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お悩みNO.61
MOCOさん
継続登校の難しさ(小6男子)削除
小4の時に怒鳴る女性教師が担任になり、1年間我慢を重ねた結果年度末から強迫行為やチックが出るようになり、朝起きられなくなり、不登校になりました。担任が変っても学校不信、先生不信、友達の目などが気になり、3分の1くらいの出席、5年は行事以外学校には行かず、6年になり、運動会を機に自分から”行くか?学校”と言い出し、春から3ヶ月登校しました。むさぼるように友達と関わり、運動会も楽しく人と協力してやり遂げる達成感も味わいました。しかし夏休み明け、また友達の視線や、自分が触れて欲しくないことに突っ込んでくる友達の言葉(通うだけで精一杯で
宿題をやらないことへのおせっかいや、休んだ後に登校した時に出る 都合がいいよな?という発言などなど。悪意はないのでいじめではありません)に傷つき、クラスの友達半分以上がウザイ、と言っています。先生への不信感はほとんどなくなりました。不登校の初期の頃は、親への暴言、暴力の時期もありましたが、ひたすら共感、傾聴、本人がして欲しい、と言ったことは、なるべく聞き入れ、子どもが望むような親になってきたと思います。それは、子ども自身が、”ママは変った”と言うようになったので実感できていることだと思います。ですので家では、ほとんど穏やかに過ごすことができるようになりました。
別に学校へムリに行かなくてもよい、と言っていますが、朝は10時ごろまで起きられませんし、全く勉強する気力もなく、ゲームとテレビで気を紛らわせ、笑いを得て、雑学を仕入れ、週2、3日友達と遊ぶことで自分を保っている感じです。
学校へ復帰している時、或いは時々行っていた時など、学校へ行けば、全く普通に過ごすことができます。
仲のよい友達とも外で遊ぶことができます。付き合いたくない友達と、どう付き合うのか、嫌なことを言われても、聞き流し、折り合いをつけるのか、それは
家に居て、充分に安心し、母性性が満たされれば、再び、嫌なことがあっても
学校へ行こう(或いはそれに準ずるところでも)、と思えるようになるのでしょうか。
楽しい、美味しい、嬉しい、が家庭内に
できるだけあるように、心がけています。本人が、ゲームテレビ以外に自分の
やりたいことを見つけられればよいのですが、小学生は学校が全てのような感じの毎日ですし、習い事もしたがらず、膠着状態です。
佐々木正美先生の著書はほとんど全て読み、杉浦正明先生の勉強会も8年に渡り続けてきて(そこで伊藤先生のことを知りました)特にこの2年半はあるがままの息子を受容し、大丈夫だよ、というメッセージを伝えてきたつもりです。
友達とは遊びたい、でもどうしても傷つくのが怖いので、学校には行けない、家でゲームをするしかない生活も楽しいとは思えない、どちらにも動けない
この膠着状態から抜け出すにはどうしたらよいでしょうか。
このまま見守る姿勢でよいでしょうか?
投稿日:2010-09-28
返信 1
伊藤幸弘教育研究所さん
MOCOさんへ削除
はじめまして。
書き込みありがとうございます。

MOCOさんは色々と勉強されているようですね。
今までの対応は決して間違っていないと感じます。

お子さんの”ママは変った”の言葉がそれを物語っていますね。

子育てで大切なのは「いかに自己肯定感を養うか」です。
自分は存在価値があるんだ。
大切な人間なんだ。
生きていて良いんだ。
…そんな気持ちを持たせることが必要です。

それでいうとMOCOさんの対応は自己肯定感を持たせる接し方をしています。
そのことで学校で傷ついた心は大いに癒されているはずです。

さて、では今の膠着状態をいかに抜け出すか、ですが…これは時間を要する覚悟が必要です。
今までのように見守りつつ何か対策を練りたいとことですよね。

小学校とはいえ小さな社会の中で傷つき、時には不登校になり、揉まれながらも頑張って再度学校に行けるようになったお子さんを尊敬します。
お子さんは学校での心無いひと言で傷ついたのですよね。(相手は悪気はないとのことですが)
クラスの半分以上がウザイと思っている現状はさぞ辛いでしょう。
ここを共感しつつ裏を返せば「半分近くはウザくない」訳です。
ここにヒントがあると思いませんか?

