
高2娘の母さんへ削除
Iメッセージは意識的に継続していかないと忘れてしまいます。
頭に浮かんだことをいったん心で復唱して「これを自分が言われたら自分はどう感じるかな?」って思ってみてください。
きっとうまくいきますよ。

今回のことは怒らず・・・というのは賛成ですが、すべていつでも怒らずというのもいけません。
親として怒らなければいけないときは必ずあります。

よく「怒るはダメで叱るはいい」と言います。
我々も以前はそう伝えてきました。

もちろん間違いではないのですが、それ以前に「誰が」というのが大事なのです。

人は自分が尊敬している人から怒られたら嫌な思いはしません。
むしろ嬉しいと思う方もいます。

逆にどんなにうまく叱られても自分が尊敬していない人であれば嫌で仕方ありませんし、効果なしです。

子どもから尊敬される親になるのが大切なのです。
そのためにはまずは自分で自分を尊敬すること。
投稿日:2015-01-08
返信 4
高2娘の母さん
彼氏の家に外泊削除
返信の確認が遅くなり失礼しました。
確かにIメッセージは意識しないと身につかないですね。続けて取り組みはしておりますが、注意をしたにもかかわらずこの3連休も外泊です。冬休みの課題の期限が連休明けとなっているのに、手を付けず「余裕で大丈夫」とたかをくくっている様子に腹が立ち情けなくなります。3学期のテストで点数を取らないと留年、もしくは単位を落として卒業も出来ない可能性があるのですが・・・。3者面談でも再三先生方からの話で、本人も知っているはずなのに、現実逃避をしてるとしか思えません。
いくら言っても話も聞かず出ていきます。私としても本人が現実の厳しさを実感しないと反省はないと、半ば諦めの気持ちになっています。アドバイスして頂いたように”誰が言うか”で本人の受け止め方は違うと思うのですが、今の娘は誰の言葉も聞く耳持たないといった感じです。課題の提出期限も守ろうとしない姿勢にどのように接するべきかほとほと困っています。このままでは留年確実です。どのようにすれば娘は現実に向き合えるのでしょうか?
投稿日:2015-01-12
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
高2娘の母さんへ削除
失敗すればいいのです。
そこから這い上がってこそ・・・です。

ちょっと乱暴な言い方ですが我々はそう思います。

そもそも「失敗」なんて概念は我々にはありません。
失敗と言われていることは成功への単なるプロセスです。

留年はしないに越したことはありません。
でも、そのことで娘さんが痛い思いをして「やっぱりこれではダメだ」と自分で気づき立ち上がることができればそれは彼女の成長です。

失敗を恐れ未然に親が先回りをしてアレコレと言うのは子どもの成長の機会を奪っていることになるのですよ。
投稿日:2015-01-12
返信 6
高2娘の母さん
彼氏の家に外泊削除
早々にアドバイスありがとうございました。確かに先回りしてアレコレ考えている自分に気づかされました。
先回りして過干渉過ぎたから、娘は成長しなかったんですね。
”失敗はない”とても心強い言葉です。年相応な道を歩んで欲しかったですが、もっと長い目で子育てを考えていこうと思います。
ありがとうございました。
投稿日:2015-01-12
返信 7
伊藤幸弘教育研究所さん
高2娘の母さんへ削除
「子育ては幸せの時限タイマー」です。
今伝えたことが即効果を表すとは限りません。
1年後、2年後、3年後・・・5年、10年・・・。
もしかしたら親がいなくなってからかもしれませんね。

でも、それでいいのです。
人類は大昔から親が亡くなってから親の有難みを感じるってことの繰り返しです。
「親孝行したいとき親はなし」とは言い得て妙です。

焦らずいきましょう。

さて、コメントで「先回り、過干渉」とありました。
それに関することをまとめましたので参考にしてください。
投稿日:2015-01-13
返信 8
伊藤幸弘教育研究所さん
高2娘の母さんへ削除
「過保護・過干渉・しつけ」

よく、「過保護は子どもの教育上、良くない」ということを耳にします。
過保護が子育てをしていく上での悪い代名詞にもなっているのです。

「あの子は過保護で甘やかされたので、自分勝手で協調性がない」とはよく聞かれる言葉です。
しかし過保護はほんとうにわがままな子どもにしてしまうのでしょうか。
子どもは親(主として母親)をとおして、心の発達でもっとも大切な自分が生まれてきた世界への基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。
そのためには自分の欲求がいつもしっかり受けとめられ、十二分に愛され保護される必要があります。
要するに、子どもは本能的に親の愛情を欲しているのです。そして親の愛情により子どもは健やかに育つのです。