よく心理学の本で紹介されている「コップに水が半分しかない、ではなくまだ半分も残っている」という考え方です。
この考え方をお子さんに伝授したらどうでしょう?

そしてクラスの半分近くの友だちを味方につけるのです。
最初は特に仲のよい友だちを2?3人家に呼んでみたらどうでしょう?
時には親も混じり食事なども一緒にするのもいいかも知れません。

「親友」と呼べる友がクラスにいるだけでも学校に行く価値は大きく高まります。
人は人から傷つけられますが同時に人から癒されもします。
そんな環境を親が作るというのはどうでしょう?

色々と書いてしまいましたがよろしければ解決策をこれからも一緒に考えていきましょう。
必ず活路は見出せます。
今までは「親だけ」で試行錯誤されていたかもしれませんがこれからはお独りではありません。

またコメントお待ちしていますね。
投稿日:2010-09-28
返信 2
MOCOさん
他者を認めるとは?削除
早速の温かなアドバイス、ありがとうございました。
仲の良い安心出来る友達は何人かいます。
よく遊びに来たり、行ったりもしています。
”半分もウザクない人がいるなんて上々じゃない!安心できる友達も居るんだし(席も近くに担任が配慮してくださった)大丈夫”ももちろん言いまして、常に息子が発する否定的な言葉は、肯定的に、思い込みは別の視点から、見るように言葉を投げかけるようにしています。
息子自身も頭ではわかっていると思うのですが、それよりも不安の方が大きいのだと思います。また真の意味で自分で納得できないのでしょう。
息子自身、友達と遊ぶことによって、元気になることも知っていますし、付き合いたくない友達からのストレスもあり、人によって傷つき、人によって癒されることもわかっています。穏やかな時に私からそういう話もして来ました。
仲のよい友達は、息子が学校へ来ないことには何もふれず、普通に接してくれますし、敢えて踏み込んでこない優しさがあります。息子自身は不登校の理由(明確には自分でさえ言語化できないでしょう)を友達に話したところで、わかってもらえるとは思えないので、詳しくは語りません。なので、この歳で
悩みをうちあけ、共感してもらうような意味での”親友”はもちにくいかと思います。
ほとんどの子どもは、不登校になる子の気持ちは理解できないと思うのですね。(不登校の子は、学校に2、3人しかいないようなののびした環境の学校)そこが難しいところです。
学校へ行けば、多くの友達に遊びに誘われるようなタイプですが、本人は人の何倍も気を
遣って過ごし、疲れてしまう。感じやすく繊細、しかし、思い込みも強い、ということです。
自分に自身を持ち、自己肯定感が高ければ、人は人 と思えるし、
人に頼る、信じることができるのはずですよね。
同世代の友達は、一番予期せぬ反応や、言葉が返って来るだけに辛いのだと思います。
”KYで、人の話を聞かず、自己中な奴らばかり・・・”と言います。
しかし、この世代、皆友達も自己を確立していくことで精一杯である年齢であること、それぞれが、自分は正義であると思っていること、そこでぶつかりあう、それで皆も成長して変化していること、きみも家にいても成長している、だから状況は変化しているのだとも伝えています。
いろいろ楽しいことをやって気分転換をしても嫌だったことの記憶が大きく、鮮明に思い出され、なかなか抜け出せないようです。
たぶん何かおせっかいなことを言って来るような子は、言ったことすら覚えていなし、
そんなにきみのことを気にしているわけでも
ないと思うんだけどな? と言っても、やは
拡大鏡のように想い起こされるのですね。

他者を許す、認める と言うことは、どうしたら出来るようになるでしょう?
集団の中で自分の弱さも認められた時に出来るのではないかと考えていますが、プライドが邪魔をしているようです。

自分が学校へ行こうとしても、行けない自分に葛藤し、自己肯定感が下がってしまいます。(特に一度復帰できたのに、また夏休み明けに怖くなったので余計に)
”嫌な奴がいても、関係ないって思えるように成る時が来るよ、そうすればまた行けるようになるよ、行かなくちゃいけない、と思わなくていいんだよ、きみのよく気がつくところは、今はキツいかもしれないけど、裏をかえせば、人の気持ちがわかってあげられる、
ってことで、それがきみの武器になる時が
くるよ、とも話しています。
思い込みが強いことも、見方を変えれば、簡単には妥協しない,と言う点が、将来仕事の面で、美点となることもあるよ、とも言っています。
しかし学校へ行きたくない、といいながら,本人が、学校に縛られているのを感じます。
もがく中で、やはり自分にとって学校は必要(友達も勉強も)、と思い、再び動き出すのを待っていますが、時間がどんどん過ぎることへの勿体なさも正直なところ、感じています。

時には気の進まない友達が遊びに関わってくることもありますので、そこで、自分を出したり、適当に流すことを経験することで
大丈夫、と思えることが増えるといいのですが。
少しずつ揉まれて、経験しなければ、自己解決能力もつかないと思うので、その辺りは
3歩進んで2歩下がる、でも1歩前進、くらいの気持ちでこのまま続けていけば、いいでしょうか?

ハロウィンパーティを友達を呼んでやりたいと言っていますので、アドバイスにあった、たくさんの友達を味方にする、ということも
考えて、よいきっかけになるようにやってみます。
投稿日:2010-09-28
返信 3
伊藤幸弘教育研究所さん
MOCOさんへ削除
こちらこそ、またここに来て頂きありがとうございます。

「3歩進んで2歩下がる、でも1歩前進!」
…とても良い考え方だと思いますよ。
自己解決能力をつけさせるためには人間関係の摩擦から時にはショックを受けてそこから這い上がることも求められるでしょう。
これは人生では避けて通れないことですよね。
その時に傍らに「大丈夫だよ」と言って支えてくれる存在があるのとないのでは立ち直り方も差が出てくるはずです。
MOCOさんが上記のように言ってあげることがどれだけ救われるか…。

もっと言えば「3歩進んで3歩下がる」でも「3歩進んで4歩下がる」でも良いくらいです。
「進んで」の部分が大切なのでそこに焦点を当ててあげればいいのですから。

>他者を許す、認める と言うことは、どうしたら出来るようになるでしょう?
>集団の中で自分の弱さも認められた時に出来るのではないかと考えていますが、プライドが邪魔をしているようです。

上記の質問はMOCOさんが考えている通りです。
自分の弱さを認めたとき他者の弱さも認め許すことができると私も考えます。
要するに自分を好きになる!

では、どうすれば自分を好きになれるか?

「足らで事たる身こそ安けれ」
?今ないものを求めて気を揉むよりも、今足りているもので満たされることほど安らかなことはない?
…禅の言葉です。

自分を好きになる近道は…
自分の出来ていないことに焦点を当てることなく自分の出来ていることに焦点を当ててあげる!
…そこからのスタートだと思います。

例えば…
「私は少しおっちょこちょいだけど思いやりだけはある方だと思う」
「私はお料理は得意じゃないけど人を楽しませることなら自信があるなぁ」
そんなふうに思ってあげたらどうでしょうか?