大きくなってもわがままや甘ったれの原因というのは、過保護ではなく、親の無関心が原因です。
子どもに対する親の愛情が薄いと、育児放棄的になるか、逆に何でも与えてその場をしのごうとする「過保護的な行動」になるか、のどちらかではないでしょうか。
つまり同じ「過保護的な行動」であったとしても、親の愛情があるか、または親の無関心かにより、子どもに対する影響は正反対になるということです。

一般的に「過保護は子供をダメにする!」というのは、実は後者(親の無関心)のことであると思います。
では、親の愛情があれば過保護でも問題ないのか?というと「問題ない」と思います。
むしろ小さいうちに子供の欲求を満たしてあげれば、子どもは満足して過度に欲求をすることはなくなってくるということです。

いつまで経っても、大人になっても欲求が収まらないというのは、先に書いた「親の無関心」が原因のひとつにあるのです。
いくらモノを与えても子どもは満たされないということです。
子どもが本当に欲しいものはモノではなく、そのモノを通して親の愛情を感じることではないでしょうか。

子どもがオッパイを欲しがれば与えればいいし、子どもが抱っこを要求すれば抱っこしてあげればいいし、何かを欲しがれば出来る範囲で与えればいいと思います。

ただし、親の思いは率直に子どもに伝えることも大切です。
例えば経済的に無理のあるものを欲しがっている場合は「買えない」ことをきちんと伝え、代わりに手作りにチャレンジするとか、抱っこしてあげたいけど大きな荷物を持って無理な時や体が弱くて難しいときは、家で座ってなら出来ることを伝えたりすればいいのです。
無理のない出来る範囲での「過保護」は大いにやってあげるべき、そしてそれらは「子どもの自律」の妨げにはならないというのが我々考えです。

ちなみに、危険なこと、人としてやってはいけないこと、これらは「しつけ・教育」の問題であり、過保護とはまた違った性質のことなので、それらと混同しないで欲しいと思います。

過保護と過干渉はつい混同されがちですが、その性質はまったく異なるものです。
多くのご相談を受ける中で、昨今は親による子どもへの過干渉がとても多いと感じています。

過干渉とはその名のとおり「過度に人に干渉すること」です。
この過干渉は大いに子どもの「自律」の妨げになります。

一般的な子供への過干渉の例を言うと
・子供が欲求していないことに良かれと思い口を出す
・必要以上に子供の言動に口を出す
・先回りして良し悪しを植えつける

幼児期になると子どもはのびのびと自発的に行動するようになります。
あらゆることに興味を示し、何度失敗しても叱られても、またすぐ忘れて果敢に挑戦していきます。
親は心配で見ていられませんから、つい手を出します。
しかし、この規制や干渉が強すぎると子どもは親の愛情を失うことを恐れて、“偽りの前進”や退行現象に陥ったりすることになります。
ですから「過干渉には注意」が必要です。

「過干渉」の何がいけないかと言うと、まずは子どもの考えや思い、意見を無視して干渉するということです。
ここで難しいのは先ほど挙げました「しつけ」と「過干渉」の境です。

「しつけ」はもちろん大事なことです。
子どもに口を出したくなくても、しつけの一環として口を出さざるをえないことは当然あります。
子どもの意見だけを尊重するわけにはいかない場面はあります。

それはもちろん大事なことであり、子育ての過程では、親としてやっていかなければならないことです。
しかしここで言う「過干渉には注意」が必要というのは、親の考えや価値観を過度に植えつけようとすることを意味します。
人は誰だって性格や考え方、価値観は異なりますし、それは親子だって同じことなのです。

過干渉の危険な要素はその親の価値観を子どもに植えつけようとし、親の価値観に反すれば注意して正そうとすることです。
更に過干渉を例えると、ごはんを食べるのが遅いから「早く食べちゃいなさい」と言うのはいいのですが、早く食べるように手伝ったり、食べる順番をいちいち指摘したりすることは「過干渉」と言えます。
また、今日は暑いから「こっちの服にしなさい」と言うのはいいのですが、それを過度に強要したり、子どもがたいして興味がないのに、親が良かれと思うことで遊ばせたり、習い事をさせたりすることも「過干渉」と言えるでしょう。
よく耳にするのは、特に害はないけれど、親が不愉快に思うことは止めさせようとしたり、何かにつけ、あーしろこーしろと指示をしたりすることも「過干渉」です。