そしてその次のステップです。

自分の出来ているところに焦点を当てられるようなると
今度は自分の出来ていない部分が気になり始めます。
これは当然のことです。

…であれば!
自分の出来ていないマイナス面をプラスに転化してあげればいいのです。

「私は消極的な自分の性格がきらい」…ではなく
「私は自己抑制が出来る我慢強い性格なんだ」と思ってあげる。

人から…
「わがままで幼児性が抜け切れていない」と言われてへこんでしまったら
「私は創造性豊かで自由奔放なのびのびしているタイプ」と思えばいいのです。

人は表裏の両面を持ち合わせいます。
自分は気に入らないと思っている部分が相手から見たら実はチャームポイントだったりすることもあるのです。

アメリカの心理学者、カール・ロジャースはこう言います。
「I love you because you are you」
これはカウンセラーがクライアントに接する時の基本姿勢で
?あなたはあなたのままでいいんですよ?という意味です。

人が誰かを好きになるのに理由なんていりませんよね。
その人の存在自体が好きになるに値するから人は誰かを好きになれるのだと思います。
決して「容姿がいいから」でも「学歴が高いから」でも「収入がいいから」でもありません。

この言葉を是非、自分自身に言ってみてあげるようお子さんに伝えてみてください。
「I love me because I am I」
?私は私のままでいいんだ?
そう思えれば必ず自分を好きになっている自分に気づくはずです。

自分を好きになるといいことがあります。

心理学では…
「自分を好きになった分だけ他人を好きになれる」といいます。

自分を好きになればなるほど誰かを好きになることが出来ます。
そしてそれは必ず自分のところに戻って来て更に自分を好きになれます。

なぜならば…
お子さんのことを好きな人たちに囲まれていれば、お子さんは更に自分のことが好きになれるから。

「The Best」から「My Best」
完璧な自分ではなく自分の歩幅で人生を歩んでいけばいいのだと思えたときに本当の意味で心理的なタフさが身につくはずです。
投稿日:2010-09-29
返信 4
MOCOさん
子どもへの提案は・・・・削除
的確で素晴らしい言葉の数々を本当にありがとうございました。このような掲示板を利用するのは初めてでしたが、親身になって自分に投げかけて頂いた言葉というのは、何冊の本を読むより、何倍も心強いものですね。勇気が沸きます。

今、出来ていることに焦点をあてる、忘れがちなことですね。
肝に銘じようと、早速プリントアウトさせて頂きました。

不登校に陥りやすい子は、完璧主義なところがあり、息子もそこに捕われています。白か黒か、でなく、ゼロか100かでなく、その途中もあるんだよ、自分で自分に折り合いをつけられたらいいね。とも、話します。それは、つまり自分の歩幅で歩けばいい、MY BEST  私は私のままでいい、ですよね。

そう開き直れたらいいな?と思います。息子に自分自身に言ってみるように、伝えます。”言霊”大事ですよね。
カール ロジャースの本も読んでみたいです。

親として、子どもを信じる気持ちを持っているつもりですし、子どもは直感的に自分にとって、何が必要で、そうでないか、真をわかっている、と感じる反面、人生経験のなさから、また長期に渡る家での生活によって、安きに流れ、楽な方へ流されていて、動き出すことがおっくうになってしまっているのでは?という懸念や疑問が頭をもたげてきます。(家にいれば、傷つくことがなく、面倒くさい勉強もしなくていい、人間関係で我慢する必要もない、ゲームが出来るなど)
そこで、少し先の自分の未来に備えて、勉強はしておいたら?中学はどうする?などと
つい提案や意見をしたくなるのですが、今は勉強の焦りもないかわりに、あまりどうしたい、という具体的な展望も希望も見いだせないようです。

親の提案や、意見などの言葉掛けも控え、あくまで、本人からの自発的な言葉が出るまで待っていた方がよいでしょうか?

小学生に、今、自分はこうした方がいいのではないかとか、自分のなすべきこと、を考えたり、見つけるのは難しいのでは?と思い、親として道筋をたててやりたくなったり、指針を示したほうがいいのではないかと、口をはさみたくなったりするのですが・・・・





投稿日:2010-09-30
返信 5
伊藤幸弘教育研究所さん
MOCOさんへ削除
こんばんは。
再びこちらにお越しいただき嬉しいです。
また僕のコメントをプリントアウトまでして頂けたなんておっしゃってもらえると更に嬉しさも倍増です。

MOCOさんはとても勉強されているようですね。
文脈の端々からその様子がうかがい知れます。
とても素晴らしいことだと思います。

カウンセリングをしていると「私はダメな親です」と言ってくる親御さんに多く接します。
私はその都度、「ダメな親と自分のことを思っているのですか?それは良かった」と申し上げます。
だって…ダメだと思ったから何か解決策を見出そうとカウンセリングルームに訪れたわけですから、その方はご自身のことを「ダメだなぁ?」と思った瞬間からダメではなくなるのです。
本当にダメな親は子育て自体に関心がなく、子どもが何に悩みどんなことに苦しみ不安を感じているかも気にしない親だと私は思います。

「愛情」の対義語は「憎しみ」ではありません。
なぜならば共に相手に関心があると言う点ではむしろ「愛情」も「憎しみ」も同義語です。
では、「愛情」の対義語は?
それは「無関心」「忘却」だと私は思います。

水を入れたコップを3つ用意します。
Aのコップには毎日、「ありがとう」「素敵だね」などのプラスの言葉を投げかけます。
Bのコップには毎日、「バカヤロー」「お前なんか知らない」などのマイナスな言葉を投げかけます。
Cのコップには毎日、なにも言葉を投げかけません。

どのコップの水が最初に腐っていくと思います?
もう、お察しかも知れませんね。
最初に腐ってしまうコップの水は「C」です。
その次に「B」、最後まで腐らないのが「A」という順番です。

人間も同じです。
人間の体内は殆ど水分で出来ていますよね。
それを毎日、放っておいたら腐っていくコップの水と同じことが起こります。
MOCOさんなら大丈夫!
毎日、お子さんに「言霊」を投げかけてくださいね。

小学生に自発的な言葉が出るまで待つのもひとつの手段かもしれませんが、私は親はどんどん言葉の投げかけを推奨しています。
プラスの言葉に越したことはありませんが親だって万能ではありません。
時には子どもには耳の痛い小言だって言ってしまいますよね。
でもそれでも良いんです。
子どもへの小言は親だからこそ出来る特権です。
子どもに関心のない他人ならあえて子どもに嫌われるような小言なんていいませんから。

親の小言は「幸せの時限タイマー」だと思ってください。
今、伝えたことの効果はスグには表れません。
1年後、2年後、3年後…5年後、10年後かも知れません。
もしかしたらその時には親は既にこの世にはいないかも知れません。
…でも、それでも構わないのです。
必要なことは必要な時に必ず起こりますから。
「この子ならいつか分かってくれる日が必ず来るはず」と信じて言い続けるしかないのです。

ですから、親として道筋をたててやりたくなったり、指針を示したほうがいいのではないかと、口をはさみたくなったりすることは大いに結構なことですよ。

ただし!
矛盾してしまうかもしれませんが、「限度」はわきまえないといけません。
この「限度」がどの程度なのかが一番難しく、またこれが子育ての醍醐味だと思うしかないのですが…。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
あまり言い過ぎると子どもは辛くなります。
基本のスタンスは「子どもと一緒に考える」です。
そのスタンスの中でなら口出し大いに結構です。

「親」と言う字…「木」の上に「立って」「見る」と書きますよね。
この文字を考えた古代の先祖は「親たるは木の上に立ち、高い視点から子どもを見守るべし、いちいち木から降りてきてあれこれ言い過ぎるものではない」と願いを込めたのかも知れませんね。

またいつでもここに来てください。
MOCOさん、一緒に子育てを楽しみましょうね。
投稿日:2010-09-30
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