これらの例で、「しつけ」「過保護」「過干渉」の違いが何となくご理解頂けるかと思います。

過干渉でよく言われているのが、「親の子どもに対するマインドコントロール」です。
その結果、子どもは何が良くて、何が悪いかの基準を正しく理解することが出来ずに、親の顔色が基準になってしまうのです。
子どもは自分の考えで行動出来なくなる恐れがあり、自分(子ども)の価値観で良し悪しを判断することを認められず、親の価値観が優先されてしまうのです。
これでは子どもの「自律」が育たないのは当然のことであると言えます。

しかしこの手の親は、なぜ子どもが自律できないのかが理解できてない場合が多いのです。
結果的に更に親の干渉が増え、そして子どもの自律は更に遠のくという悪循環が生まれてしまうのです。

注意すべき点は、親が過干渉にしていることを気づかない場合です。
早く気づけばいいのですが、自分で気づくのは、なかなか難しいことです。
親に自分の望むことを十分にしてもらっている子どもは、家庭以外でも先生の手をわずらわせないで仲間と仲良くのびのびと遊べます。
ですから友だちのなかに入っていくのが上手か下手かをみるとよくわかります。
保育園や幼稚園で親から何日も離れられない子、いつも先生の周りにまとわりついていて、友だちのなかに入っていけない子は過干渉の可能性があります。
先生の周りでいい子になってお手伝いしている子はまだいいのですが、先生のいやがることをわざとたくさんして関心をひく子でしたら要注意です。

カウンセリングを進めていく中で感じるのは、過干渉の親というのは、親自身が周りから受けいれられていないケースが多いと感じています。
自分が受けいれられないのに子どもを受けいれることは難しいです。
自分が孤独ですから、子どもが自分のいうことをきかないと許せないのです。
子どもが唯一の話し相手であり、受け入れてもらえる相手であり、コントロール可能な対象なのです。

ですから、過干渉の親にならないために、親自身の人間関係をよくしていくことが大切と言えます。

夫婦関係は元より、地域や親戚、友人関係を良くし、お互いに受けいれられる状態でなければいけません。
そうした親は、子どもの話を聞くだけでなく、子どもの願いもかなえることができます。

孤独になるにしたがって過干渉になり、ゆくゆくは虐待するようになるのです。
しばしば体罰をする親や教師に多いパターンです。親や教師自身が我慢できない。
親同士・先生同士が孤立していては、どんなに優秀な親や教師であっても、いい子育てや教育、指導はできません。
そのためには、コミュニケーションが最も大切なのです。

干渉も、やリ方によっては過干渉になりかねません。
子どもがいやがる塾や習いごとに無理やりに、いつまでもつれていくことがあります。これは過干渉です。
子どもの個性と能力と、いやがる度合を見て、干渉か過干渉かをみきわめればいいのです。

ただし、子どもが望んでいないことをしてはいけない…ということではありません。
ここで申し上げたいのは「過剰にしてはいけない」ということです。
どこまでが過剰で、どこまでが過剰でないか、これはそれぞれの家庭の価値観、環境、文化、親子との関係などで決めればいいことです。

親と子の関係は、普段から、子どもの言うことをたくさん聞いてあげていれば、親の言うことも聞かせやすいということがあります。
いつもたくさん言うことを聞いてもらっていれば、子どもは少しぐらい我慢できるのです。
あまり聞いてあげていない子に我慢しろと言っても我慢できるものではありません。

また普段よく話を聞いて欲求をかなえてもらっていれば信頼感もあります。
信頼している人の言うことはよく聞くけど、信頼していない人のことはちょっとしたことでも聞けないのです。

よく、「怒るはダメで、叱るがいい」と言います。我々も以前はそう伝えていました。
決して間違いではありませんが、大事なことが抜けています。
それは「誰が」と言うことです。

信頼している人から怒られても、それはすべてがいやなわけではありません。
信頼していないとから上手に叱られてもストレスしか感じません。
信頼関係で結ばれている親子であれば、多少感情的になって怒ったとしても「自分(子ども)のために言ってくれているんだ」と思ってもらえるはずなのです。

ですから、普段から子どもの欲求をよく聞いて、良い親子関係を作っておくことが大切です。
子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする…これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。
そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。

重要なのは、「親の欲求不満を満たすための過干渉」は慎んでもらいたいということです。
投稿日:2015-01-13
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